突然の変化
「いっ、ああああああああああっ!?」
自分のすぐ近くにある口から、そんな悲鳴が溢れ、思わず、背筋がゾクリとした。
思わず、嗜虐心が刺激され、このまま、別の方向性の声を上げさせたくもなったが、ぐっと堪える。
残念だが、それは、俺の仕事じゃない。
「遅いんだよ、ば~か」
それまでの行為をなかったかのようにするために、努めて軽い口調で言ってみる。
「ひっ、ひどっ……」
目の前の黒髪の女は、顔を紅くし、瞳を涙で潤ませながら、口を押さえた。
それだけの仕草だと言うのに、妙に扇情的に見えるのは、先ほどまでの行為も相まってのことだろう。
「言っておくけど、酷いのは栞の方だからな」
これだけは言ってやる。
「散々、こっちをその気にさせておいて、結局、『待った』をかけやがって……。そりゃ、俺だって、仕返しの一つぐらいしたくもなる」
そんな俺の抗議に、彼女は「うっ」と言葉に詰まった。
散々、こちらの雄を刺激しておいて、寸止めとか普通はあり得ねえ。
このまま、彼女の意思を無視して事に及んでも、大多数の男は俺を咎めない気がした。
「な、なんで?」
それでも、彼女は確認する。
あのまま襲われたかったのか? ……と、聞きたかったが、そんな気がないことは分かっている。
何故なら……。
「表情が戻った」
熱に浮かされ、行為に身を任せるだけだった彼女の瞳に、いきなり光が宿ったのだ。
強く眩しい光。
俺が、本気で憧れた……、別人に近いほどの変化。
「それに、そこまで露骨に体内魔気が変化していれば、余程鈍感じゃない限り気付く」
一瞬で、引き裂かれるかと思った。
それだけ……、殺気にも似た刃が……、強い嵐が、周囲に表れたのだ。
普通の男なら、すぐに彼女から離れようとして、そのまま、無意識に押し出された空気の塊にやられたことだろう。
だから、俺は、彼女を正気に戻す方を優先したのだった。
彼女の意識がしっかりしていれば、目の前にいる人間を八つ裂きにするようなことはないと信じて。
「も、戻った?」
だが、当人のその自覚は全くなかったようで、黒髪の女は自分の頬をペタペタと触り、不意に顔を顰めた。
「痛かったか?」
確かに慌てていたこともあって、力の加減はできなかったかもしれない。
俺は、咄嗟に、彼女の口に両手の親指を突っ込んだ上、横に引っ張ったのだ。
いきなりの行為に驚いた彼女は、現実に戻ってきてくれたが、相応に痛みはあったことだろう。
「そ、そりゃ、まあ……」
「さっきまでのお前はどこか正気じゃなかったからな。悪いが、荒療治させてもらったぞ」
「あ、荒療治って……」
引っ張った頬や口を撫で、目の淵にも触れながら、彼女が確認してくる。
やはり、自覚はないらしい。
「俺が好きなのは迷いがなく、活きの良い女なんだよ。さっきまでのお前は俺の好きな『栞』じゃねえ。そんなヤツを抱いたってムカつくだけだ」
そんなワケはない。
ムカついたって、抱くという事実には変わりはないのだ。
誰も踏み入ったことがない彼女の「最初の男」というだけでも、その心象が変わったことだろう。
一度ぐらいで従順になる女だとは思えないが、少なくとも、抵抗は薄れるようになるはずだった。
だけど、俺だって命は惜しい。
こんな所で無駄死にすれば、何のためにここに来たのか分からなくなってしまう。
いや、それはそれで、彼女にとっては「特別な男」になれる気がするのから、大概、俺も重症だと思う。
黒髪の女は、顔を伏せた。
「なんだよ?」
「ううん」
少しは、罪悪感はあるのだろう。
「言っておくが、破瓜の時の痛みはそれによく似ていて、オマケにもっと痛いらしいぞ」
どこかの女がそう言って、俺の頬を引っ張ったことがある。
流石に、口に手を突っ込みはしなかったが、それなりに痛かった。
それでも、本当の痛みなど、男の俺が知ることなど、一生ないのだろうけど。
「うげ……」
だが、その痛みを理解したのか、彼女は露骨に嫌そうな顔をして見せた。
