伝わることはない約束
「しかし、深織が高田になりたがっていた?」
先ほどの会話を思い出して、首を捻る。
正直、そんなことを言われても意味が分からない。
高田の一挙一動を観察していたってだけで、そんな結論に至ったことも謎だが、もし、それが本当なら、その動機も謎でしかない。
高田栞になって、深織にとって、何になると言うのだ?
「なんで、そんな必要があるんだ?」
オレが高田の身体に宿っている分身体に確認する。
『分からない?』
「ライズには分かるのか?」
疑問に疑問で返すと、分身体は大きな溜息を吐いた。
『ワタシは状況から推測しただけだから、当人に確認して』
分身体も断言を避ける。
「当人に確認って、恐らく、もう会うこともないぞ」
深織は「ゆめ」だ。
客から呼び出されない限り、自分から動くことはないだろう。
そして、オレも、用が済んだ今、「ゆめ」を呼び出す予定はない。
そりゃ、少しぐらい興味がないと言えば嘘になるが、あの時のような感情を持つことも、感覚を得ることもできるとは思えなかった。
『そっか……』
高田が、いや、分身体が何かを言いかけて、その言葉を飲み込んだ。
どうして、そんなところはよく似ているのだろうか?
『ツクモがその考えなら、ワタシは別に良いけど、栞はどうかな?』
「なんで、そこで本体が出てくるんだよ」
オレと深織の話に高田は関係ない。
『いや、栞の性格上、「身体を重ねた相手に対する態度が酷い! 」ぐらいは言いそうじゃない?』
ああ、確かに言いそうだ。
あの女は、妙な所でお節介だからな。
「通常の男女関係ならともかく、『ゆめ』だぞ? 契約が終われば関係も終わるなんて普通のことだろ?」
『栞にそんな論が通じると思う?』
思っていない。
だが……。
「それがきっかけで、高田がオレを見てくれるなら、望むところだよ」
正直、ずっと無視され、避けられるのは辛い。
オレがそう答えると、分身体はいきなり笑い出した。
『強くなったね、ツクモ』
目に涙を浮かべながら、分身体はそんなことを言う。
『シオリから「嫌い」と言われただけで、目に涙を浮かべていたあの子がねえ』
目元を拭いながら、埋めておいた過去を容赦なく掘り起こす性悪女。
「シオリと高田に『嫌い』と言われた数を気にしていたらキリがねえ」
『ああ、シオリは3歳の頃、少しでもツクモが自分の行動を止めようとすぐ「嫌い」って言っていたからね。まあ、あれはまだ、言葉を知らなかったせいだけど』
それを兄貴が咎めたのだ。
シオリに対して、「嫌い」と言われて、喜ぶ友人はいないと。
だが、あの頃のシオリはチトセ様やミヤドリードの知らないところで、周囲からこっそりと陰口を吹き込まれていたらしい。
兄貴の密告により、それを知った時のチトセ様と、ミヤドリードの荒れようは、酒の消費量で子供心にも分かってしまった。
『小学校の頃にも言われたよね?』
「あれは仕方ない。高田にあることないことを吹き込んだヤツがいたからな」
小学五年生ぐらいだったか。
今以上に疑うことを知らない時代だ。
そんな時に、「笹さんが陰で、お前のこんな悪口を言っていたぞ」と言われたら鵜呑みにするだろう。
因みに、誤解はなんとか解いた上に、ソイツにはきっちり報復した。
……と言っても、暴力的なことは一切、していない。
ちょっと足に自信があったようだが、その頃には既に兄貴からいろいろ仕込まれていたオレだ。
小学生レベルに後れを取るはずはなかった。
その後に外部の陸上クラブから熱心に勧誘されることになるとは思わなかったが……。
『かなり激しい言い合いをしたよね』
「そうだったか?」
そこまで細かくは覚えていない。
オレの記憶力は、些細なことを忘れるようになっているようだ。
『後は、ジギタリス?』
「あれは……」
オレが悪い。
もっと言葉を選ぶべきだった、と。
そして、今なら言える。
もし、今、同じように言われたら、今度ははっきりと拒む自信がない。
置かれた立場上、拒まなければいけないのに、友人としての好意から「好き」と言われても、うっかり喜色が顔に出てしまうだろう。
『あれは?』
「高田の好意を受け入れるわけにはいかないんだよ。護衛だぞ? 従者だぞ?」
『その割には何も知らないこの身体に、好き放題してくれているじゃない』
