真っ当な神経ならば
全ては自分が引き起こしたこと……。
そんなことは分かっている。
それでも、彼女からあそこまで激しい拒絶の意思を受けたのは……、初めてだった。
彼女が「高田栞」になる前、「強制命令服従魔法」を行使された時も、拒絶からの行動ではなく、やむを得ない行動だったと今なら分かる。
ジギタリスで護符をぶん投げた時も、あれは立場上、仕方がないとは言っても、オレの言い方も悪かったと、今では思っている。
だけど、「近付くな」と。
さらに、「顔も見たくない」とまで言われたのは、初めてだった。
そして、全霊でオレを拒否するような魔気をぶつけてきたのだ。
これまでの魔力の塊をぶつける単純なものではなく、もっと激しい負の感情。
これ以上、自分に触れるなとばかりに空気の圧力でオレの身体をその場に縫い留めた。
まるで「命呪」という言霊のように。
阿呆な話もあったものだ。
アイツへの想いを自覚した途端、心底、嫌われるとか。
しかも、気付いたタイミングも最悪だった。
他の女に手を伸ばしながら、とか。
救われる点が何一つとしてない。
その上、その手を伸ばした時のこともほとんど覚えていない。
加えて言うなら、その時のことよりも、少し前の方がずっと……、印象に残りすぎて困るぐらいだ。
誰よりも大事な女なのだ。
何よりも大切な女なのだ。
それを、自分よがりな行動で、深く強く傷つけた。
だけど、一番、厄介なのは……、そのことも悪くないと思ってしまう自分がいることだ。
あそこまで深く彼女に踏み込んだ男は、恐らく自分が初めてで、そのことが酷く嬉しい。
だが、それを喜べたのは少しの間だけ。
一晩経てば、消えてしまう程度の時間だった。
「帰って来ねえ……」
彼女が部屋から飛び出して、一晩、待ってはみたものの、彼女の気配は外に留まったままだった。
こんなこと、今までにほとんどない。
これまでに、何度か部屋を抜け出たことがあるのは知っている。
だが、それでも妙な予感がしたのだ。
彼女の魔気の乱れはほとんどないため、危険を感じるような目には遭っていないのは分かっている。
だから、本当ならば、そこまで気にすることはないのかもしれないが、離れた場所で感じる気配は、なんとなく喜びに満ちている気がして、胸の辺りが騒めいていた。
彼女のことは、幸せになって欲しいと思う。
だけど、その近くに自分がいないことなんて、あまり考えたこともなかった。
彼女が自分以外の人間を選ぶことは考えていたけれど、それでも、近くにいることだけはできると思っていたんだ。
でも、今回のことでそれが誤りだったと気付いた。
オレが彼女の傍にいることができるのは、当人に許されていただけだった。
だから、彼女に赦されない限り、オレはその近くに在ることを望むこともできなくなる、と。
「いつまで、その辛気臭い顔を曝け出しているつもりだ?」
不意に低い声が聞こえてくる。
「金を払う以上、オレは客だ。従業員が、文句を言うな」
オレは目の前で苦言を呈した男にそう答える。
普通の店員相手にそんな口は叩かない。
人間、誰でも自分に好意的な相手には多少なりともその警戒心は緩むから。
「ほとんど飲まずにいるヤツを客と認めない」
だが、オレの言葉に気を悪くせず、男は続けた。
まあ、予想通りの返答ではこの男の意表など突けないだろう。
「その分、連れが飲んでいるから良いだろ?」
オレの目の前には、従業員の格好をした兄貴と、リヒトがいて……、横には、水尾さんがいて……、かなりの量を飲んでいた。
いや、確かにオレの奢りとは言ったけど、遠慮なさすぎじゃないですかね?
