眼中にないわけではなく
「さて……、残念ながらヤり損なったわけだが……」
事実は事実として口にさせてもらう。
別の男から逃げ出して、部屋に来た上、俺の意思を惑わし、弄ぶようなことをされた事実に相違はない。
身綺麗にして、素直に腕に収まり、唇を奪っても逃げやしない。
ほとんどが服の上からとはいえ、大人しく触られていた。
ここまでさせておいて、その先を期待するなっていうのは無理があるだろう。
これが、童貞男なら、日頃はどんなに冷静な男でも、我を忘れて暴走してしまうほどの事態だ。
いや、怒りのあまり、相手の気持ちを無視した犯罪行為に突っ走ってもおかしくないほどの裏切り行為とも言っても過言ではない。
この辺り、女には分からないだろうけどな。
「おい、いつまでそこで小さくなってるんだ? ただでさえ、小さいのに」
「いや、だって……」
彼女は口ごもりながら、俺を見る。
こんな時にも男に対してそそるような表情を見せるとか、計算しているとしか思えん。
「気になるんなら、今からでも続きをしても良いんだぞ?」
寧ろ、そっちらを推奨したいぐらいだ。
俺自身も、まだ落ち着いてはいないのだからな。
今からでも十分できるだろう。
「それは、ごめん」
そして、予想通りあっさりと拒否をされる。
先ほどまでのように、流されるだけだった状態から回復すれば、彼女の意思は強い。
一度でも、拒めばちゃんとそれを貫こうとする。
「分かってるよ。栞は流された……って言うか、俺が弱ったところに付け込んだだけだ」
それはある意味定石でもあることだ。
基本的に傷心の女は堕としやすいし、そこに異性に慣れていなければ、甘い言葉を吐くだけで、つけ込める隙は格段に増えていく。
ただ今回の場合、いくつかの問題があった。
俺が彼女のことを好きだが、彼女を傷つけてしまった男とも面識があって、さらに、その男のことも嫌いじゃなかったということだ。
相手を知っていれば攻略はしやすいが、同時に、何をしていてもその相手の顔が頭をチラつくのだ。
嫌じゃねえか?
彼女に触れるだけで、鋭く睨んでいる男の顔が容易に想像できるって。
さらに行為中もずっと殺気を感じるとか。
見えているわけではないだろうけど、気配だけである程度、察する護衛って有能過ぎて本当に困る。
いや、そこで開き直って見せつけようとすることができれば、新たな世界の扉を開けられる気もしたが、残念ながら、俺にそんな趣味はなかった。
さらに、そこに至るまでには、もう少しいろいろな経験が必要だと思ってしまったのだ。
「でも、それは……」
「良いから、俺を悪者にしとけ」
「そんなこと、できないよ。悪いのはわたしじゃないか」
彼女は自分自身を責めるが……。
「別に栞は俺のことを誘惑したわけじゃねえだろ?」
「ゆっ!?」
少なくとも、意識的に誘惑はしていない。
無意識の誘いは何度もあったぞ。
例えば、今とかな。
顔を紅くして、大きな瞳を潤ませつつ上目遣いとか、童貞男の即死コンボだ。
「俺は何度も口説いたし、誘ったぞ。多少、強引だったことも認めてやろう」
割と、俺にしては分かりやすく頑張ってみた。
全てが無駄だったとは思えない。
少なくとも、彼女の心の隙間に割り込めたぐらいの手応えは感じている。
長期戦なら落とすことはできただろう。
惜しむべくは、俺に残された時間だな。
だから、多少は焦りもあったことは認めようか。
「来島は、本当に良い男だね」
「おお、惚れたか?」
「…………」
「いや、そこで、黙るなよ。かえって、傷つくじゃねえか」
反応が素直過ぎて笑えてくる。
そして、俺に気遣うなと言ってやりたかった。
「こんな時にそんな冗談は言えないよ」
彼女はそう言いながら、頬を膨らませる。
その様子が、可愛らしくて、思わず笑ってしまった。
そのままで、良い。
そのまま変わらず、もっと誰かさんを苦労させてやれ、と心の底から思う。
「そうだな。嘘でも言えない。そんな女だよな、お前は」
それは、はっきり分かっている。
