人としての常識
「来島から見た昔のわたしってどんな娘だった? これぐらいは教えて?」
わたしはずっとそれを誰かに聞いてみたかった。
わたしは幼い頃の記憶がない。
母に聞いても同じように記憶を封印していたためか、曖昧に濁されたし、九十九や雄也さんにはなんとなく聞きにくかった。
ライトには、聞く機会がほとんどなかったし。
だけど、気にならないわけがない。
自分のことだし、何より、今でもどこかで誰かが比較しているような気がして酷く落ち着かないような気分になるのだ。
それは、あのわたしの魔力から生み出された「分身体」を見て、強くなった。
堂々として、はっきりとした物言い。
同じ顔だと言うのに全く違う人間に見えた。
さらに知識も豊富で、恐らく、あの存在は魔法も難なく使うことができるのだろう。
この気持ちは、多分、嫉妬に近いモノかもしれない。
あんな相手に勝てる気がしなかったから。
「俺が見た、昔のシオリ……?」
来島が首を傾げる。
「あまり長い時間、会って話したわけじゃないけど、あの女は、警戒心が強くて、泣き虫だったな」
そして、彼は不意に、そんなことを口にした。
「な、泣き虫?」
ちょっと意外過ぎて驚いてしまった。
昔のわたしって、そんなに弱かったの?
いや、ライトと会ったのは九十九と会う前。
だから、3歳以下?
15年前なら、それは泣き虫でもおかしくはないのか。
泣くのが仕事と言われる年代から少しぐらいしか時は経っていないのだ。
「いや、実際、涙は零さないんだよ。でも、すぐ泣き言を言うんだ。『ワタシには無理です』、『ワタシにはできません』ってな」
来島は何かを思い出しながらそう言った。
具体的な言葉が出てきたと言うことは、実際に、昔のわたしは彼に対してそんなことを言ったのだろう。
「あ~」
そして、なんとなく、その光景が想像できてしまった。
それが何故かは分からない。
でも、幼い頃のわたしならば、そんなことを言いそうな気がしたのだ。
「二言目には『母さまが』……だったな」
「かあさま?」
「なんか、妙に母親至上主義だったぞ。母親がいれば、それ以外はいらないって感じだった」
「あ~」
その場面も、何故かしっかりと思い浮かんでしまう。
その言葉も、当時のわたしならば言いそうな気がしたのだ。
狭い世界で、母親だけを求める。
それは、母一人、娘一人の暮らしならば仕方がないのかもしれない。
「まあ、俺からすれば、面白味のねえ女だったよ」
「それは申し訳ない」
なんとなく、謝りたくなった。
「今の栞で良かった。こんな面白くて活きの良い女、そうそう、いない」
でも、その言葉は褒められている気もしない。
「法力国家ストレリチアに凄く元気な娘さんが2人ばかりいらっしゃるのですが?」
「王女殿下本人と王子殿下の婚約者のことなら謹んでご辞退させていただくからな。あんなの俺の手に余る。それに、彼女たちは良くも悪くも常識があるからな。そこまで大幅に道を外れない」
いや、王子殿下の婚約者殿はともかく、王女殿下はかなりぶっ飛んでいますよ?
それに……。
「それだけ聞くと、わたしに常識がないような言い方ですが?」
少なくとも、大人しくはあると思うのです。
わたしは、いろいろな人間や精霊たちを巻き込んでの大騒ぎには至ったことはないし、権力と立場を利用して、見習神官たちを惑わし、友人を捕獲しようとしたこともない。
彼女たちに比べれば、わたしはそこまでのことはしていないと思う。
多分。
「栞に常識があると思うか? こんな色里を護衛もなしに一人でふらついて、面倒な男に絡まれても反省せず、あからさまに怪しい男の部屋に来て寝泊まりするなんて、俺が知る限り、かなり非常識だと思うぞ?」
言われてみれば、あの2人もそんな方向性のことはしないだろう。
何より、どちらも婚約者がいる。
それで、そんなことをやらかしたら、大問題に発展する気がした。
「確かにそれだけ聞くと、常識ないね、わたし」
「まさか、本気で今、気付いたのか?」
「うん」
確かにここまで自分のしてきたことを箇条書きにするだけでも、かなり常識がない文章が並んでしまう気がする。
魔界人としての常識がない自覚はあったけれど、人間界でもおかしな話だろう。
つまり……。
「わたしって、人としての常識がないってことか」
「本当に気付いてなかったのか」
わたしの呟きに呆れたように来島が肩を竦めた。
「まず、今のこの状況が女としてありえねえ」
「うん」
素直に頷く。
「魔界人としてもありえねえ」
「うん」
「何より、人としてありえねえ」
「うん」
「いやに素直だな」
「うん」
流石にそこまで言われたら自覚せざるを得ないだろう。
周りが無防備、無警戒って言うのも分かる気がした。
「お前、話を聞いてるか?」
「ちゃんと聞いているよ」
ずっと「うん」しか言わなかったから、不安になったらしい。
反省していただけなのだけど。
***
「それで、お前はこれからどうする? 俺を選ぶか?」
これまでにない選択肢が加わった気がする。
だけど、わたしは無言で首を横に振る。
「あっさり振るよな、お前って女は……」
だけど、そこには不満がないようだ。
「では、ライト様を選んでくれるか?」
「はい?」
なんで、そこに彼が登場するのだろうか?
