不器用な貴方だから
「分かりやすく迷走しているようね、ツクモさま」
背後から気安く声を掛けられたが、オレは振り返らなかった。
「でも、後ろを取られるなんて、貴方としたことが、ちょっと油断し過ぎじゃないかしら?」
その声はどこか嬉しそうだった。
だが、オレは別に油断していたわけではない。
彼女が後ろにいたことは少し前から気付いていたから。
「久しぶりだな、ミラ」
オレは顔を合わせずに、そう言った。
「私のことを覚えていてくれて嬉しいわ、ツクモさま」
くすくすと笑いながら、ミラはそのままオレの横に腰かけた。
その弾みで、少し身体が揺れる。
「あまり動かない方が良いぞ。この枝はそんなに頑丈じゃなさそうだ」
オレは高田たちから少し離れた木の上から様子を窺っていたのだ。
恐らく、高田には気付かれているかもしれない。
先ほどから、時折、こちらの方向に目を向けるから。
だが、この位置までは完全に捕捉できていないようで、少しだけ視点がずれている。
まあ、少し漏れている体内魔気の気配だけで、簡単に見つかってしまうようでは、オレの鍛錬が足りないことになってしまうのだが。
「それ、遠回しに私が重いって言ってない?」
どこかムッとしたようなミラの声。
「言ってない。街中に生えている街路樹の木の枝は、本来、座る場所じゃないからな?」
女と名の付く生き物に、重量に関わる話はしてはいけないことぐらい、オレも理解できている。
太ってはいない高田や、痩せすぎだろうと思う水尾さんでも、その話題に関しては空気が恐ろしいほど分かりやすく変わるのだ。
あの二人以上にふっくら……、いや、女性的な身体つきの女に向かって口にすれば、どうなるか……、考えたくもない。
「そんな危険な場所に座って観察しているツクモさまもおかしいってことよね」
「一応、護衛だからな」
「あら、解雇されたんじゃないの?」
「まだされてねえ」
反射的に返す。
どうやら、どこから情報を得たのかは分からないが、ある程度こちらの事情は知られているらしい。
尤も、あの紅い髪の男が今も尚、高田をストーキングしているなら……、それについて驚くべきことでもないが。
「そんな悲痛そうな顔をしなくても大丈夫よ、ツクモさま」
不意にミラがそんなことを言った。
「あの女は、ツクモさまが思っているよりはずっと図太くて計算高いから」
図太いは同意するが、計算高い……には少し違和感がある。
高田が本当に計算高ければ、もっと楽に生きているはずだ。
少なくとも、他人のために身体を張るような生き方はしないだろう。
「何が大丈夫かは分からんな」
だからオレは、彼女の言葉を下手な慰めだと思った。
「少なくとも、あの女はツクモさまを恨んではいない。私にはそう見えるけど?」
「思いっきり手を振り払われて、逃げ出されて、他の男の所に逃げ込まれたわけだが?」
俺は自分が言った言葉に凹みたくなった。
どう考えても答えは出てしまっているのだ。
「悪さをした直後にその程度で済んだだけ凄いと思うわ。その辺り、あの女の感覚は可笑しい。まあ、最後までされていないってこともあるだろうけど、信頼を裏切られる行為ではあることに変わりはないのに」
「……そうなのか?」
思わず、顔を上げてミラを見て……。
「私は、信じていた身内に裏切られた直後、朦朧とする意識の中、全身を巡る高熱と激しい痛みに襲われながらも、飛び掛かったわ」
思わず、目を逸らしたくなった。
自嘲する目の前の金髪の女の事情は、端的だが聞いたことがある。
前ほど殺気は込められていないが、それでも許しがたいほどの怒りは残っていることをその台詞から感じられた。
「勿論、そんな状態で勝てるはずもないから、あっさりと押さえつけられだけどね」
薄く笑いながらそう語るミラの言葉に、どう返せば良いのだろうか?
