ゆらゆらと揺れる
「お世話になりました~」
しっかりと挨拶をして数日過ごした場所を後にする。
電車に揺られてガタンゴトン……。
わたし以外のメンバーは疲れていたのか眠りについていた。
始めはまた例の紅い髪の人の仕業かと疑いもしたが、周りの乗客の様子は変わらないので、その心配もないようだ。
どうしても疑い深くなるのは仕方ないね。
わたしの護衛である九十九も寝ている。
なんだろうね。
彼はこの旅行中、いつもよりぐっすりと眠っている気がする。
それだけ気が張り詰めていたのかもしれない。
でも、彼に負担がかかっていることは知っているから、できる限り休めるなら、休んでいてほしいとも思う。
わたしは……というと、眠りすぎたせいで、まったく眠くならなかった。
それもそのはず、何でもワカの話では、わたしは露天風呂で湯あたりをしてしまったらしい。
それで、この脱力感と偏頭痛か。
それでも眠った時間が長いために、眠くならないのが悔しい。
皆は気持ちよさそうにすうすうと寝息をたてているというのに。
……それにしても変な夢を見た気がする。
例の紅髪の人がこの旅行先にまで現れて、こともあろうにワカを焼き尽くしたというとんでもない夢だった。
ワカは殺しても死なない気がするのに、何故、そんな夢をみたのか自分でも分からない。
ひょっとして無意識に密かな願望でもあるのだろうか?
内に潜む黒いわたし?
「はぁ……」
思わず、溜息が出てしまう。
帰路は長く感じていた。
行きは皆で騒いだ分だけ早く着いた気もするが、帰りは一人ぼ~っと風景を見ている。
あと数日で、わたしは未知の世界に行くのだ。
ここに居る友人たちとも別れて……。
でも……、魔界に行って、わたしに何が出来るんだろう?
「どうした?」
赤い髪の少年が目をこすりながら、身体を起こしてわたしの方を見た。
「来島……」
あれから来島とこうやって向き合う時間はなかった。
そのために、近くに来られると妙に緊張する。
「さっきからぼ~っとして……、らしくねえんじゃねえのか?」
「ん? 海が見えるな~と見ているだけだよ。そこまで遠く離れているわけじゃないのに、海って案外なかなか見ないからね」
「そうか……」
いつもはお喋りな来島にしては珍しく、あまり喋らなかった。
もしかして、昨日の朝の出来事が響いているのかもしれない。
ただ、黙ってわたしと同じ方向を見ている。
なんだろう、この居心地の悪さ。
わたしはなんとなく目だけで九十九の姿を探してしまう。
「そんなに緊張するなよ。とって食うわけじゃねえんだ」
「別に、緊張なんてしてないよ。来島の方こそ、らしくないんじゃないの? 先ほどから変に黙ってるし」
「俺も海が見たいんだよ」
そう言って、ふいっと顔を横に向けた。
赤い髪の少年は、遠くにいてもよく目立つ。
それでも、不思議と違和感があるような存在として目に映ることはない。
妙に自然と周りに溶け込んでいるのだ。
まるで魔法で暗示をかけられているように。
「海、大きいよね」
「ああ、大きいな」
魔界にも海はあるのかな?
そして、海を見た時、わたしは何を思うのだろう?
「来島は……、幼馴染っている?」
「へ?」
急な話題転換だったからか、来島は、目を白黒させた。
「ん~、ワカも九十九も幼馴染って存在がいるみたいなんだけど、わたしには特にそんな記憶がなくて」
正しくは、幼馴染って存在はいるけれど、覚えていないだけなのだが。
「幼馴染み~? ガキの頃、会って数日ぐらい一緒に遊んだやつとかはいるけど、それ以外でずっと記憶に残るような世間一般で言う幼馴染みはいねえな。小学校に入れば同級生ばかりだからそれ以前の話ってことだろ?」
「その辺は、幼馴染って定義の受け止め方だとは思うけど……」
「それに普通、そこまで昔なら記憶に残らなくないか? 10年前とか俺、覚えてられねえぞ」
つまり、覚えている九十九がおかしいということか?
いや、彼は魔界人だから、一般的な人間の感覚でいたらいけない気がする。
「で、笹さんの本命がその幼馴染ってことか?」
「はい?」
思わぬ来島の言葉に今度はわたしが目を丸くする番だった。
「ん? 違うのか? 昨日の話とかを繋げて考えたら、そうなるのかと思って……」
「いや、九十九の幼馴染が本命? どうしてそうなった?」
しかも、九十九の幼馴染って、「昔のわたし」のことじゃないか?
