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運命の女神は勇者に味方する  作者: 岩切 真裕
~ ゆめの郷編 ~

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違和感に目を瞑って

 心が騒めいている。


 薄暗い部屋の中、寝台に座ったオレは、自分の手のひらを見つめながら、その時を待っていた。


 自分の心臓が痛いぐらいに、胸の内側から何かを押し出そうとしている。

 それが分かっていても、胸を押さえることはしなかった。


 今度はもう逃げる気はない。

 逃げた先に必ず起こる悲劇を知ってしまったから。


 もう二度とあんな思いはしたくない。

 それを避けるためならば、どんなこともしてやる。


 本当ならば、もっと早くその覚悟を決めておくべきだった。

 そうすれば、傷つけることはなかった。


 同時に、あの時のオレにその覚悟ができていなかったから、二度と手に入らない甘い夢を見ることができたのだ。


 そのことは棘のように心のあちこちに刺さっているが、その行為そのものを後悔しているかと問われたら、正直、微妙な反応を返すしかできない。


 確かに山ほどの反省もあるし、護るべき者の心も身体も、その全てを傷つけた。


 だが、それでもオレにとっては、「もう二度と手に入れることはない得難い宝物のような時間」だったとも思えたのだ。


 無理矢理、重ねた唇は、頭から蕩けるように甘かったことを思い出す。


 直で感じた温もりに、思考の全てが飛ばされかけたことも覚えている。


 押し付けた熱に、応えてくれたあの瞬間は、たまらなく嬉しかったことなんて二度と忘れられない。


 あの時の温もりも、柔らかさも。


 これまでに聞いたことがなかった声も、見たこともなかった反応や表情も。


 あの時は、その全てが(いと)……、いや、大切で。


 その前までずっと感じていた焦燥も困惑も全て吹き飛ばされ、浄化されてしまったかのようだった。


 だから……、後のことは兄貴に任せた。


 今、その護るべき相手は、幸い、生命の危機というほどではないが、普通の状態でもないことは分かっている。

 

 その原因となったのは、オレの一方的な行動にあったことは間違いないだろう。

 こうしている今もその状況が気にかかって仕方ない。


 だが、オレはそれ以上にやらなければならないことがある。

 だから、こうしてその時を待つことにしたのだから。


 控えめに部屋の扉を叩く音がした。


「勝手に入れ」


 オレは、その場から離れず、顔すら上げずにそう声をかける。


 気取る気などない。

 だが、訪問者の顔をまともに見たくもなかった。


 扉の軋む音がして、ゆっくりと開く。


 そこにいたのは、オレの予想通りの人物だった。

 一度、会っているため、姿をいちいち確認しなくても、気配だけではっきりと分かる。

 

 オレは、兄貴に「相手は誰でも良い」と言ったのだ。


 それを派遣元に伝えたならば、汚名返上、名誉挽回するために、この部屋を自ら訪れる可能性が高い「ゆめ」がいる。


 忘れがちだが、「ゆめ」とは、職業の名だ。


 そして、自分に非はなくとも、一方的に相手から交代宣告をされたなら、その矜持に多少なりとも傷はついたことだろう。


 それだけのことをした自覚もある。

 だから、オレは最初と違って、「誰でも良い」と言ったのだから。


「顔も上げてくれないのね」


 部屋を訪れた女は、それでも、ごく自然にオレに声を掛けてきた。


 まるで、最初の来室などなかったかのように。


「顔を上げる必要があるか?」

 オレは冷たく言い捨てる。


 オレなんかに今更、中途半端な期待をするな。

 どうせ、オレにできることなど知れているのだ。


 そして、この両手は、昔から守るものを決めていた。


「九十九……、随分、変わっちゃったね」


 女が笑う気配がした。


「昔はもっと優しかったのに」


 そう言いながら、オレの横に腰かけた。


 ふわりと甘い香りが漂い、座っていた寝台が人の重みで深く沈む。

 