男の俺はこの先も知りえないが、彼女は遠くない未来にその痛みを知ることになるはずだ。
尤も、「神子」、いや、「聖女」であることを理由に、生涯、男に身体を許さないという選択肢もあるだろうが、まあ、無理だろうな。
本人が嫌がった所で、恐らく周囲が彼女を放っておかない。
俺としては、精々、合意の上で、かつ、当人が満足できるものであることを祈るしかないな。
あのまま正気に返らず、身体の反応に任せ、素直に流されておけば良かったのに。
ついでにもう少し脅しをかけておくか。
「フラレ男」にできるのはそれぐらいだ。
「熱い鉄の棒を突っ込まれるような痛みと言うヤツもいるし、自転車のサドルで尾骶骨を打ってケツに大ダメージがあった時のような激しい鈍痛と言うヤツもいた。まあ、抉られるような痛みや肉を裂かれるような痛みと言うのが一般的だな」
いや、女によっては肉を抉られた方がマシだったと言ったヤツもいた。
「……どこ情報?」
その瞳には分かりやすく怯えの色がある。
それは言葉に対してか。それとも、俺に対してか。
「お前、俺が未経験者だと思うか?」
「思わない」
即答された。
「つまりはそう言うことだ。そこで納得しとけ」
「なるほど……」
人間と言う生き物は、何故かどうでも良いことを自慢したがるものらしい。
男は、魔法攻撃や物理攻撃にどれだけに耐えたかとか傷を負ったかなど死線を越えたことを多少、大袈裟に誇張して誇ったり、人を害した、異性を抱いたなど相手より上に立とうと語りたがる。
それは分からなくもない。
だが女は、正常、異常に関わらず、破瓜、行為、妊娠、出産時のように男には分からぬ部分を武勇伝のように語るのだ。
具体例を交えながら、血やいろいろなものに塗れた話を長々と聞かされた方はたまらないだろう。
そして、その神経が分からない。
「俺の国では、男女ともに15歳になる生誕の日までにヤっておかないといけないんだよ」
「……は?」
人間界で育ったとかは関係なく、これは普通の反応だろう。
「名目上の理由は、男の場合は発情期対策だな。女の場合は少子化対策」
あくまでも名目上の理由だ。
実際はもっと黒い事実が隠れているのだが、そこまで説明をする気はない。
「な、何、それ……」
「魔界人は15歳が成人だからな。そこに疑問を持つな」
「い、いや、疑問は持つでしょう」
「国の法律の話だ。そこに個人の意思は関係ないんだよ」
個人の意思でどうにかなるようだったら……、泣く人間はいないのだ。
逃げ出すことも許されず、ただ国のために生きて、国のために死ねと言われて育っていくのだから。
「それに、もし、従わなかったら?」
「身分に関係なく罰則がある。だから、従わざるを得ない」
「罰則……?」
「まあ、人間界とは倫理も慣習も全く違う。そこは聞き流せ」
尤も、俺の国が魔界でもかなり異様だと言うことは、他国を知ってから分かった事実ではある。
だが、知った時には全て遅かった。
既に逃げられぬように黒い印は刻まれた後で、身分が高いほどあの国からは逃げられなくなる。
「因みに、どんな罰則かを聞いても良いもの?」
「…………」
その質問を抱くのは好奇心か、同情か?
だが、俺にこれ以上関わる気がない彼女に言っても仕方がない。
それに、言ったところで救われない人間が増えてしまうだけの話。
彼女は、俺の国の法の数々を、良しとしない人種だから。
「栞は知らないままでいろ。良いな」
これ以上、関わる気がないのなら、踏み込むな。
その意思を強く込めて……。
そして、それを察した彼女も、留まる。
やはり、俺相手にこれ以上踏み込む気にはならないらしい。
だが、もしも、この場にいたのが別の人間だったなら?
彼女は、無理矢理にでも踏み込んできた可能性はあるなと自嘲にも似た息を漏らしたのだった。
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