迷える護衛青年
「それで……、いつ頃、ここを出る予定だ? 九十九が落ち着いた以上、長居は無用だろ? ああ、先輩。次はこの青い酒を頼む」
そう言いながらも、メニューの絵を見せて店員……、まあ、兄貴に向かって自然に次の酒を頼む水尾さん。
「記憶がない以上、本当に落ち着いたかは分からないから、暫く様子見だな。はい、『Du bist mein Schatz』をどうぞ」
「あ?」
そう言いながら、わざわざスカルウォーク大陸言語に切り替えて、兄貴は深い青の酒を差し出した。
リヒトはその意味が分かるためか、兄貴に向かってなんとも言えない顔を向けている。
「そのお酒の名前」
「ふ~ん」
お酒の名前にはあまり興味がないようで、水尾さんは突っ込まずそのまま飲む。
「甘~」
そう言いながら、露骨に顔を顰める水尾さん。
どれだけ甘いのか?
「兄貴、元となった酒は?」
「苦味のある酒と度数の濃い酒を同じ割合で混ぜて、玻璃に入れて密封し、一日置いたものだ」
酒の配合は、守秘義務ではないらしく、あっさりと口にする。
「ドロ甘か」
「ドロ甘だな」
そして、その上、かなり強い酒となるはずだ。
「なんて名前の酒だって?」
「この店では、『Du bist mein Schatz』と呼ばれている」
「意味は?」
「『ゆめの郷』の酒場で飲む酒だ。俺も仕事でなければ、主人以外の女性には渡さん」
その言葉で、少し、ドキリとした。
それは言い換えれば、高田になら贈ると言うことではないだろうか?
だが、意味を確認しても答えを口にしなかった以上、兄貴はそれをオレに教える気もないらしい。
「酒精は強い。でも、甘すぎる。やっぱ、さっきの紅いのが良いな。先輩、口直しにさっきの紅い酒をもう一杯」
文句は言いつつも、それでも、グラスはしっかり空になっていた。
「はい、どうぞ」
そう言って、差しだされる紅い酒。
「因みに、兄貴……、その酒は?」
「名か? 配合か?」
「教えてくれるなら、どちらも」
「名は『Ich lebe stark』。配合……、『酒精の実』をすりつぶして、『強い酒』に年単位で漬け込んで、密封状態でろ過したものだ」
「……それ、一杯、いくらだ?」
嫌な予感がする。
「1オルセだ。手間の割に安いだろ?」
確かに作るまでにかかっている手間と、年月の割にはかなり良心的な価格だと言えなくもない。
聞いた限り、オレにも作れなくはないが、そこまでの価値があるとは……、いや、強い酒好きにはウケそうだな。
それに、保存は楽そうだ。
だが……。
「5杯飲むだけで、今、泊っているところの宿泊費と変わらん金額じゃねえか」
この「ゆめの郷」の安宿なら、30サオラくらいからあるらしい。
安いために壁は薄いし、設備も最低限とは聞いている。
尤も、一泊当たりの価格が160倍以上も値段が違うのだから、当然だろう。
「それぐらい換金はしているだろ? ああ、手持ちがなければ、貸すぞ。利子については、十日あたり十割で」
「どんなボッタクリだよ」
利子は十日で一割でも高いと言われるのに、十割って酷くないか?
それは十日ごとに倍にして返せていうことだろ?
「1オルセ……、結構な価格だな。私の方のメニューには、値段が書かれていなかったから気付かなかった」
「……兄貴?」
それなら水尾さんの遠慮がない注文の仕方に納得はいくのだけど……。
「女性に渡す品書きに値段表示なんかするわけないだろ? 酒場は、男の甲斐性を見せる所だからな」
それって、世間では見栄とか虚勢とかいうものではないだろうか?
「それでも、この店はかなり良心的だぞ。別の店は安酒でももっと高かったりする。まあ、女性の接客付きが多いから、酒の質は問題にならないだろうが」
「キャバクラかよ」
「こんな所だからな。もっとサービスが過剰な店もあるぞ」
ああ、具体的には風俗店……、風呂屋とかか。
「先輩は、なんでホストクラブ系にはいかなかったんだ? お得意だろ?」
「得意かどうかは置いておいて、そんな場所にリヒト連れで行けと?」
先ほどから兄貴の無言で兄貴のサポートをしている褐色肌の少年を見る。
実年齢はともかく、見た目の年齢ではそちらの系統の店舗では、受け入れられないだろう。
基本的に魔界は職業に年齢制限はない。
雇い主の判断で、選ばれるかどうかということになる。
親もいない子供も少なくはないこの世界で、年齢によって仕事を制限させてしまうと、聖堂で保護されることを拒んだ身寄りのない人間は自活できなくなってしまうのがその理由だ。
元貴族という肩書を持つ人間たちほど聖堂に頼らない傾向は強いと言う。
それでも、こんな場所では、倫理観がぶっ壊れていない雇い主でない限り、ある程度、年齢で判断はされるだろう。
流石に身寄りがなくても、性的なサービスを年端もいかない少年に強制させることは少ない。
まあ、倫理に限らず儲けを追求する輩はどこの世界にでもいるから、その考え方は絶対ではないが。
トルクスタン王子から聞いた話では、「ゆめ」の中には、未成年もいるらしいし。
「先輩って、見た目の割に固いところがあるよな」
「褒め言葉として受け取ろうか」
「じゃあ、先輩はリヒトの保護者してなければ、ここで『男娼』にでも、なったか?」
「必要とあらば」
兄貴は微笑みながら答えた。
それにしても、水尾さん、絶対、酔ってるよな、これ……。
さっきから言っていることが酷すぎる。
確かに、情報収集のためなら、「ゆめ」の男版、「ゆな」になった方が良いだろう。
いや、そんな職業があることを、オレはこの場所に来て初めて知ったが。
誰が買うんだよ?
