少しの言葉で
「美味しい」
来島の運んできた料理を口にして、思わずそう呟く。
キノコの雑炊みたいな料理に、野菜たっぷりのスープ。
特にスープは人間界では難しくなくても、魔界ではこれだけの種類の野菜を一緒に煮込むって難しい。
反発したり、作用したりでかなり変化するからだ。
しかも、そこまで時間が経っていない。
彼はどんな魔法を使ったのだろう?
「口にあったみたいで良かった」
来島が照れたように笑う。
「この前の店よりも、美味しい」
なんと言うか、あっさりしていて食欲の進む味?
いや、もともと、キノコの雑炊系は好きなのだ。
しかもほんのり和風っぽい味。
人間界で言う白だしベースの雑炊に醤油で味を調えて……、って感じの味。
「店と比べるなよ。プロには勝てん」
「そう? わたしはこっちの方が好きだよ?」
この世界の料理にプロも素人もない気がする。
料理が得意な九十九だって、プロの料理人というではないし。
寧ろ、料理人扱いすると怒るほどだ。
「お前はそう言うことをさらっと言うよな」
何故か片手で目元を押さえながら、来島はそんなことを言った。
「へ?」
「ストレートな褒め言葉が多いよなって言ってるんだよ」
「そうかな? 素直な感想なのだけど……、回りくどく褒めた方が良いもの?」
個人的にははっきりと分かりやすい表現の方が好きなのだけど、それは魔界ではよろしくない表現だったとか?
「俺はそう言いたかったわけではないが、具体的にはどう回りくどく言うつもりだ?」
「そうだね~。えっと、この雑炊だけど、あっさりしていてどことなく和風仕立てで美味しい……みたいな?」
「それも割と直接的な褒め言葉だと思うぞ」
ぬう、これでもか。
「栞は『美味しい』とか『好き』とかの素直な言葉が多いんだよ」
「美味しい物を美味しいって言って何が悪いの?」
「腹芸ができないって話だ」
「腹……、芸……?」
頭の中に、お腹に絵を描いて踊る人のイメージが出てきた。
これは違う。
多分、違う。
「何を考えているか手に取るように分かるが、そっちじゃない。企むことができないヤツだろうなってことだ」
そうかな?
わたしは自分では、結構、腹黒いと思う。
周囲から思われているほど純粋でも素直でもないし、勿論、「聖女」でもないのだ。
だけど、周りの印象って大事だし、そう思われているなら、そう思わせておいた方が良いってことも理解できる。
敵になる人間は少ない方が良いし、無能だと思わせていた方が、油断も誘えるしね。
「思った言葉を全て口にする気はないけど、美味しいものは美味しいと言いたいし、好きなものは好きって言いたいよ」
マイナスな言葉なら口にするのは考えるべきだと思うけど、プラスの言葉は言われた方も嬉しいとは思う。
「じゃあ、俺のことは?」
「ふへ?」
「好きか? 嫌いか?」
「……嫌いじゃないよ」
嫌いだったらこんなに困らない。
「じゃあ、好きか?」
「…………」
それについては、答えることができない。
友人としては「好き」だと思うけれど、それは彼が言っている意味とも知りたい答えとも違うことぐらい分かっている。
「本当に素直な反応だな」
答えを濁しているというのに、彼はそう言った。
「とりあえず、せっかく作った飯が冷める前にしっかり食え」
作り手からそう言われては、素直に目の前にある料理を食べるしかない。
料理を作った人間以上に、美味しい食べ時を知る者はいないだろうから。
うん、改めて食べても美味しい。
そして、どこか懐かしいような味。
人間界では、わたしもよくこんな料理を作った覚えがある。
椎茸や舞茸、エリンギやエノキダケがいろいろ入った料理は好きだったし、野菜がいっぱい入った煮物や味噌汁も好んで作っていた覚えがある。
でも、魔界に来てからはこんな料理は作れなくなった。
分かっている。
それらと決別して、わたしはこの世界に来たのだ。
だけど、何年も経つと言うのに、たまにその世界が恋しくなる。
戻りたいわけじゃないのだけど、忘れたくはないあの世界のことを。
「栞……、どうした?」
例えば、人間界で出会った友人の優しい声を聞いた時とか。
「ん? 料理、美味しいなって思って……」
例えば、人間界を思い出すような、どこか懐かしくて切なくなるような味を噛みしめている時とか……。
「そうか……」