「へ?」
『今回のこと以前にも、こっそり、何度か栞に手を出しているでしょう? カルセオラリアの胸を鷲掴み事件は事故だから仕方ないけど、ユーヤに対抗して、一室に連れ込んで頭にキスしまくるとかやり過ぎじゃない?』
叫び声を飲み込む。
当人が気付かなくても、客観的に見れば分かる話だ。
『あの時、リヒトが来なければどうしていた?』
「それ、オレもお前に聞きたい。なんで、あの状況で腕を回すんだよ」
赤くなる顔を誤魔化しながら、反論する。
『それは栞じゃないと分からないかな』
それはズルい。
でも、あの時は分身体の意思ではないのだから、確かにそうなのだが。
『じゃあ、カルセオラリアで癒しの口付けは?』
そっちも知っているのか。
「あっちの方が治癒効果も高いんだよ!」
高田が目を腫らした時に、目を閉じていることを良いことに、オレは口付けをしながら、治癒魔法を使った時のことだと思う。
思わず反論したが、それはその時、知ったことだ。
つまり、ただの後付けの理由だ。
『ほほう? つまりは集中力が上がったと言うことかい?』
ああ、なるほど。
それなら納得できる。
「あの時の高田は目を閉じていたはずだ。それなのに、何故分かった」
『口と指の触れた感覚の違いぐらいは分かるよ。それにアナタから口付けられるのは初めてじゃなかったし。気付かない栞がおかしいだけ』
そのまま穴を掘って逃げ出したいぐらいだった。
確かにこの分身体が「身体の記憶」と言うのなら、それを知っていてもおかしくはないのだ。
『それに、あれだけのことをしても、栞のことを「好きじゃない」とか……。いろいろおかしいよね?』
「こっちにもいろいろ事情があるんだよ」
それをぶちまけることができれば、苦労はない。
「だが、ライズの記憶を高田と共有しないのは本当か?」
『本人が隠していたら、分からないよ。でも、多分、共有していない。知っていれば、今の栞と昔のシオリはちゃんと統合しているはずだから』
「じゃあ、耳貸せ」
オレは手招きする。
『ほ?』
分身体は動きを止めた。
『ま、まさか、今のうちに良からぬことをしでかす気では?』
「身体が高田でも、心が違うのに、いちいち邪な心を抱くかよ」
『あら? ワタシは魅力ない?』
「……少なくとも、「高田栞」ほどは」
オレがそう答えると、何故か分身体が顔を紅くした。
『な、なるほど。これが天然たらしの威力……』
何やら、ぶつぶつ言っているが、そこを気にしたらいけない気がした。
「単に、周囲に漏れると困ることを言うだけだ。耳を貸せないなら、せめて距離を詰めろ」
『なんで?』
「こんな所だと、誰が聞き耳を立てているか分からんからな」
『なるほど、確かにそうだね』
そう言って、分身体はオレのすぐ傍に来た。
警戒心は高田より強いが、それでも、信用し過ぎだと思うのはオレだけか?
『何か悪さをしようとしても、今なら、高威力の「魔気の護り」が出るからね』
釘を刺すようにオレに言うが、その瞳には警戒の色は全くなかった。
尤も、高田よりもオレの体内魔気に敏感そうな分身体だ。
少しでも気配を変えれば、すぐに警戒態勢になるだろう。
「そう言えば、ライズは魔法が使えるのか?」
『うん。昔のシオリは使えたでしょう?』
そう言われて思い出すが、あの頃も今も、オレが吹っ飛ばされているだけのような気がする。
そんなオレの心を察したのか……。
『今の方が間違いなく威力は強いよ。ただ種類は昔だね。……っと、それより、内緒の話って何?』
「ああ」
何故、これを彼女に告げる気になったかは分からない。
だが、恐らく、シオリにも高田にも伝わることはないだろう。
それでも……。
『え!?』
オレの言葉を聞いて、分身体が目を丸くする。
『本当なの? ツクモ……』
困惑の交じった色で、分身体は確認する。
だから、オレはそれ以上、何も言わずに頷いた。
決して、伝わることはない事実。
それでも、オレはどこかで当人に知って欲しかったのだ。
納得のいく別れが先か。
強制的な別れが先か。
そんなことはまだ誰にも分からないのだけど……。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