覚悟はしていたから良いけどさ。
兄貴やリヒトはいつの間にか、この酒場で働いていた。
そんなに長く滞在する予定はないのだが、少しでも、情報収集することと、リヒトの社会勉強らしい。
スカルウォーク大陸言語なら、能力封印中のリヒトも少しなら相手の言葉は理解できるし、会話もできなくはない。
ただ、見知らぬ人間相手はやはりかなり緊張するそうだ。
「ん~? 結局高田は、警備の人間に保護されてるんだろ? 何が問題なんだ?」
その紅い酒が気に入ったのか。
先ほどから、水尾さんはそればかりを頼んでいる。
オレとしては複雑だ。
その紅さが、とある男の髪を思い出すから。
「警備の人間って男ばかりなんですよ」
そこが一番の問題だった。
そして、兄貴の話では、その警備は高田の知り合いである可能性が高いと言う。
それなら、該当する人間に一人だけ心当たりがあった。
「ガキじゃないから心配することはないだろ?」
「ガキじゃないから心配なんですよ」
高田がガキじゃないことぐらい、オレだってよく分かっている。
「まあ、そりゃ、『印付け』し合った仲なら、ガキじゃないことぐらいは承知だろうけど……」
「ぐ……」
微妙な釘が刺された。
だけど、「印付け」し合ってはいない。
一方的にオレがしまくっただけの話だ。
数も数えきれないほど大量に……。
「真っ当な神経を持っていたら、あそこまで他の男の気配をさせた女に悪さなんかしないと思うぞ」
さらに太い釘を刺しに来た。
全てお見通しと言わんばかりに。
「そう……、でしょうか?」
それでも、そう言った相手こそ逆にそんな気になってしまう男もいるのではないだろうか?
他人の所有物を奪うことに快感を覚える人間は一定数いるのだ。
「それに、あの状態の高田に手を出して火傷程度で済めば良いけどな。私はそっちの方が心配だ。普段の高田なら我慢できることも、簡単に限界突破しそうだからな」
いっそ、そうなって欲しい。
そうすれば、少しは高田も反省するだろう。
簡単に周囲を信用するなと。
あの「分身体」が言った「母親以外を信用するな」と言うのは極端すぎると思うが、「高田栞」が赤の他人を信用しすぎる点は、前々から気になっていたところだったのだ。
「ところでさ、九十九青年」
水尾さんが懐かしい呼び名を口にする。
出会って間もないころ、水尾さんは、オレのことをずっと「少年」と呼んでいたから。
最近では呼び捨てになっていたけれど、それが「青年」に変わったと言うことは、オレも成長したと認められてはいるらしい。
「結局のところ、『ゆめ』とヤったのか?」
……こんな成長の確認は嫌だな。
「酔ってますね? 水尾さん」
「馬鹿言え。これぐらいで私が酔うかよ」
オレの言葉にそう答えながら、水尾さんはぐいっと手にしていた紅い液体を呷る。
その姿になんとなく千歳さんが重なったのは気のせいか?
「覚えていません」
隠していても、仕方がないのでオレは正直に答える。
「「は?」」
何故か水尾さんだけでなく、兄貴も短く問い返した。
いや、仕事しろよ、従業員。
そして、興味のないふりして客同士の会話に聞き耳立ててんじゃねえよ。
「なんでヤったかそうでないか覚えてないんだよ?」
「多分、することはしたと思いますよ。気分も身体もスッキリしていたので」
「そ、そうか」
オレの飾りもしない言葉に、流石の水尾さんも戸惑ったようだ。
「ただそれが、自分の記憶に残っていないだけです」
「高い金出して、覚えてないってヤり損じゃねえか!?」
どうやら、何故覚えていないかより、そちらが気にかかるらしい。
それにしても、その露骨な言葉。オレの記憶に間違いなければ、貴女は中心国の王女殿下でしたよね?
「損はしてないですよ。これで『発情期』に悩まされることはないので」
直後は確かに後悔したが、考えようによっては、逆に悪くもないと思っている。
何も覚えてもいないのだから、何の感情も持たなくて済む。
その行為に対しても、その相手に対しても。
だから、そのことについては、オレにとって、何一つとして問題はなかったのだ。
その考えが甘かったことは、後に思い知ることになるのだけど。
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