違和感がある誘い
この話には、男性に少しだけ辛い表現が含まれているかもしれません。
ご注意ください。
「ちょっと待って」
わたしは思わずそういうしかなかった。
「……なんでだよ?」
「いや、ここ……」
目の前にある建物は、控えめに見ても、お店とは思えなかった。
「俺の仮住まいだが?」
来島はさらりと口にするが……。
「それが分かっているから、わたしは『待って』と言っているのだよ?」
流石にこれはマズいかなということはわたしでも分かる。
「別に手を出すとも、取って食うとも言ってねえだろうが」
「言われていたらついてきてない!!」
「でも、栞は宿に帰りにくいんだろ?」
「ぐ」
確かにそう言ったけど……。
「俺は傷心の女に手を出すほど女に不自由してねえよ。どこかの童貞と一緒にするな」
「その言葉、信じて良いの?」
「信じる者は食われる……だっけか?」
「違う!」
いろいろな方面から突っ込まれそうな台詞をありがとう!
「あ~、心配なら部屋に鍵でもかけてろ」
「いくつも部屋があるの?」
「ある。宿泊施設ではなくて、警備員たちが寝泊まりする寮みたいなもんだからな」
それなら、安心……かな?
「移動魔法に対する結界は?」
「警備員は突然の呼び出しが日常だから、そんな上等なものはない。安い宿でもそんな結界はないな」
「うぬう」
先ほど、部屋に飛び込んできた九十九の例もある。
鍵だけでは安心できない。
しかも、わたしのことを「好きだ」と言ってくれている人だ。
さらに、目の前に出された御馳走は遠慮なく食うとも宣言している。
ここで頷けば、わたしがそう言ったことに了承してしまったってことになるのではないだろうか?
「珍しく警戒しているな」
「そりゃ、するでしょう?」
生命の危険を感じてはいないが、彼の言動から少しも警戒しないほど隙が大きいと思われるのは困る。
「安心しろ。この場所で発情してもいない男が『ゆめ』以外に無理矢理、手を出すのは重罪だ。俺も愚息の命は惜しい」
「へ? 来島って子供いたの?」
しかも、重罪ってことは……、子供の命にまで及ぶってこと?
「いたら、こんな場所で働いていないし、何よりお前を口説くか!! そして、『愚息』についてはもっと深読みしてくれ!!」
「……深?」
わたしは、人間界の知識を総動員してみる。
該当する言葉がいくつか脳内検索にひっかかった。
そして……。
「つまり、重罪って去勢?」
そういう意味で言われたのだろうか?
「ちゃんと伝わったようで良かったよ。もしかして、そこまで説明しなければいけないのかと思っていたから」
「回りくどい言い方をするからだよ。あんな風に言われて、すぐに分かるわけがないじゃないか」
「栞は話の流れを読み取るのは得意な文系だったと記憶していたが?」
「文章の流れはね。でも、隠語や俗語の知識があまり深くないから、それらを使われるとすぐには出てこない」
しかも、その知識は漫画頼りだ。
同級生男子とだってそんな会話をした覚えはないし、九十九や雄也さんはそんな単語をあまり口にしない。
「じゃあ、刑罰のために『ナニをちょん切る』とでも、言えば良かったか? それを口にするだけでも、男にとっては身が……、いや、『タマ』が縮む思いがするんだぞ?」
「いちいち言い直さないで良いから」
確かに「回りくどく言うな」とは言ったが、そこまで露骨に言われると、流石に耐えられない。
「もっと直接的な言葉で言った方が良かったか? お望みなら、もっと卑猥な言い方もできるぞ?」
「ひわっ!? ……『ゆめ』ではない女性に対してのセクハラは、警備員のお仕事でしょうか?」
「傷ついた女性の気分を変えるのは、警備員の仕事の範疇だな」
「ほ?」
「少し、元気出たか?」
言われて気付く。
確かに、先ほどまで身体の中でグルグル、ふつふつと煮えたぎるような感情は薄れている。
少しばかり派手に、ぶちまけてしまったからだろう。
「栞は昔から我慢するヤツだったから」
「……そうかな?」
「ああ、そう言った意味では、お前は感情制御がかなり巧かったよ。声を殺して泣く女だったからな」
「でも、わたし、来島の前で泣いた覚えはないのだけど……」
魔界に来てから、九十九の前では何度か泣いている気がする。
人間界では、ワカと高瀬の前……、ぐらいかな?
