違和感に誘われて
黒い髪、黒い瞳。
関わった誰をも惹きつけ、導く女が何故か今、オレの目の前にいる。
オレは自身の胸を掴む。
だが、激しく動き出した心臓はその動きを止める気配もなく、ドコドコと必要以上に血液を押し出す音だけが伝わってくる。
全身から汗が噴き出てきた。
恐らくは高熱を宿しているのだろう。
酷く熱く、息も短く荒くなり、目も潤んでいることが分かる。
ほんの少し、高田の姿を見ただけで……。
いや、単純に姿を模倣しただけではこうはならない。
それならば、少し前にオレたちの前に現れた「シオリ」と「高田栞」の記録をしている存在でも反応していたことだろう。
だが、あの存在は、その纏っている気配は似ていたけれど、同じではなかった。
だから、多少の動揺はあったものの、我を失うほどではなかったのだ。
しかし、目の前にいる女はどうだ?
どう見ても、「高田栞」でしかない。
姿もその気配すら。
召喚とは違った。
そして、憑依でもないだろう。
恐らくは、先ほど深織が服用した薬が原因だと分かっている。
頭ではそれを理解しているのに、オレはこの手を伸ばすことを止められなかった。
「九十九」
心なしか、オレを呼びかける声まで「高田栞」だ。
そんなはずがないのに。
今の「高田栞」はオレに向かって優しく笑いかけることなどしないだろう。
恐らく、敵意を込めた強い瞳で、オレを睨みつけるはずだ。
それだけのことをしたのだから。
それでも、違うと分かっているのに、「高田栞」の姿をした相手がオレの懐に入り、胸元に顔を押し付けられて動けなくなる。
まるでいつかのようであって、全く違う。
彼女が、オレの胸元に頬を引っ付けたあの日。
オレは慣れない感覚に思わず奇声を上げてしまったのだ。
あの時は、こんな状態になるなんて思ってもいなかった。
オレの抵抗がないことが分かったのか、そのまま、背中に腕を回され抱き締められた。
だが、抱き締められたことにより、不意に、思い出される。
―――― コレは違う!
オレはもう本物の感触を知っている。
本当の彼女の匂いも、あの温かさも。
だから、この女は彼女とは全く違うと理解した。
だが、思わず振りほどこうとしたオレの行動に、気付いた「高田栞」の顔をしたダレかは、逃がすまいと両腕を腰に回して捉えた。
「離れないで」
胸元で響く声。
オレの鼓動が激動していることは既にバレていることだろう。
だが、「高田栞」の姿をした女は、それについては一切、触れなかった。
「少しだけ良いから、このままでいさせて……」
そう言われては動けなくなってしまう。
別に不快ではないが、落ち着かない。
オレにしがみ付いているのは、「高田栞」の姿をした別の女だ。
だけど、その姿も気配も「高田栞」とほとんど変わらない。
そして、これは幻覚のようなものだと分かっていても、オレは、彼女に逆らうことなどできるはずもないのだ。
「何を、した?」
オレは高熱に意識を削り取られながらも確認する。
「企業秘密……と言いたいところだけど、九十九には教えるね」
オレの胸元に顔を埋めながら、意外にも答えてくれた。
「幻覚を重ねたようなものだよ。これ以上は、本当に言えないけど」
「幻覚を……?」
どうやら一種類の幻覚作用だけではないらしい。
だが、今のオレにそんな細かいことを理解できるはずもなかった。
「普通はここまでしないのだけど、九十九が少し、苦しそうだったから」
「苦し……そう?」
熱に溶かされ、少しずつ薄れていく思考は、与えられる言葉に対して、同じ言葉を返すことしかできなくなっていく。
「うん。手に入れたくても手に入らないもどかしさというか……、愛しさと切なさと心苦しさが複雑に織り込められたような感情が激しく入り乱れていて……」
そんなどこかで聞いたことがあるような言葉を口にしたが、それを考えるよりも先に、オレは撫でられる背中の感覚に気付いた。
「ずっと頑張って来たんだね」
不意に、高田から労いのために、頭を撫でられた日のことが思い出される。
優しくて温かい彼女の手の感触に、オレは安らぎを覚えた。
だけど、素直にそれを認めることはできなくて、叫びながら逃走してしまったのだ。
もう少し、オレに余裕があれば、彼女はまたアレを与えてくれるだろうか?