それが本命……?
いやいやいや、確かに10年間探してくれていたけど、九十九はわたしをそ~ゆ~感じとして扱ってはない。
単にお仕事だから探していたって言ってたし。
「どうしてって……、話からつなぎ合わせて……、でも、最終的には勘?」
「無理やりすぎるよ」
いくら情報が少ないからって、単純すぎる。
いや、情報が少ないから、そうなっちゃうのも仕方ないのか。
あまり詳しく話せることでもないのだしね。
「良いんだよ、単純に俺は笹さんを悪者にしたいんだから」
そんなことを来島は言った。
「へ? なんで?」
「なんでって……。好きな相手を嫌いになるためにはそうした方が、精神的に楽なんだよ」
「だから、なんで、わざわざ?」
わたしがそう言うと、来島はわたしの両頬を手で掴んだ。
「この口を塞げば、黙ってくれますかね? このお嬢さんは……」
挑発的でからかうような笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。
わたしが黙ったことを確認して、来島はその手を離す。
「ああ、なんでこんな女が良いんだろ、俺……」
肩を落としながら、そんなことを言われても困る。
「ま、まあ、そのうち、来島にはもっと良い人が現れるよ」
「……崖の淵にいるような人間を、さらに突き飛ばしに行くか、この女。なかなかの度胸だな」
下手な慰めは、逆効果だったようだ。
でも、こんな時、なんて声かけて良いかわからない。
わたしにそんな社交性を求められても困るのだ!
上級者向け!
いや、超上級者向け!!
「もう良い。お前はいつもどおり、のんきな顔して寝とけ」
「で、でも……」
今は眠くない、とそう続けようとしたけど……。
「こんな人目があるような所で何かしでかすほど俺も恥知らずじゃねえよ。安心しろ。笹さん相手だって、指一本、触れさせないから」
どうやら、わたしが戸惑ったのは別の意味だと思われたらしい。
その心配は全然していなかったけど、否定するのも混乱のもととなりそうだったので黙っておく。
それにしても……九十九?
元々、彼は、わたしに必要以上触れることはないと思うよ?
「本当に誰も何もしないから」
再度、来島がそう呟く。
その声に何かの暗示が入っていたのだろうか?
わたしは、一気に睡魔に襲われた。
どことなく安心したようなそんな感覚がある。
気がついてなかっただけで、実はかなり気を張っていたのかもしれない。
「そ……か。じゃあ、おやすみぃ……」
「おお。ゆっくり休め」
その声を聞いてわたしは舟を漕ぎ始める。
音を立てながらも、ゆらゆら、ゆらゆらとする電車の揺れが妙に心地良い。
車に乗っている時とは、違った感覚。
誰かに背負われたような安心感と少し似ていた。
「ん?」
意識の外で、少し、頭に何か触れた気がする。
それが誰の何によるものかは分からないけれど、彼の言葉を信じるならば、これは悪さではないのだろう。
まあ、これぐらいならわたしも問題はない。
公衆の面前でできる範囲のことだろうし。
でも……。
「なんか……、前にもこんなことがあった気がするよ」
わたしは、夢見心地でそんな言葉を口にしていた。
懐かしくて……、少しだけ切なくなる気がした。
「気のせいだろ……」
夢と現実の境目で、来島の低く穏やかな声が耳を擽る。
ゆらりゆらりと揺れながら、耳に聞こえてくるのは電車が走る音。
そして、周りからは友人たちの無防備な寝息。
それだけじゃないものも感じているが、これ以上、あまり難しいことを考えたくない。
最近、夢見が悪いから、良い夢をわたしは見たいのだ。
夢の中にわたしの意識が呑まれていく。
身体の重さも感じなくなる頃、わたしは誰かの声を聞いた気がした。
それが誰の声かは分からない。
性別も高低も明暗も、そこに込められた感情も。
でも、何故だかその言葉だけが妙にわたしの耳に張り付いた。
―――― Fortune favors the brave.
ゆらゆら、ゆらゆらと揺れ続ける中で、その声は確かに、そう言っていたのだ。
ここで、第5章は終わります。
次回からは第6章。
まだまだ序盤なので、気長にお付き合いください。
ここまでお読みいただきありがとうございました。