男のオレには分からなかった。
オレには彼女の傷の深さなど分かるはずもなく、それに伴った痛みも理解はできないだろう。
ああ、つまり、オレが高田に負わせた傷の深さも痛みも、オレ自身が知りえることはないのだ。
傷を与えた側だと言うのに……。
「そんな狂気を感じないのだから、あの女はかなりおめでたい頭なのでしょう」
ミラはそう言いながら、別の方向へ顔を向けた。
その先には、高田と赤い髪の男がいる。
「まあ、今は別の意味でおめでたい頭になっているっぽいけど……。あっさり他の男に身を任せるなんてね」
赤い髪の男が高田の手を引き、抱き寄せていた。
その状態も苛立ったが、それ以上に……。
「任せてねえよ」
先ほどの言葉に腹が立った。
「あら?」
「あの女は自分から誰かを抱き返すことなんてほとんどしないからな」
「それは、手を握られてるからじゃなくて?」
「手を握られなくても、基本的に腕を下ろしてんだよ、あの女」
「なるほど……、それを知っているってことは、ツクモさまが、それだけ応えてもらえないのね」
うるせ~よ。
そんなこと自覚してるよ。
そんな声にならない言葉が頭の中にあったが、口にはしなかった。
揶揄いという形の口撃が返ってくることは目に見えて分かっている。
「それなら、あの状態は護衛として放置、容認しても良いのかしら?」
そう言いながら、ミラは二人を親指で指し示した。
「嫌がってもいないならオレがしゃしゃり出てどうするんだよ? 護衛は護るもので、邪魔するもんじゃねえんだぞ?」
それに、護衛の任務は解かれていなくても、高田自身からはまだ、護衛として近くにいても良いとは言われていないのだ。
しかも「近付くな」と、「顔も見たくない」まで言われている。
そんな状態でのこのこと現れ、邪魔をすれば、もっと悪い事態になる予感しかない。
「めんどくさいわね」
「知ってるよ」
「でも、私はそこも好きよ」
ミラは少しだけ照れたように笑う。
「……ありがとよ」
「あら、素直」
「分かりやすく好意を示してくれているのに、無碍にできるわけねえだろ」
特に今は、自信を含めたいろいろなものを喪失しているところだ。
冗談で誤魔化しもしていない言葉を素直に受け取ることは出来ないけれど、少しぐらい受け止めるぐらいはしたかった。
「でも、ツクモさま? あの時、あの迷いの森で素直に私を選んでおけば、貴方もそんなに傷つかなかったとは思わない?」
「阿呆言うな。あの時点で既に傷ついた女に付け込んでいたら、今以上の愁嘆場になっていたかもしれねえぞ」
オレがそう言うと、ミラは目を丸くする。
あの時点で、彼女は既に傷ついていた。
出会って初めて会話したばかりのオレに、八つ当たりをしてしまうほどに。
「貴方は……ホントに……」
消え入るようなミラの声。
「勘違いするなよ。単にオレ自身がそんな行動が嫌だってだけで、別にお前の境遇に同情したわけではないからな」
そこだけは釘を刺しておく。
多少なりとも、好意を抱かれているのが分かっているなら、それ以上の期待をさせるわけにはいかない。
求められても、オレは彼女に応えることはできないのだ。
そしてそれは、高田を好きだから……とか、そんな感情とは関係なかった。
もっと単純な話。
護るべき人間が決まっているのに、それ以上に特別な人間を創って自分の意識をそちらに割くわけにはいかない。
オレは全てを手にできるほど恵まれた人間ではないし、全てを護れるほど強くもないのだ。
「分かっているわ」
だけど、オレのそんな酷薄な言葉も気にせずにミラは微笑みで応える。
「ツクモさまが不器用な男ってことぐらい」
「悪かったな」
自分が不器用な男ってことぐらい、百も承知の話だ。
もう少し器用なら、少なくともこんな事態にはなっていない。
「いいえ。それが貴方の良い所だから。でも……」
そう言って、ミラはオレの手を取った。
「それでも、私がそんな貴方のことが好きなのは、許してね? ツクモさま」
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