お互いに隠していたこと
流されるまま、言われるままに生きて、どれくらい経ったのだろう?
その中で、自分で決めたことも勿論、あるけれど、大事なことほど選ぶことは出来なかった気がする。
わたしが人間界で住んでいた町は、特別な事情がない限り、その家がある地域によって、通える公立小学校も公立中学校も決まっていた。
だが、わたしの家は、ちょうど学校区の境界上になっており、たまたま中学校だけは選べる場所だったらしい。
そして、家から通える許可が下りるのは、中央中学校と南中学校の二択。
同じ小学校からは、中央中学に行く人が多かったけど、わたしが選ぶことになったのは……、南中学校だった。
母の職場がそちらの方が近く、参観日などの学校行事に参加しやすかったのである。
そうは言っても、母は強制したわけではなかった。
ただ、好きな方を選べと。
だが……、母の周囲や自分の当時の担任から、それとなく言われていたのだ。
『南中学校に行くのでしょう? 母子家庭なら、母親を気遣って当然よね?』
そんな言葉を何度も聞いて、中央中学校を選べるほどわたしの神経は図太くないし、心臓も頑丈ではない。
結果として、ワカは一緒だったけど、それ以外の友人たちとはほとんど離れることとなったのだ。
まあ、その場所では、新たにできた友人だけでなく、大事な先輩や、慕ってくれる後輩だってできたけど。
それでも、あの時、中央中学校を選んでいれば? と思ったことも何度もあることは否定しない。
この世界に来たことだって、自分ではどうしようもなかったことだ。
あの時、九十九が守ってくれたから、自分の気持ちの整理ができるまで、少しだけ留まることを選択できたけれど、本来ならば、あの紅い髪の男によって、強制的に連れて来られた可能性の方が高い。
それ以降だって、自分で決めたことよりも、いろいろと諦めて、流されたことの方が多い気がする。
確かに選択肢は示されているけど、その大筋は自分で決めることができない。
過程を選ぶことができても、結果は同じようになっているのだ。
そんなわたしが、「導きの聖女」とか言われたって、笑うしかないよね。
自分の行く道すら自分で決められない人間が、一体、誰を導いていると言うのか?
「それなら、これからは諦めなければ良いんじゃねえか?」
「ふへ?」
来島はあっさりとそう言った。
「これまで諦めてきたとしても、これから先も諦める必要なんてどこにもない」
そして、彼は迷いもなく言い切る。
「い、いや……、そんな簡単に言われても……」
「『Fortune favors the brave.』って言うだろ? 迷いのある人間に運命の女神は味方なんてしない。勇気を持って道を切り拓こうとする者に味方するんだよ」
そんな来島の言葉に、わたしはハッとなる。
その言葉を、最初にわたしに教えてくれたのは、誰だった?
あれは、確か、人間界だった。
電車に揺られて、眠りかかっていた頭にどこからか響いてきた声。
あの時、わたしの傍にいてくれたのは、九十九ではなく……。
「どうした?」
「来島、その言葉……、わたしに言ったこと、ある?」
「は? あ~? あるかもしれんが……、覚えてねえ。別に珍しくもない諺だからな」
「そう……、だね……」
それだけ彼にとっては深い意味はなかった言葉なのだろう。
だけど、魔界に来て暫く、わたしの支えとなったのは、あの言葉だった。
「俺も人から教えてもらったんだよ。すっげ~昔の話だけど」
「そうなの?」
わたしも誰かの声で知った。
それは自分の胸に昔から知っていたかのようにストンと落ちて……、それで……。
「前向きになれる言葉だろ?」
「前向きになれる言葉だね」
来島がそう笑うから、わたしも同じように笑い返した。
「栞は時々、自虐的になるし、自己犠牲の精神も強いから、この呪文を一日一回唱えておけ」
「一日一言?」
しかも呪文として?