嘘を吐いてまで、相手に期待を持たせない。
ダメな時はダメと断れる。
非情ではないが、それなりに状況を読み解く程度には、冷静な判断力を持ち合わせているのだ。
「そんな顔するな。俺は、こんな場所で、懐かしいお前に会えただけで十分、幸せなんだ」
その言葉には嘘はない。
俺に残された時間はもうそこまで残っていないだろう。
あの「女」が言っていたではないか。
「長く見逃せない」と。
それも分かっている。
人間界での縁を繋ぎ、縋り続けるつもりはもともとなかった。
そんなことをすれば、あの「男」はそこを必ず狙ってくる。
少しでも他人の付け入る隙を狙っている「男」だ。
あの「男」に、僅かな弱みを見せてやるつもりはない。
だから、外からの監視を拒む結界の多いこの場所を選んだのだ。
この場所に、彼女が来ることになったのは計算外だったが、好都合でもあったのだ。
俺はただ、彼女に思い出して欲しかった。
昔の縁を忘れて欲しくなかった。
そして、あの青年とは別の「特別」が欲しかった。
分かっている。
こんな温い考えはもう捨てる時期だと。
だから、最後の仕事はしないとな。
****
「かなり落ち着いたようだな」
「うん。来島のおかげだね」
彼女は微笑む。
警戒心のない笑み。
それが妙にくすぐったい。
「来島は、なんでここにいたの?」
だが、いきなり現実に戻される。
彼女がその疑問を抱くのは当然の話だ。
「ん? どう言う意味だ?」
だが、そこであえてとぼけてみる。
「いや、5年ほど人間界にいたってことは、あなたもそれなりの身分の人だってことでしょう? それなのに、なんで、こんな所にいたのかな~って思って……」
「『ゆめの郷』に住んでいる連中は、基本的にワケありばかりだからな。俺は気にしないが、あまり、他のヤツに対してその辺りは突っ込まない方が良いぞ」
こう言えば、基本的に他人の気持ちを考えてしまう彼女は、これ以上、追求をしない。
相手が多くを語らないと言うことは、そのことについて話したくないものだと解釈してくれるから。
「……そうだね」
そう言って、俯きがちに答えたが、何故かふわりと口元を緩ませた。
「どうした?」
「ふえ?」
「顔が、緩んでるぞ」
「失礼な。これは地顔だよ」
確かに彼女は基本的に笑っているが、先ほどのような微笑みは珍しい。
だけど……。
「口……」
「へ?」
「本当に治さなくて良いのか?」
その口の端が痛々しく思えた。
確かに思いっきり引っ張ってしまったのは俺だが、何故か彼女は治させてくれない。
「良いよ。来島から付けられた傷だからね」
本当になんでもないことのように彼女は笑った。
でも、俺としてはもっと違う形で傷を残したかった。
そんなすぐ癒されるような分かりやすい傷ではなく、一生、その身体に残ってしまうほど深い傷を。
「いや、勢い余ったとは言え、仮にも女の顔に傷をつけたことと、そのままにしてると笹さんから何、言われるかどうか……」
「? この場合、九十九は関係なくない?」
その言葉はいろいろちょっと報われない。
これって、もしかしなくても、彼女にとってあの黒髪の青年はそこまで眼中にない存在なのか?
「お前にとっては無関係でも、俺にとっては関係、大ありなんだよ」
「そうなの?」
「笹さんは恋敵だからな」
なんで、俺がここまで言わなきゃならんのだ?
これって、分かりやすく敵に塩を送っている気がする。
だけど、そこまで言わなければ、もっと俺が報われない。
「こ?」
それでも疑問符を浮かべる彼女。
そして、何故か首を振る。
これは、あの青年が眼中にないわけではなく、あえて、意識的に自分の視界へ入れないようにしている気がした。
彼女が、あの黒髪の青年に対して、そこまでする理由は分からないけれど、その結果、襲われてるんだから、いい加減、認めれば良いのにな。
尤も、そこまで親切に教えてやる気などないのだが……。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