「そして、ずっと我慢してきたんだね」
まるで子供を慰めるような声で、高田の姿をした女はオレの背を撫で続けている。
そのたびに纏まっていない思考は薄れ、まるで溶けてしまうようにゆっくりと消えていく。
「でも、貴方が好きな人は、手の届かない相手なのでしょう? いえ、本当は届くのに手を伸ばしてはいけない人なのよね?」
好きな……人……?
ぼんやりとした頭では、もうそんな言葉も遠い場所から囁かれているようにしか感じ取れない。
「だから、私を代わりにして。そうすれば、貴方はその苦しみから解放される」
「解放……?」
この苦しさから?
決して手に入らない存在はどこまで行っても手に入れることはできない。
オレの両手が空いていても、彼女はオレを選ばない。
そんなことは昔からよく分かっていて、選ばれないことを承知で、オレは彼女を護り続けると誓った。
初めて「シオリ」に会ったあの日から。
初めて「ツクモ」と呼ばれたあの日から。
初めて「高田栞」と会った時から。
初めて「九十九」と呼ばれた時から。
オレは、彼女のためだけに生きると決めたのだから。
「深織……」
朦朧とする意識のまま、頭を振る。
「え……?」
「オレは、やっぱり駄目だ」
どんなに姿や気配を似せた所で、「高田栞」には敵わない。
「それじゃあ、今のままで良いの?」
そんなはずはない。
このままでは、彼女を護れないのだ。
だから、コレしか手段はない。
コレが駄目なら、後はない。
深織が、彼女によく似た姿と気配をしている今なら、オレの感覚は誤魔化せなくても、頭だけなら誤認する。
「だから……、オレに『命令』しろ」
「めいれい?」
不思議そうな声で、オレの言葉をそのまま返した。
途端に脳が激しく揺らされる。
いつものように頭が真っ白には至らなかったが、それでも……、これなら……。
この状態なら、オレは……。
「そのまま続けろ。め、『命令』に、続く言葉なら……、オレは……、高田に……絶対……逆らえない……」
セントポーリア国王陛下も、こんな形の使用など考えてもいなかっただろう。
本来、他人の言葉に従うことはできないはずの「強制命令服従魔法」。
だが、彼女の姿と気配をしていることで、どこかで違うと理解しつつも、オレの知覚は誤作動を起こしてくれた。
「め、命令するよ、九十九」
戸惑いながらも、状況を理解してくれた深織は……。
「私を抱きなさい」
と、素直で分かりやすい命令を下してくれた。
―――― ああ、分かっている。
こんなやり方は誰にとっても正しくないってことは。
だけど、他に方法がなかった。
オレは高田以外を欲しくないのだから。
オレはあの時、本当の意味で高田が異性だと理解した。
それと同時に、他の異性が、本当の意味で女性に見えなくなっていた。
それはあの時、知ってしまったから。
あの黒い髪が乱れるのを。
あの黒い瞳が涙で潤むのを。
あの桜色の唇から溢れ出す嬌声と甘い吐息を。
あの白い素肌がうっすらと熱を帯びていくのを。
あの高田が、オレが触れるたびに反応してくれたことを。
ただそれだけのことで、オレは高田しか見えなくなったのだ。
認めてやるよ。
オレは……、高田のことが好きだってな。
そして、それに気付いたのがかなり遅すぎたってことも、全部認めてやるよ!
高熱に溶かされ、ほとんど残っていない思考の中で、オレが最後に考えたことは、そんな八つ当たりじみた言葉しかなかったのだった。
ようやく自覚してくれました。
……本当に長かったです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




