纏わりつく違和感
目が覚めた時、目に入ったのは、真っ暗な世界だった。
凄く静かで、何も見えない。
周囲に人の気配はなく、自分一人でこの場所にいることは分かる。
「お腹、すいた……」
どれだけ時間が経っているかは分からないけれど、結構、長い時間眠っていたのだろう。
お腹と背中がくっつきそうだから。
ここはルームサービスもやっているらしいけど、こんな夜中に部屋に呼び出すのは申し訳ない。
受付の傍にある休憩室なら、軽食の注文は受け付けているらしいし、外に出ればずっと開いているお店がいくつもあると聞いている。
流石に、建物の外に出てまた変なのに絡まれたくはないから、受付近くの休憩室の方に行こう。
そう思って、扉を開く。
完全に油断……、していたのである。
「よお」
今、一番会いたくない人間が何故か部屋の外にいて、思わず扉を勢いよく閉じてしまった。
扉に張り付きながら、心臓を確認する。
止まってはいないようだ。
いつも以上に心臓が仕事している気がする。
全身を震わせるように鼓動が妙に大きく聞こえていた。
いやいやいやいや!
まだ心の準備もできてない。
今、会うつもりもなかった。
だけど、このまま籠城できるはずもない。
敵は既に、すぐ外にいるのだ。
つまり、ここから逃がす気もないということ。
完全に閉めたから、この扉はわたしの意思じゃなければ開かないはずだ。
そして、彼がノッカーを使って呼び掛けることもしていない。
だけど、彼の性格上、簡単に諦めてくれるとは思えなかった。
彼はその気になれば、通路で待つことも平気でするタイプの人間だ。
さらに、その場で寝ることすらできる。
ある意味、ライトのようにストーカー気質な部分があるかもしれない。
ジギタリス城樹でお世話になっていた時に、似たようなことがあった。
あの時はたまたま、外に出ていたけど、今回は逆にわたしが室内にいる状況。
簡単に逃げられる気がしない。
窓か?
窓から脱出するしかないのか?
そんな阿呆なことを考えていた時だった。
忘れてはいけない。
彼は、かなり多才で優秀な護衛であることを。
「オレから逃げられると思うなよ」
扉を押さえたままのわたしの背後から声がした。
「ぎゃあああああああああっ!!」
実に色気のない悲鳴だと思うが、咄嗟に出てくる飾り気のない叫びに可愛らしさを求めないでください。
……と言うか、いきなり暗い部屋に移動魔法を使ってくるなんて、これまでの彼になかった行動パターンだった。
驚きのあまり、腰が抜けなかっただけ、良かったかもしない。
「まさか、大声で叫ばれるとは……」
「いやいやいや! 普通、叫ぶ。今、夜中! しかも不法侵入!!」
床を見て、彼と顔も合わせないまま、思いつく限り叫ぶ。
それ以外にもいろいろと理由があるけど、真っ先に浮かんだのはそんなことだった。
「大体、ここって移動魔法使えないんじゃなかったの!?」
そう聞いていたから、扉を閉めただけでなんとかなると思っていたのに。
「カルセオラリア城の移動魔法防止結界内ですら移動魔法を使えたオレに、高級宿と言ってもたかが町の建物の結界一つでなんとかなると思うか?」
思わない。
よく考えれば分かることだった。
いや、でも……。
「話がしたい」
彼はそう言った。
わたしは思わず息を呑む。
「距離をとれって言うならとるし、信用できないならまたオレを『命呪』で縛れ」
さらに、わたしの返事も待たずにそう続けていく。
距離をとっても、一瞬で接近できる彼にはほとんど無意味だし、何よりも今の彼の言葉の意味は……。
「覚えているの……?」
目の前にある扉を睨みつけたまま、わたしは確認する。
「…………おお」
その返答は、いつもの彼らしくなく、どこか弱さを感じるものだった。
「そっか……」
それなら、彼がここに来た目的なんて分かり切っている。
「別に謝らなくても良いよ」
今、謝られても、なんて答えれば良いか分からない。
わたしは彼のことを怒っているわけでも、恨んでいるわけでもないのだから。
「阿呆なこと、言うな」
言葉に鋭さが混ざる。
でもなんで、彼の方が怒るのでしょうか?