「おお。で、唱えるたびに、俺を思い出せ」
得意げにそう言う彼がおかしくて、つい、噴き出してしまった。
「笑うなよ」
「いや、今のは、笑うしかないでしょう?」
そんな言葉を唱えなくても、わたしは来島のことを忘れないのに。
「来島のことは忘れないよ」
だからこそ、はっきりさせておかないと。
「だって、あなたはミラージュの人でしょう?」
この言葉で全てが終わるとしても。
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「だって……、あなたはミラージュの人でしょう?」
不意打ちのように目の前の黒髪の女はそう言った。
その強く大きな瞳を俺に向けて。
それに対して、俺は何も答えない。
ただ、その逃げることを許さない瞳をじっと見つめ返すと、目の前の女はふっとその表情を崩した。
「駄目だよ、来島。『ミラージュ』は一般的に知られていない国。知っていても、存在しない幻の国って言われているのだから。ちゃんとすっとぼけてくれないと」
困ったように眉を下げる女。
「そんな顔されたら、わたしが確信してしまうじゃないか」
「別に隠してたわけじゃねえからな」
だが、自分から言うつもりもなかった。
やはりこの女は鈍いように見えても、妙に勘が良いところがある。
まあ、少しばかりヒントを与え過ぎた気もするが……。
俺も彼女に対して、かなり気を緩めてしまったらしい。
「どこで、気付いた?」
「最初にここで会った時、知っている人に少し似てるなと思ったんだよ。ああ、魔界人の判断基準となる体内魔気じゃなくて雰囲気的な話ね。体内魔気は……火属性ってこと以外、共通点はないな~」
最初から、気になっていたのにそれをここまで隠しきっていたのか。
そして、彼女の「似ている」という人物に一人、心当たりはある。
……と言うか、俺に似ているのは、その人物以外にいないということも分かっていた。
「でも、確信できたのは、国の決まりについて話をしてくれた時かな。こう見えても、各国のガイドブックは読み込んだから、わたしが特徴を知らない国って、国家として認められていないところぐらいなんだよね」
黒髪の女は息を漏らす。
「15歳未満のうちに異性経験しておかないといけない、なんて法律。外から来る人間への注意やその国の特色として、ガイドブックに書かないはずもないからね」
「勉強家なことだな」
まあ、あの国に外から人間が入り込むことなんて容易ではないし、万一、入り込んだら地獄を見るだけなのだが。
「こう見えても、3年近く逃亡している身なので」
なんでもないことのように笑った。
安定した住居もなく、国々を転々とする生活を、彼女は苦にしていない。
そのことは、良くも悪くも彼女を自由にし、それが強さに繋がっている。
だから、彼女を縛り付け、同じ場所に留めておくことなど、できるはずがないのだ。
「それを、辛いと思ったことはないか?」
「あるよ」
思ったよりあっさりと答える。
「魔法もまともに使えない足手纏いだからね。役に立てないことが辛い」
「いや、そう言うことじゃなくてだな?」
「周囲をわたしの事情に巻き込んでいることが辛い」
そんなこと、あの護衛兄弟は気にしてもいないだろう。
寧ろ、ご褒美ぐらいにしか思っていない気がする。
「どこに行っても、厄介ごとを引き寄せていることが辛い」
「それ、自ら突っ込んだ結果だったりしないか?」
俺がそう言うと、黒髪の女は少しだけ明後日の方向に視線を動かし……。
「そ、そんなことないよ?」
自信なさそうにそう言った。
「俺が聞きたいのはそんなことじゃなくて、逃亡生活自体は辛くないか? って聞いてるんだよ」
「始めは足とか疲れたけど、今は慣れたかな。ここに来るまでに何度も懐かしい再会や嬉しい出会いもあったしね。ずっと一つの場所にいたら、その出会いはなかったでしょう?」
そう言って彼女は笑う。
その笑みに少しも迷いは感じられなかった。
「何より、あのまま国にいたら、来島ともここで会うこともなかったよ?」
さらに殺し文句を吐かれる。
この無自覚娘を誰か、ちゃんと教育してくれ。
「ここで会わなかったとしても、別の所で会った可能性はある」
寧ろ、その可能性の方が高かっただろう。
「何より、お前が記憶を消していなければ……」
「え……?」
言いかけた言葉を飲み込んだ。
それを言ったところで、今更、どうにもならない。
「まさか、来島も、記憶を消す前のわたしに会ったことはあるの?」
「あるよ」
それを伝えた所で何が変わるわけでもない。
彼女の心に一石を投じるような話でもない。
それでも、少しの変化を期待して……。
「俺は、昔、ライト様を通して、幼い頃のお前に会ったことがある」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