「だが、『ゆめ』ならともかく、『ゆな』では、質の高い情報は手に入らないからな。閨で本音をその口に滑らせるのは、圧倒的に男の方で、女性は床でこそ嘘を吐く」
今、さらりと、結構なことを言ったな?
「面白くない。少しぐらい動揺するかと思ったのに」
「揶揄うなら貴女の連れの方だろ。今なら、面白いように釣れるはずだ」
「弟を迷いなく売るなよ、先輩」
「高値で売れるなら迷わん」
値が付くのなら、本気で売られそうで怖い。
「それで、先ほどの件だが、この『トラオメルベ』を出立するに当たって、絶対に片付けなければいけない問題がある。それが終わらなければ、無理だな」
「……ああ」
視線が痛いです、水尾さん。
そして、分かってるよ、兄貴。
「愚弟はどうでも良いが、主人の状態が不安定なまま、連れ出すのは心苦しい」
「そうだなあ……」
兄貴と水尾さんが珍しく結託している。
「ただ問題は、ここにも手配書が来ていることだ」
「なんで、こんな所にも手配書が?」
各国の最高峰である城やその城下に送りつけるなら分からなくもないが、ここは遊興施設である。
こんな所にまで手配書を送る理由が分からない。
「数年単位で見つかっていないのだ。彼女が『ゆめ』にその身を堕としている可能性を考えたのだろう」
「発想がおかしい」
それは、女をなめきってないか?
「そうか? 自分で稼ぐ方法を知らなければ、それが一番、儲かる方法かもしれんぞ?」
オレの言葉に水尾さんがあっさりと返す。
「普通、身を寄せる場所が無ければ、稼ぐ方法を知っている女は少ない。まあ、人間界で生活していた高田なら、使用人の仕事だろうが、それ以外の仕事だろうが、選好みをせずに、何でもやるだろうけど、普通、貴族の女って言うのは、護られて血を残すことが仕事だからな」
女性としての視点を水尾さんは続け……。
「それに、魔力を封印している状態で会っているのだ。魔力もない女性が、他の貴族に保護を受けることは難しい。利用価値がないのだからな。だから、一般市民の生活や仕事をよく知らなければ、そんな発想に至ってもなんら不思議はない」
高貴な方の目線を兄貴が口にした。
それは、王子と言う立場でしか物を見たことがない人間の思考回路ということなのだろうけど、知らないとはいえ、高田がそんな風に見られているのは、酷く、腹立たしい。
「でも、手配書は似てないだろう?」
それが救いと言えば、救いだ。
「問題は、文字情報の方だ」
「文字情報……?」
「あの手配書には、少しずれた外見情報だけではなく、文字情報、正しくは、彼女の名前に付いても書かれていた。セントポーリア城下での仮の名であった『ラケシス』ともう一つ。『シオリ』……、と」
「あ……」
そう言えば、そうだった。
「彼女の容姿と、出身大陸、そして、人間界でのその名前を知っている人間がいれば、それだけで面倒ごとになる」
その兄貴の言葉で、オレは何故か、少し前に「自分の主人」に似た姿になった女を思い出す。
深織は高田の名前を知っていた。
だから、気付いている可能性はある。
その上、こんな場所で働くほど、金に困っているとしたら……?
「それで、九十九はどうする気だ?」
そんなオレの動揺を気にせず、水尾さんがもう何杯目か分からない酒を口にしながら問いかけた。
「どうする……、とは?」
「高田が一晩、帰って来なかっただろ? もし、このまま、暫く帰って来ない時はどうする?」
「どうする……って……?」
護るべき当事者からあれだけ激しく拒絶されて、どうしろと言うのか?
「高田に拒絶されても、護衛を解雇にされたわけじゃない。でも、私情を優先させる気か? という話」
「それは……」
確かに高田自身から拒絶されても、オレの雇い主から解雇の宣告をされたわけではない。
それならば、オレが退く理由はないのだ。
「水尾さん、ありがとう! 兄貴、これから彼女の勘定は好きなだけ、抜け!」
そう言って、財布を放り投げ、オレは店から飛び出したのだった。
作中の「Du bist mein Schatz」は「キミはボクの宝物」。
「Ich lebe stark」は「強く生きる」という意味で使っております。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