「小学校の卒業式。周りはあれだけ泣いていても、お前は泣かなかった」
「……古い話を……」
そして、あれは泣かなかったのではなく、泣けなかったのだ。
周囲が先に涙腺ダムが決壊してしまったために、乗り遅れた感はある。
「まだあるぞ。中学二年のソフトボール県大会。あれで、生徒会長さん、部活を引退したんだよな?」
さらに、意外な方向から話題が提供された。
「なんで、ソフトボールやっていない来島がそれを知っているのかな?」
確かにあれはかなり我慢した。
そこで周囲のように大泣きすれば、水尾先輩が安心できないと思ったし、何よりもあの場で泣く資格なんてなかったから。
「県大会で使える施設って限られていたからな。俺も別件であの場所にいて、たまたま見かけただけだ」
あの時は確かに皆、大泣きしていて、周囲の視線を集めていたことを覚えている。
点差は僅か1点。
そして、その1点は、わたしの失策によるものだった。
打者走者は、アウトにしたけれど、三塁にいた走者がホームイン。
前進守備で前に出ていたため、打球の勢いが強くて弾いてしまったことなど、そんなのは言い訳にしかならない。
走者が三塁にいる時、右方向へ強い打球というのは、ソフトボールという球技内では常識の戦術だ。
それが分かっていたのに。
そして、反応はできていたのに、ホームへ向かう走者を気にしてしまって捕球が疎かになってしまった。
目の前にあることを片付けてから、次の行動……って何度も言われてきたのに。
あれ以来、わたしは分かりやすい失策が付かない程度にはなった気はした。
そんな遠い日の苦い思い出。
「嫌なことを思い出させるなあ……」
忘れかけていた人間界の記憶。
「そうか? 良い思い出だろう?」
来島はそう言って笑う。
「確か……、2対3だっただろ? 接戦だったから悔しかったことは分かるけどな」
「ぐわ~~~~っ!! これ以上、わたしの古傷を抉らないで!!」
思わず叫んでしまった。
これはかなり辛い!
もう取り戻せないほどの失敗を掘り起こされるなんて……。
「古傷? 活躍したのに?」
「してない!! してない!!」
下手な慰めは却って傷が深まる気がする。
「三回表で一塁線へのスクイズバントを決めた二番打者が?」
「ふえ?」
ちょっと待て?
「四回裏で、六番打者の強打を捕球して、一塁走者をタッチアウトにした上、そのまま打者もアウトにした二塁手が?」
「いや、それは普通のプレーだし……」
なんで、彼はそんなことを事細かに覚えているのだろう?
プレーをしていた本人ですら、言われて思い出せる程度のことなのに。
あれは確かに、二打席目。
サインが出たため、三塁走者が本塁盗塁と同じようにスタートを切った。
読まれていたのか高めのボール球を投げられたけど、手の届く範囲ならわたしは大半のボールをフェアゾーンに落とせる。
そんな球を打つことはできなくても、バットに当てるだけならそんなに難しいことではない。
だから、手を伸ばして、そのままバットを当てて転がした覚えがある。
でも、それは割とわたしの中でよくあるプレーで珍しくもない。
もう一つのプレーについても同じようなものだ。
目の前に強い打球が来たから捕球するタイミングで、目の前に走者が走っていたら、そのままタッチするのは二塁手の基本動作だ。
さらに、一塁への送球も普通にノックを受ける時の流れで、何の変哲もない動作である。
タッチプレーした後の行動でも、やることは変わりないのだから。
だけど、その後の五回裏でやらかしたわけだから、それらは帳消しになったようなものだ。
しかも、その直後、既に時間切れで試合終了。
次の回の攻撃はさせてもらえなかった。
わたしのプレーはサヨナラエラーとなってしまったのだ。
「……と言うか、当事者でも忘れかけていたものを、よく覚えているね」
しかも、話を聞いた限りでは、少なくとも三回から見ていたことになる。
結構、長い時間だったはずだ。
「その少し前から興味を持ってな。だから、ずっと見てたんだ」
「それはお目汚しを」
わたしは頭を下げる。
「ずっと」と言うことは、最後の阿呆なプレーまで見られていたのだろう。
「お前って、自己評価低いよな」
「そうかもね」
確かに高くはない。
いや、自分で高評価できるほど優れた人間ならば、問題はなかったはずだ。
「まあ、良い。入れ」
「へ?」
「もう少し話をしたいだけだ。それ以上、他意も下心もない」
そう言われて、わたしは背中を押されるまま、その先へ進んでしまったのだった。
ソフトボールのルールを知らない方にはちょっと説明が足りないかもしれません。
そして、ソフトボールを知っている方には、彼女が「普通のプレー」と言っていることに違和感を覚えることでしょう。
明らかに普通じゃない部分が含まれているので。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




