【第55章― この手が掴んだもの ―】消え入りそうな笑顔
この話から、55章です。
よろしくお願いいたします。
「いっ、ああああああああああっ!?」
わたしはその痛みに耐えかねて、思わず叫び声を上げた。
「遅いんだよ、ば~か」
その痛みを与えた当人である来島はそんな軽い口調で言う。
「ひっ、ひどっ……」
わたしは、自分の口を押さえながら抗議しようとするが、痛みのあまり、まともな言葉にならない。
目尻に涙が溜まっているような気がしたのは気のせいではないだろう。
「言っておくけど、酷いのは栞の方だからな」
来島は鋭い瞳でわたしを睨む。
「散々、こっちをその気にさせておいて、結局、『待った』をかけやがって……。そりゃ、俺だって、仕返しの一つぐらいしたくもなる」
「うっ」
確かに酷いかもしれない。
だけど……。
「な、なんで?」
わたしは抵抗する前だったのだ。
制止の声すらまだ出していなかったのに。
「表情が戻った。それに、そこまで露骨に体内魔気が変化していれば、余程鈍感じゃない限り気付く」
「も、戻った?」
思わず、ペタペタと自分の頬を触ると、口の両端がピリピリと痛んだので、思わず顔を顰めてしまった。
「痛かったか?」
「そ、そりゃ、まあ……」
あの時、来島は、いきなりわたしの口に左右の親指を突っ込み、思いっきり左右に引っ張ったのだ。
口の両端から裂けてしまうかと思った。
そして、今もまだ痛いから、もしかしたら、少しだけ切れたかもしれない。
でも、彼が何故、いきなりそんな暴挙に出たのかは、なんとなく分かる気がした。
「さっきまでのお前はどこか正気じゃなかったからな。悪いが、荒療治させてもらったぞ」
「あ、荒療治って……」
頬と口に触れながら、確認する。
「俺が好きなのは、迷いがなく、活きの良い女なんだよ。さっきまでのお前は俺の好きな『栞』じゃねえ。そんなヤツを抱いたってムカつくだけだ」
来島は不機嫌そうにそう言った。
彼には、あのまま、強引にわたしを抱くこともできた。
あの状態なら、多少、抵抗したところで、魔力を伴わない女の力ではどうにもならないことはもう知っている。
いや、下手すれば、わたしが抵抗すらできない状態に追い込むことだって彼なら、できたはずだ。
だけど、彼は止めてくれた。
それは、彼なりの優しさ……なんだろう。
それを素直に言ってくれないところが、来島らしいとも思ってしまう。
「なんだよ?」
「ううん」
じろりと睨む来島に対して、わたしは罪悪感から顔を伏せる。
確かに、彼の言う通り、わたしが酷いことには変わりないのだ。
期待を持たせた上で、結局、拒もうとしていたのだから。
「言っておくが、破瓜の時の痛みはそれによく似ていて、オマケにもっと痛いらしいぞ」
意地悪そうに笑う来島の言葉に……。
「うげ……」
その痛みを想像して、思わず変な声が出た。
具体的な痛みを与えられた今だからこそ、容易にそれを想像できてしまう気がする。
そして、確かに、この痛みを越えるほどなら、その時に出血することが多いというのも納得だ。
これは、確かに凄く痛い。
「熱い鉄の棒を突っ込まれるような痛みと言うヤツもいるし、自転車のサドルで尾骶骨を打ってケツに大ダメージがあった時のような激しい鈍痛と言うヤツもいた。まあ、抉られるような痛みや肉を裂かれるような痛みと言うのが一般的だな」
「どこ情報?」
淀みなく、つらつらと並べ立てられ、しかも妙に具体的な言葉の数々に思わず退いてしまう。
「お前、俺が未経験者だと思うか?」
「思わない」
これまでの行動から、寧ろ、かなり慣れている方だと思う。
危うく、流されるほどだったし……。
「つまりはそう言うことだ。そこで納得しとけ」
「なるほど……」
相手の女性から聞いたということか。
そして、わざわざわたしにそれを聞かせると言うことは、まあ、彼なりの仕返し、みたいなものなのだろう。
「俺の国では、男女ともに15歳になる生誕の日までにヤっておかないといけないんだよ」
「……は?」
来島からの突然飛び出した発言に思わず、聞き間違えたかと思い、短く問い返す。
「名目上の理由は、男の場合は発情期対策だな。女の場合は少子化対策」
「な、何、それ……」
言われた言葉の意味を、整理しながら考える。
15歳になる生誕の日まで、つまり誕生日までってことだ。
そうなると、中学三年生のうちに異性経験をしておかないといけないってことになる。
いろいろ無理があるのではないだろうか?
