主人に捧げた物
「笹さんはさ~。なんで、俺がこの場所を選んだのかは分かる?」
目の前の赤い髪の男は笑顔を浮かべて、オレに問いかける。
その笑みに黒いものを感じるのは、その整った顔と、瞳の色のせいだろう。
紫の色はどこか「闇」を感じさせる。
いや、普通に考えれば、オレのように黒い瞳の方が闇に近いとは思うのだが、何故か、そんな気がしたのだ。
「ここに結界があるからだろ?」
ヤツの問いかけに素直に答える。
この場所は、恐らく揉め事が起きた時に使うための場所のように見える。
争いを避けるためではなく、争いを起こし、解決するための場所。
あるいは、昔、ここが処刑場だったと言われても納得してしまうような独特の雰囲気があった。
だだっ広く、人の気配が全くない。
まるで、厄介ごとを避けるかのように誰も近寄ろうとはしなかった。
この場所は、無駄に広いばかりではなく、人除けの効果が施され、魔力が外に漏れないような結界が張ってある。
流石は空属性のスカルウォーク大陸と言えるだろう。
それぞれの空間に対しての考え方が他大陸とは全く違う。
建物に特殊な結界を張ったり、街全体に魔獣除けの結界張ることは、どこの大陸でも一般的だが、この大陸は、その区画ごとに違うことが多いのだ。
そして、ここには結界があるため、この場所で何が起きても、外に伝わらない。
例え、この場所で人が死んでも気付けない人は気付かないだろう。
罪を犯すならもってこいの場所とも言えるが、この男が普通に立ち寄っている辺り、特定の人間は定期的に足を運んでいる可能性はあるだろうな。
それだけ、気を付けない限り、近くにいてもこの場所を見落としてしまいそうなほど自然に不自然な空間だった。
だからこそ、オレも「悪くない」と言ったのだ。
相手の出方によって、自分の魔力が暴走するとか、万が一のことを考えて……。
「なるほど、感覚も鈍くない」
さらっと失礼なことを言われた気がする。
大体、オレは仮にも護衛だぞ?
護衛が主人より鈍かったらダメだろ?
「不躾だと分かっているけどさ~。真面目な話、笹さんは、栞のことをどう思ってる?」
それは、分かりやすい問いかけだった。
そして、ヤツが高田に少なくない好意を持っている以上、近くにいる男に牽制をするのは当然だろう。
「危なっかしい女」
だから、準備していた言葉をそのまま口にした。
同性異性に関係なく、あの女の言動について、かなり危険水域にあると思っている。
老若男女問わず、敵味方分け隔てなく、自分の立場も忘れて、思わず「ちょっと待て」と突っ込みを入れたくなるようなヤツって明らかに異常だよな?
「それは同感だ。あの女はかなり危なっかしいね」
来島が苦笑する。
どうやら、被害者がここにも一人いたようだ。
「でも、もっと他にないの? 可愛いとか、魅力的とか……」
「それは、お前の意見だろ?」
それにそんなことは、いちいち口にするまでもない。
高田が可愛いことはもう十分すぎるくらい理解しているし、魅力的だからいろいろ困ってるんだよ、こっちは!
「ま、そうだね」
そんなオレの心の叫びを知っているはずはないのに、目の前の男は皮肉気に笑った。
「俺は高田のことを可愛いと思ってるし、女性としても魅力的なことは知ってるよ。確かに背が低いから、どうかとは思っていたけど、抱いた時は、ちゃんと女の身体をしてたしね」
野郎、分かりやすく、オレに喧嘩を売ってきやがった。
「ああ、勿論、これは俺の意見だから、笹さんはなんとも思わないよね?」
明らかに挑発をしている。
だが、それなら何が目的だ?
ヤツがライトなら、ミラージュの王族だったはずだ。
だから、隠している魔力はオレを上回る可能性は高い。
だが、本当にヤツが言う通り、ライトではなければ、隠している魔力はそこまで高くないと思う。
少なくとも、今のオレを上回るとは思えない。
半端な貴族ぐらいなら蹴散らせる自信はあるのだ。
オレがこれまでに、どれだけ魔力を高めるために無茶をやってきたと思うんだ?
そして、それが分からないとも思えない。
全力は勿論出す気はないが、オレ自身も挑発の意味を込めて、先ほどからずっと魔気で牽制をしている。
少しばかり挑発だけではない別の何かが紛れ込んでいたとしても、それはオレが未熟なだけだ。
だから、相手がどう受け止めるかなど、知ったこっちゃねえ。
「ああ、思わねえな」
だから、これぐらいでオレを揺さぶることができるとは思うな。
いや、正直、その言葉の意味を考えると、腸が煮えくり返る思いではあるのだが、それを表に出すことはしない。
「良い声だったよ」
「あ?」
「栞の声。彼女を裂く時に、あまりにも良い声で哭かれたから、それだけで満足できたぐらいだ」
その言葉に嘘はない。
嘘はないから、高田は、この男に泣かされたってことだ。
少しぐらいのことで泣くような女ではない。
つまりは、それなりのことをされたと考えるべきだろう。
オレは高田の恋人ではないから、行為に対して咎める権利はない。
それでも、護衛として、主人が泣かされたなら、報復する義務はあるだろう。
そう言い訳しなければ、治まりが付かねえ!
