犠牲になるのは
「えっと、どうした?」
目の前には不機嫌そうな来島の顔。
その理由は分かっているけど、あえて聞いてみる。
「別に」
そっけない返事。
「えっと、ごめんね?」
「何の謝罪だよ?」
「ベッドをお借りしてしまったこと」
それぐらいしか思い当たらない。
部屋主がいるのに、ベッドを使うなんて酷い話だよね。
わたしが答えると、来島は大きく溜息を吐いた。
「お~ま~え~な~」
彼は珍しく迫力のある声でそう言うと、わたしの頭をわしっと掴んだ。
「男の前で無防備にほいほい寝てるんじゃねえ!!」
「ほ?」
わたしに対して「導眠魔法」まで使って眠らせようとした青年は、いきなりそんなことを口にした。
「もっと危機感を持てってんだよ」
「危機感って、仕方ないじゃないか。いきなり眠くなっちゃったんだから」
「お前、俺が邪な気持ちを抱く可能性は考えなかったのか?」
「邪……? 来島は寝ているわたしに無理矢理どうこうする趣味はないでしょ?」
わたしのことを好きだって言ってくれたし、その、彼からの気持ちも嫌というくらいよく分かった。
だから、寝ているわたしに手を出すことはしないと思っている。
だが、何故か、来島は天井を仰いだ。
「これは絶対、笹さんのせいだ」
ぬ?
何故に九十九のせい?
「あのな~、普通は、好きな女が気を許した状態で寝ていたら本能的にムラムラするんだよ! 男ってのはそんな生き物なの! 逆に我慢できる聖人男性の方が異常なの!」
「ほ?」
いきなり叫ばれてわたしは目が点になったと思う。
そして、それと九十九の関連性が分からない。
「で、でも、何もしてないでしょう?」
念のため確かめたけど、起きた時に身体に変な感覚も残っていなかったし、見える範囲では紅い印もなかった。
服も眠る前と同じで乱れてもないし、髪も、寝ていたから多少は乱れていたけど、普通、だったと思う。
「できなかったんだよ」
「ふえ?」
でき……、なかった?
「本当はこんなことをしたかったのに」
そう言って、掴んでいたわたしの頭に顔を埋める。
「ふわっ!?」
いきなりの行動に思わず、声が出た。
「なるほど……」
「なななな何がっ!?」
納得したような来島の声にわたしが反応して顔を上げると、いきなり顎を捉まえられて、唇を重ねられる。
―――― な、なんで!?
いや、確かに昨日、寝る前にこんなことをしたけど!
それでも、もう止めてくれると思ったのに!!
だけど、彼の行為はそれで留まらない。
さらにまたわたしの口内に侵入し、柔らかいモノがぞろりぞろりと動く。
彼から濃厚なキスをされるのは、初めてではないのに、その柔らかく熱い感覚だけで、ぐらりと脳が揺らされ、手足から力が抜けてしまうのはどうしてだろう?
「おっと……」
来島が唇を解放し、そのままわたしの身体が崩れ落ちないように腰を抱き、しっかりと支える。
「お前は起きている時の方が、無防備みたいだな」
「ど、どう、言う……意味?」
自分でも舌足らずになっていることが分かる。
口は解放されたのに、まだそこに残る熱い感覚は治まらない。
「せっかくだ。今後のためにもう少し、試すか」
「は……?」
わたしが彼を問い質す暇もなく抱え上げられる。
抱き上げられる独特の浮遊感に焦る間もなく、昨夜のようにベッドに降ろされた。
「できるだけ、我慢しろよ?」
「が、我慢?」
「寝ている時のお前に吹っ飛ばされたからな。その慰撫ぐらい頂いてもいいだろう?」
「い、いぶ?」
慰謝料みたいなもの?
「いや、その前になんで吹っ飛ばされたの?」
わたし自身にそんな覚えがないってことは、恐らく「魔気の護り」が働いたのだろう。
起きている間はある程度、意識的に体内魔気の放出を押さえることはできるけど、寝ている時まで責任はとれない。
「俺がお前に悪さしようとしたから?」
「自業自得でしかない!!」
そして、それで慰謝料請求とかおかしい!!
ちょっと、待って?