「魔界人は15歳が成人だからな。そこに疑問を持つな」
「い、いや、疑問は持つでしょう」
この世界では15歳が成人。
つまり、彼の国の決まりなら、成人なる前に相手を探して性体験をしろということだ。
この世界でも、それは少し不思議な気がした。
「国の法律の話だ。そこに個人の意思は関係ないんだよ」
来島は、そう言いながらも少し、目を伏せた。
「それに、もし、従わなかったら?」
「身分に関係なく罰則がある。だから、従わざるを得ない」
「罰則……?」
つまりは強制的な決まり事ってことだ。
そんなこと、国ぐるみで無理矢理させなければいけないようなことなのだろうか?
割と余計なお世話だと思う。
しかも、実際にしたかどうかなんて、外からは分からないと思うのだけど……。
「まあ、人間界とは倫理も慣習も全く違う。そこは聞き流せ」
確かに国が違えば考え方も違う。
そこは分かるのだけど……、どこか納得できないものがある。
「因みに、どんな罰則かを聞いても良いもの?」
納得は出来ないけれど、国で決めたことは仕方がないと思うしかないのだろう。
でも、罰則が軽いなら従わない人間もいるかもしれない。
だけど、この来島が「従わざるを得ない」というほどのものだ。
実は、かなり重いのではないだろうか?
「…………」
来島の眉間に深い皺が刻まれた。
そして、長い沈黙の後……。
「栞は知らないままでいろ。良いな」
かなり鋭い口調でそう言われてしまえば、わたしは素直に頷くしかない。
この「ゆめの郷」で、躊躇なく人を斬れるような彼が、思わず言葉を濁すほどのことだ。
わたしは、聞かなかったことにした方が良いのだろう。
「さて、残念ながらヤり損なったわけだが……」
言葉は酷いが、彼の言うことは事実だから仕方ない。
わたしができることと言ったら、反省ぐらいだろうか?
「おい、いつまでそこで小さくなってるんだ? ただでさえ、小さいのに」
酷いことを言われている気がする。
「いや、だって……」
わたしは口ごもる。
「気になるんなら、今からでも続きをしても良いんだぞ?」
「それは、ごめん」
「分かってるよ。栞は流された……って言うか、俺が弱っていたところに付け込んだだけだ」
「でも、それは……」
「良いから、俺を悪者にしとけ」
「そんなこと、できないよ。悪いのはわたしじゃないか」
弱っていたことは認めるし、思考がおかしいとも思った。
だけど、流されたのは間違いなくわたしだ。
彼の優しさに甘えて、結局のところ、利用したのだ。
それが意識的か、無意識かなんて関係ない。
「別に栞は俺のことを誘惑したわけじゃねえだろ?」
「ゆっ!?」
確かにそんなことをした覚えはないのだけど……。
「俺は何度も口説いたし、誘ったぞ。多少、強引だったことも認めてやろう」
「来島は、本当に良い男だね」
気遣わせないようにそう言ってくれていることぐらい、わたしにだって分かっている。
そのことが本当に申し訳ない。
「おお、惚れたか?」
「…………」
そんな風に軽く返され、思わず閉口してしまった。
「いや、そこで、黙るなよ。かえって、傷つくじゃねえか」
「こんな時にそんな冗談は言えないよ」
わたしがそう答えると、来島は何故か破顔した。
「そうだな。嘘でも言えない。そんな女だよな、お前は」
良い笑顔をしてそう言われたが、あまり嬉しくはない。
「そんな顔するな。俺は、こんな場所で、懐かしいお前に会えただけで十分、幸せなんだ」
そう言って笑う来島を見て、わたしは、何故か彼がこのまま消えてしまうような錯覚を覚えてしまったのだった。
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