「やっと殺る気になってくれたか。そうじゃないとね」
オレの雰囲気が変わっても、ヤツは驚く様子もなく、飄々とした態度を崩さない。
それどころかまるで、予定通りだと言うように笑っている。
その余裕が妙に腹立つ。
だが、それでコイツの目的を知った。
―――― この男は……、死にたいのかもしれない。
本当なら、その相手は高田を選びたかったのだろう。
だが、あの女は自分が傷ついても他人を害するなんて考えない。
人間界で育ったことを差し引いても、もともと平和的な頭をしているのだ。
だから、その代わりにオレを挑発している……?
いや、流石にそれは考えすぎか。
「お前の思う通りに行くと思うか?」
オレは笑った。
「あ~、うん。やり方によっては?」
「そのやり方、聞かせてもらおうか!!」
最近、いろいろとストレスが溜まっていたんだ。
八つ当たりをさせてくれるなら、それはこちらにとっても好都合だった。
「うおっ!?」
赤い髪の男が驚愕で目を見開いた。
周囲の空気が、不自然にその流れを変えていく。
「は~、これは想像以上だ」
人為的に造り出された空気の変化により、生じた空気の刃が、オレたちを切り裂くようにあちこちを飛び交い始める。
本来なら自分の魔力で傷を負うことはないが、これは自然現象に近い。
この空気の刃はオレも切り裂くだろう。
「体内魔気を少~し解放するだけで、こんな自然現象起こせるなんて、身分の高いヤツってホントにズリ~よな~」
どこか呆れたように目の前の男はそう言った。
「言っておくけど、オレに身分はねえぞ」
「これだけの魔力持ちが?」
明らかに疑うような声だが、実際、オレたち兄弟にあるのは高田の護衛という立場であり、身分としては平民だ。
いや、親もいないから、平民でももっと立場が悪い孤児だな。
高貴なるセントポーリア王妃殿下や王子殿下が嫌うような存在だ。
「なんで身分がない、平民なのに、栞の護衛やってんだよ? いろいろ、おかしくねえか?」
「そんなこと、雇い主に言え」
それだけ、あの母娘が全面的に信じられる味方もいなかったってことだ。
そして、シオリに出会った数年で、オレたち兄弟は実績だけを積み上げた。
何があっても裏切らないことを誓いつつ。
「ふ~ん、幼馴染ってだけで、傍にいられるのは羨ましいね」
その辺りも知ってやがる。
いや、ミラージュの人間なら、ライトってやつと情報共有していてもおかしくないのか。
だが、どこまで知ってる?
「それなら、その場所は本来、笹さんの居場所じゃなかったかもしれないな」
「なんだと?」
「聞いてない? 笹さんよりも先に、ライト様はシオリと出会ってるんだ。ライト様が彼女の記憶を消さなければ、今の笹さんの場所にいたのはライト様だった可能性はあったかもね?」
そう言って不敵に笑う。
「どんな事情があってヤツがシオリから記憶を消したか知らんが、自分から手を離したヤツが、その後、あの女の面倒なんかみれるかよ。遠からず、同じように記憶を消してなかったことにしていたはずだ」
これは結果論だ。
ヤツが手を離さなかったら、確かにオレは彼女と会ってないかもしれないし、護り手が一人増えていたかもしれない。
「オレは掴んで離さなかった」
大粒の涙を見たのは、初めて会ったあの時だけだ。
あれから、「シオリ」が「高田栞」になって、傍で泣くようなことがあっても、オレの前であそこまで泣いたことはない。
「確かに、それだけの違いかもしれない」
自分から手を離すなど、一度も、考えたこともない。
どんなに無様でも格好悪くても、それでも、あの強くて弱い主人以外の人間の手を取るなど、オレの中ではありえなかった。
『この手を知る人間が増えてしまうのが、少し、淋しいだけ』
少し前に、主人はそう言った。
それがどんな意味かは分からなかったけど……。
「だが、この手はあの女だけに捧げた物だ」
どんなに無様でも格好悪くても、それでも、あの強くて弱い主人以外の人間の手を取るなど、オレの中ではありえなかった。
「そこまで栞のことを想っているならさ~」
空気でできた刃が飛び交う風の中……。
「なんでもっとちゃんと向き合わねえんだよ!!」
泣き笑いのような声がその場に響いたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