つまり、彼は寝ているわたしに対してもそう言った感情を抱いたと言うことで……。
「ちょっ……?」
「まあ、気にするな」
「気にする! 気にさせて!」
寧ろ、気にしないでいられるはずもない。
だけど、妙に笑顔な来島は……。
「少しだけだから」
「嘘吐きっ!!」
「『考えるな、感じろ』って言うだろ?」
「名言だけど、それって、こういう使い方じゃないと思うの~~~~っ!!」
そんなわたしの叫びなど、当然の如く無視をするのだった。
****
「ううっ」
俺のすぐ横で、黒髪の女は突っ伏したままそう呻いた。
その姿を見て、流石に少しばかりやりすぎたかと思う感情は確かにある。
俺だって、鬼や悪魔ではないのだ。
だが、相手は自分が惚れた女で、さらに自分の行為に対して、それなりに可愛らしい反応が返ってきた。
その上、辱めを受けていると言うのに、彼女は「魔気の護り」を発動させなかったのだ。
少なくとも、嫌われてはいないことがこれだけでも分かる。
そうなると、俺にも行為に熱が入って、調子に乗ってしまって突き進んでしまったのは、仕方ないだろう。
男に理性を期待してはいけない。
しかも、一度、寸前でお預けされた身なのだ。
本当に嫌なら、全力で抵抗すれば良いだけの話だろう。
確かにこんな行為をされている時に、筋肉に力が入らないというのは分かるが、魔力ならば話は別だ。
感情次第で、ある程度はどうとでもなる。
何も考えず、相手に敵意を抱くだけで、魔法封じなどをされていない限りは十分すぎるだけの威嚇や攻撃はできるのだ。
そして、それだけの魔力を彼女は持っていることは間違いない。
少しでも、俺を憎めば、昨夜のように「魔気の護り」をぶっ放したことだろう。
それなのに、一方的に俺だけが悪いと責められるのは割に合わないだろう。
「生きてるか?」
俺は柔らかい黒髪を撫でながら耳元で囁く。
「ううっ、酷すぎる」
耳を赤らめながら、顔を伏せたまま、彼女はそう答えた。
「人聞きの悪いことを言うなよ。これでもかなり譲歩してやったんだぞ」
「あ、あれで?」
顔は見せないが、肩が大きく震えたのはよく分かる。
「抵抗しないお前も悪い」
「あんな状態で、できるか!!」
「あんな状態って?」
「あ、あんな辱め」
黒髪の女が顔を伏したまま口ごもる。
耳が先ほどよりも赤かった。
触ると火傷しそうだ。
「具体的に言ってくれなきゃ、俺、分かんねえな~」
「言えるか!!」
まあ、初心者の上、羞恥心があれば口にすることはできないだろう。
つまり、俺からされた行為の意味が分からないほど子供でもないらしい。
だけど、そのまま、彼女は動かなくなった。
いろいろな感情で動けなくなったのだろう。
その姿に、流石に数少ない罪悪感が刺激される。
「お前ももっと抵抗しろよ。だから、俺もつい……、あそこまで……」
「できないよ」
俺の言葉を遮るようにポツリと零された。
「わたしが抵抗したら、多分、相手を殺しちゃう」
その言葉にゾクリとしてしまう。
それは、弱々しい声なのに、絶対的な確信が込められた力強い言葉だった。
「殺せよ」
俺は思わずそう言っていた。
「それはできない」
そして、それを彼女は迷うことなく拒絶する。
「じゃあ、自分が犠牲になるってか?」
「相手を殺すよりはずっと良いよ」
その言葉にイラっとする。
自分が生き延びてこその人生だろ?
それを俺が口にする立場にないことは分かっていても、言わずにはいられなかった。
「ふざけんな!」
自分でも想像しなかったほどの大きな声が出た。
彼女はようやく身体を起こして、俺を見る。
「お前が犠牲になるのはバントだけで十分なんだよ! なんで、ソフトボールじゃねえのに自己犠牲気取ってんだ!?」
「バントって……」
俺の言葉に、彼女は苦笑する。
ああ、自分でも口が滑った。
それは今、言わなくても良い言葉だ。
だが、前で見た時に思ってしまったんだ。
自分が死んで笑っている姿を見て、もっと悔しがれと。
「そっか、来島は、そこまで見ていてくれたんだね」
ふと、黒髪の女は笑った。
「でも、諦めることが必要な時もあるんだよ」
そんな自虐的な言葉と共に。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




