口出し無用の世界
「分かりやすく迷える子羊しているみたいだね」
黒髪の青年が、隣の調理室へ姿を消すのを確認してから、私は、目の前にいる片割れに声をかける。
「まあ、相手が取り付く島もなければ、その行先も分からんよな」
カップに残っているお茶を一気に飲み干すと、ミオは肩を竦めた。
彼らとの付き合いが長いミオも、現状では動きかねていることは知っている。
これまで可愛がっている後輩と、気に入っている従者の関係が急激に変化したことで、戸惑いもあるのだろうけど、それ以外の感情も見え隠れしている。
過去に自分の身に起きた出来事と重なっているのだろうけど、少しばかり深入りしすぎな感はあった。
どちらにも情を移しすぎ……、と言うべきか。
ある意味、ミオらしくはあるのだけど。
私としては、結局のところ、男女間の問題なのには変わりないのだから、最終的には時間が解決するだろうとは思っている。
確かにあの二人の間には、確かに熱量の差はあるし、障害も少なくない。
だけど、あの時のミオや私が色濃く抱いた感情に近いものを、この後輩からは感じられないのだ。
それは黒く塗り固められた負の感情。
手酷く裏切られた側から当然の如く生じる憎悪に近い何か。
それを、何故か感じなかったのだ。
日頃の後輩は、彼に懐いていたように見えた。
ミオの話からも、少なくとも、全幅の信頼を寄せていてことは間違いない。
それが、突然の裏切り。
それも、女性としては、到底納得できず、許しがたい形で。
どんなに呑気な性格をしていたとしても、年頃の女性として、何をされかけたかぐらいは知識として知っているはずだ。
あの姉のように外界から断絶されていたとしても、人間界で生活していた以上、そう言った情報を完全に閉めだすことは不可能だと言いきれる。
それだけ、深い傷を付けられなかったのか?
それとも、彼に近い熱量があったのか?
もしくは、それぐらい大したことはないと割り切っているのか?
あるいは、その憎悪すら、上手に隠し通してしまうほど、感情の制御が巧いのか?
そのいずれかにしても、我慢ができる範囲ではあったのだろう。
羨ましい限りだ。
私は、片割れが食われかけただけで、この手を血に染めることを迷わなかったし、その首謀者となった王配を恨んだと言うのに。
だから、周囲が思うほどあの後輩の傷は深くないと勝手に思っている。
それでも、あの二人の感情の変化から、互いに傷つけあったことには変わりはないのだろうけど。
「さて、どうしたものか」
「マオが関わろうとするのは珍しいな」
「勿論、積極的に関わる気はないけど、世話になっている以上、完全無視はできないからね」
面倒だとは思うけれど、連れの雰囲気が気まずいのは困るのである。
世話になっている身としてはかなり居心地が悪いのだ。
だから、できればそこそこの関係は保って欲しいと思う。
そこそこで良い。
あまり露骨に仲良くされても独り身には辛いから。
「まあ、今のままは私としても困るな。メシの質が落ちる」
「そう? さっきのお菓子、美味しかったけど……」
意外と私情が出ないのだなと感心したぐらいだ。
人間界で会話した時、あの黒髪の青年はもっと単純な人間だと思っていた。
だけど、その外見に似合わず、実はかなりふてぶてしく、油断ならない。
器用貧乏な印象もあるが、それが高レベルでまとまっているため、一般的には優秀と言える部類だろう。
あの先輩が手塩にかけて育てただけあるし、トルクが気に入るのもよく分かる。
「高田との仲が拗れたら、メシを美味く作る必要がなくなる。ヤツの料理の腕は、主人のためだけに磨かれたものだからな」
なるほど。
主人のために極めたものを他人だけに振舞うことはないという考え方か。
「そうかな? 彼は職人肌っぽいから、それはそれ、これはこれ……って感じだけど」
主人のために磨いた腕だからこそ、サボって質を落とすような愚行はしないだろう。
「少なくとも、手を抜くことを良しとする性格には見えないかな」
「それならば良いんだが……」
「ミオが気にするところは、食事なんだね」
「そこが九十九の一番の魅力だからな」
それはそれで酷い評価だとは思う。
いや、ここまでの料理は確かに普通の魔界人では無理か。
少なくとも、国にいた頃は考えられなかった。
「だけど、どうする? 今のままじゃ、全く関係のない第三者が口を出しても、混乱が広がるしか未来しかないぞ」
「彼らに口は出さないよ。当然でしょう?」
これは、「主従」の話であり、「男女」の話でもあるのだ。
それだけでも口出し無用の世界である。
そんな状態に首を突っ込んだり、口を出したりしたら、さらに面倒臭くなることだろう。
「ただ……、さ……」
それでも、思うところはある。
「未遂とは言っても、女性としては、どうしても許せないことって、あるよね?」
私はミオに向かってそう言った。
どんなに建前で言葉を飾ったとしても、結局はそこに行きつく。
「そうだな」
その気持ちは私よりもミオの方が強いだろう。
実際に被害にあったことがない私より、その怖さについて、その身を持って知っているのだから。
魔界で生きる女性にとって、「発情期」と呼ばれる男性にしか起こらない成長過程の存在は忌むべきものである。
そして、それが引き金となって生じた行為はほとんど不幸な事故として処理され、内容的にも表沙汰にならないことが多い。
被害に遭った女性だって、知人に合意なく襲われたとか、見知らぬ他人から行きずりに穢されたなど、口にできるはずもないのだから。
酷い話だと、王族や貴族、将来有望な男のために、何も知らない自分の娘を宛がって自身の出世や地位の安定を計ろうとする父親もいる。
正直、女側からすれば「正気か? 」と問いたくなる話だ。
だから、そんな不幸を生み出さないために、男側が予防策として、「ゆめ」などを利用することは悪くない。
だが、男と言うのはどうしても、夢を見たいらしい。
自分で「ゆめ」を撥ね退けて、そして、結果、周囲に余計なキズを押し付けることになるとか、ふざけているとしか私には思えない。
「だけど、壊すなよ?」
そう言うミオの眼は鋭い。
そして、その黒い瞳には燃えるような紅い炎が宿っていた。
「大丈夫。壊す気まではしないから」
但し、弁明、弁解によっては自信もないけど。
「九十九を壊すと、いろいろと面倒だからな」
「食事の心配?」
流石にそれはないだろう。
ミオだって、情を移している可愛い後輩に思うものはあるはずだ。
「違う。敵にすると厄介なヤツが目覚めても困る」
「高田?」
確かにここで目を覚まさない後輩は、かなり魔力が強い。
だけど、それだけで脅威を感じるなら、消滅したとは言っても、魔法国家の王女を名乗ることなどできない。
魔法の強さ、多彩さだけではないのだ。
「いや、多分、マオとは私以上に相性が悪い」
その言葉で、なんとなく誰のことを指しているのかを理解する。
あの黒髪の青年の味方をしそうな人間で、ミオが「厄介」と言えるほどの存在。
魔力の強さとか別次元で私とは噛み合わせが悪いであろう相手がこの場所にはいる。
「ああ、確かに。あの人は敵に回したくないかな」
それは心からの言葉だ。
「でも、あの人はそんなに弟思い?」
日頃の言動を見ているとあまりそんな印象はない。
愛の鞭にしては、少しばかり手厳しいから。
「使える手駒は壊したくないそうだ」
「ああ、なるほど……」
それは納得する。
「ま、話がどう転がるかは、あの九十九くんの反応次第だね」
私はミオにそう答えて、あの青年が戻るのを待つことにしたのだった。
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