九十九以上に関係ない気がする。
「なんで、そこで意外な声を上げる? ライト様は、俺の国の王子殿下だぞ? それに、お前がミラージュに来てくれるなら、俺も嬉しいのだが?」
「ミラージュは、あなたから聞いた法律を含めていろいろ無理」
「まあ、確かにな」
来島は苦笑する。
彼も本気で望んでいるわけではないのだろう。
「じゃあ、笹さんを選ぶか?」
「それもない」
「不憫だな」
溜息を吐きながら、来島はそう言った。
「どっちが?」
「どっちも」
やれやれと言った様子で来島は続ける。
「じゃあ、誰も選ばないのか?」
「先は、分からないけど、今は、誰も選べない。大体、わたしが決定権を持っているわけじゃないからね。誰かを選んでも、その相手からは選ばれない可能性の方が高いんだよ?」
「それは、俺に対する皮肉だな」
来島は皮肉気に笑う。
「そう言う意味じゃないのだけど」
確かにわたしは、彼から好意を抱かれたし、それなりに好意を持っているという自覚も出てきた。
それでも……。
「来島にはもっと良い子が見つかるよ」
「お前以上に良い女なんてなかなかいないと思うけどな」
来島はそう言ってくれた。
「ありがとう、好きになってくれて」
「おお。笹さんに振られたら来い。今度こそ、しっかり慰めてやるから」
「だから、なんで、いっつも、九十九なの?」
「一番、近くにいて、一番確率が高そうだから」
「そうか。そう見えるのか」
周りは皆そう言う。
だけど、実際は違うと思っている。
一番、近くにいるのに、一番、心が遠い人だ。
どんなに苦しんでも辛くても、彼はわたしを選ばない。
最後の最後まで抗って、そして、拒絶するのだ。
「『お前だけは絶対に嫌だ』って言う人なのに……」
気が付くと、そんなことを零していた。
「お前だけは……?」
来島は不思議そうに問い返す。
「『発情期』になっても、わたしだけは嫌だったみたいだよ」
「そりゃ、嫌だよ」
「へ?」
来島の言葉に今度は、わたしの方が変な顔をしたのだと思う。
「俺だって『発情期』になって異性に手を出すのなら、絶対に栞だけは嫌だ」
「それは、なんで……?」
好きな人に手を出しても許されるのに?
わたしがそう問うと、来島は露骨に顔を顰めた。
「お前は馬鹿か? 誰が、好き好んで、自分の好きな女を泣かせたいって思うかよ」
その言葉は妙にストンとわたしの中に落ちた。
「『発情期』って、要は、抑制が効かねえ状態だぞ? 相手のことを思いやるより、自分優先、自分の快楽しか求めない状態だ。だから、女が泣くんだよ。愛するんじゃなくて、欲する。抱くんじゃなくて、犯すんだからな」
「く、詳しいね」
「男だからな。タガが外れた状態なら想像もつく。希望なら、実演しても良いぞ? 俺が雄になるだけで良いなら、本当に簡単だ。自分の欲望に流されるだけで良い」
「うわぁ」
それはかなり困る。
わたしが退いたのが分かったのか、来島は大きく溜息を吐いた。
「それでも踏み留まったれてことは……、笹さんはお前に対して、『愛』はあるってことだろう? それが、『恋愛』か『友愛』か『親愛』か『敬愛』かまでは、分からんけどな」
そこまで言って……。
「……って、なんで、この俺が振られた相手と恋敵のことで、ここまで言ってやらなきゃいけないんだよ」
と、何故か来島は大きく肩を落としたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