それ以上、来島は何も言わなかった。
ただ、無言で互いに料理を口にする。
静かな部屋に時折、聞こえる微かな音。
それが妙に落ち着く気がした。
改めて、前にいる赤い髪の青年を見る。
顔は良い。
間違いなく良い。
魔界人は男女問わず整った顔立ちの人が多いのだ。
いや、気にするのは「まず、顔か? 」と問われたら、「まず、顔だ」と答える程度にわたしだって容姿というものは重要な判断基準だと思う。
流石にどこぞの法力国家の王女殿下のように、「何よりも顔が一番だ! 」と言い切る気はないけれど、やはり悪いよりは良い方が良いに決まっている。
尤も自分の顔が良いかと言われたら、良くも悪くも普通かなとは思うけど。
性格は、掴み所はないと思うけど、悪くはないと思っている。
わたしを揶揄うところはあっても、そこに傷つける意思、悪意のようなものを感じたことはない。
割と迷惑をかけても、それを気にしていないように振舞っているのは同年代の男性としてはかなり凄いのではないだろうか。
何より、友人である以上、ある程度は自分の基準以上のラインにはあると思っている。
だけど、その友人を越える感情を持つような決定打には何か欠けている気がするのだ。
でも、それが何なのか、自分でもよく分からない。
燃えるような熱を自分の中に感じないと言うか……。
そして、それは、黒髪の護衛青年にも言えることで……。
わたしは贅沢なのだろうか?
それとも、人として、何か欠けているのだろうか?
「ごちそうさまでした」
手を合わせて一礼する。
「お粗末様でした。口にあったようで、良かった」
そう言いながら、来島が柔らかく微笑んだ。
「来島って、時々、古風な言い回しするよね」
「古風?」
「『お粗末様でした』って日本でも古風な言い方だと記憶しているけど……」
わたしの脳内にある自動変換というやつがどう仕事しているか分からないが、過去に数年、日本で生活していたことがあったのだから、そのままの言い回しをしている可能性はある。
「あ~、あまり意識してなかったけど、日本語は好きだったから、そのせいで自然と口に出ているかもな」
「来島は、どちらかと言えば、英語派だと思っていたよ」
彼は国語より、英語の方が得意だったと記憶している。
「英語は耳馴染みがあったから分かりやすかっただけで、好みで言えば、俺は日本語の方が好きなんだよ」
まあ、英語はライファス大陸言語にそっくりだからね。
でも、日本語に該当しそうな言葉は、法力国家に残されていた神子語……?
「短歌や俳句とかも好きだけど、四字熟語とか凄くね? たった漢字四つで伝えるんだぞ」
「ああ、焼肉定食とか百円均一とか?」
「ベタな言葉だな。『酒池肉林』とか『奢侈淫佚』とかあるだろう?」
「わたしが言うのもアレだけど、言葉の選択が明らかにおかしい」
多少なりとも、好意を持っている女性に向かって言う言葉ではない気がする。
「いや、『酒池肉林』は有名だが、『奢侈淫佚』で伝わるのも、割と凄くないか?」
考えてみると、そうかもしれない。
彼も聞き返されると思っていたのだろう。
あまり一般的な言葉でもないし。
「わたしも四字熟語は好きだったんだよ。諺とか、慣用句もだけどね」
「そう言う次元の話ではない気がするのだが……」
わたしだって好きでそんな言葉を記憶しているわけではない。
たまたま、読んでいた歴史小説で出てきたから調べただけだ!
「『奢侈淫佚』に耽ってみるか?」
ふと来島が真顔になる。
「贅沢に興味はないよ」
「そっちじゃねえよ」
なんとなく、この流れは不味い気がする。
先ほどまでのどこか呑気だった雰囲気が、一気に剣呑な雰囲気へと変わったことが分かる。
「く……、来島?」
彼の言葉と鋭い瞳に思わず、後退りをしてしまった。
……だと言うのに、彼は何故か笑う。
「意図は伝わっているようだな」
「あ……っ!?」
どうして、わたしはこうも簡単に腕を取られてしまうのか?
そのまま、腕を引かれるとバランスを崩し、抱き寄せられる形になる。
「俺は十分、我慢してやったからな」
来島はそう言ってわたしの頬を両手で掴んで顔を上げさせると、そのまま唇を重ねてきたのだった。
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