「悪いことをしたら、謝るものだろう?」
「でも、アレは、あなたのせいではないでしょう?」
「オレのせいだよ」
わたしの言葉を予測したかのような即答。
「そして、これが、自己満足なのは分かってる」
どこかその声はくぐもっている気がした。
「護衛の身で、お前を傷つけたことも分かっている。だけど、勝手な話だが、オレはまだお前の護衛でいたいんだ!」
分かっている。
彼は仕事で、わたしを護っていて、それを辞めたくないだけだってことぐらい。
そんなのずっと前から知っていたんだ。
だけど、少しぐらい、「セントポーリア国王陛下の娘」としてではなく、「高田栞」を見て欲しいと思うのは、わたしの我が儘なのだろうか?
「あなたなら……、わたしの護衛じゃなくても生きていけるよ」
わたしの口からはそんな言葉が零れ落ちる。
それは、彼にとって酷く残酷な言葉だと自分でも思う。
ずっと彼はそのために生きてきた。
それだけのために生きてきたことを知っていて……。
「たか……」
「近付かないで!!」
彼の動く気配がして、わたしは反射的に叫んだ。
それは、自分でも信じられないほど鋭い声で……。
「言ったでしょう!? 今は、謝罪も聞きたくないし、あなたの顔だって見たくない!!」
そう言って、勢いのまま、部屋から飛び出す。
「たっ!?」
彼の悲鳴に似た呼びかけも無視して、そのまま真っ暗な通路を走っていく。
その気になれば、彼はわたしをすぐ捉まえることだってできるはずだ。
わたしの気配に誰よりも敏感で、その上、この建物内ですら移動魔法を使える。
でも、彼が追いかけてくる気配はなかった。
当然だ。
さっきのわたしの反応は……、女々しくて、ほとんど八つ当たりに近かった。
その上で、全力で拒絶したのだ。
だけど、そうなってしまうのも仕方ないじゃないか。
彼がわたしの気配に敏感であると同時に、わたしだって、彼の気配に敏感になっているのだ。
特にセントポーリア城に行ってから、前よりも感覚が鋭くなっている。
だから、分かってしまった。
今の彼の身体には、わたしの知らない気配が纏わりついていたのだ。
それも、かなり深く強く。
今までに、そんなことは一度もなかったのに。
実際、彼自身の口から聞いたわけではないから断言はできない。
でも、それ以外、考えられなかった。
わたしに触れた手で、誰かに触れたのだろう。
彼のあの熱さも、あの力強さも、あの激しさも、わたし以外の人が知ってしまったのだ。
いや、恐らく、その相手はわたしの知らない彼のことまで、もっとずっと深く知ったのだと思う。
わたしは知ることが怖くて逃げたのに。
この無茶苦茶な感情は、彼の恋人ではないけれど、それでも一番近い異性だと自惚れていたってことだ。
そして、わたしの中にあるこれは、恋愛感情じゃなく、子供じみた独占欲に近いってことは分かっている。
今ある感情は、淋しさに似ている気がするから。
でも、お腹辺りがぐるぐると気持ちが悪くて、足を止める。
ああ、そうか。
少し前にわたしは倒れたんだっけ。
しかも、何も食べてない。
それなら、目も回るよね。
しかも、勢いのまま、宿から飛び出しちゃったから、実は、お金すら持っていない。
あの場から、早く逃げなきゃ、って思っていたし。
「さて、どうしよう?」
今は宿には戻りたくなかった。
あの部屋にはまだ彼がいるかもしれないし。
でも、この街は昼間でも、ちょっとだけ怖い目に遭った。
今は夜だ。
もっと危険が増すことだろう。
あの時は、偶然、来島が現れてくれたからなんとかなったけど、次はもうないかもしれない。
「困った……」
わたしが途方に暮れていた時だった。
「お前、何の反省もしてないのか?」
そんなどこか呆れたような声がわたしの耳に届いたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