 彼女が言う昔……。

 それは人間界でのことだ。


 見知らぬ世界へ飛び込み、頼れる人間もいない状況だった。


 オレたち兄弟は、初めての場所で、手探りをしながら過ごし、生活の基盤を整えつつ、不自然に思われない程度に探し人に間違いないと言う証を求め続けていたのだ。


 そんな状況で、無駄に敵を作るような行動をするはずもない。


 そして、彼女の言う「優しさ」は、いろいろと打算に基づいたものだった。

 生来、オレはそんなに「優しい人間」ではない。


 護るべき人間はたった一人で、護りたいと願うのもたった一人だ。

 それ以外は、本気でどうなったって良いと今でも思っている。


 ただ……、その護りたいと思う人間が非常にお人好しで、救いたいと手を伸ばす範囲が広すぎるだけだ。


 だから、オレも仕方なく手を伸ばしているだけのことだった。


 そして、気が付けば……、自然と手を伸ばしていた。


 主人は自分がいない場所でも、傷ついた人間がいたことを知れば、心を痛めることを知っていたから。


「オレは優しくなんかない」


 できるだけ感情を込めずに口にした。


「そうかな? 九十九は今でも優しいよ」


 オレの言葉はあっさりと否定される。


「深みに嵌らぬよう、私を傷つけて、これ以上、関わらせないようにしてくれているから」


 そして、そんな分かったかのような言葉を口にした。


「でも、そこまで気を遣わなくても大丈夫だよ、九十九。こう見えても『ゆめ』だからね。過去の(えにし)に縋るようなことはしない」


 そんなことを言われても、再会した直後の様子からは、とてもではないけれど、そうは思えなかった。


 確かに、あの時、彼女はオレに対して「ゆめ」らしい嘘を吐いた。


 だがそれらの言葉を全て否定する気はない。

 彼女の言葉の中には、本当のことだってあったのだから。


 過去に縁があった相手から、今も想われていると自惚れているわけではない。


 あの時と今では立場も事情も全く違うのだ。

 あの頃のように接することができるはずもなかった。


 ここにいるのは、「ゆめ」とその客。

 それだけの関係だ。


 それ以外の関係を求められても困る。


「なんだか難しい顔しているね」


 横にいる女は、オレの顔を覗き込むように声をかける。


「お風呂、入って来たら? 頭もすっきりするよ」

「風呂?」

「私は先ほど入って来たから」

「そうか」


 だから、前に会った時と匂いが違うのか。


「入浴中に逃げられても困るし。一回は珍しくないけど、同じ人に二回連続は辛いわ~」

「もう逃げん」


 逃げるつもりなら呼ばない。


 前回は流されたようなものだったが、今回は自分の意思だ。

 この期に及んで、逃げ出す気はない。


「それなら良かった」


 ふわりと、目の前の女……、深織(みおり)は笑った。


 昔、この彼女の笑顔が見知った誰かによく似ていると思ったことがある。

 そして、俺が、この女に興味を覚えたのはそれがきっかけでもあった。


 だが、この笑顔は、今、こうして改めて見ると、全く似ていない。


 そんなことにようやく気付いた。


 彼女が似ているのは、「シオリ(むかし)」であって、「高田栞(いま)」とは全く雰囲気が違うことに。


 そんな単純なことも、オレたちの目の前に「あの存在」が現れるまで気付かなかったことに笑えてしまう。


 昔から今まで、自分の「理想(このみ)異性(おんな)」にまで、無意識のまま影響を与えるような存在がいる。


 そんな存在を世間ではなんと呼ぶのか?


 ここにきてようやく、そのことに気付いておきながらも、オレは耳目を塞ぐことしかできない。


 世の中には、気付いていても、認めることができないものもあるのだ。


「風呂、行く」


 なんとかそんな言葉を絞り出して、ふらふらと浴室に向かった。


 さて、この宿泊施設の浴室は、明らかに変わっている。


 オレはあまり魔界では、そういった方面の知識に詳しくはないが、人間界で得た知識もあった。


 もしかしたら、人間界に行ったことがある魔界人が設計したのかもしれない。


 それらから察する限り、この建物のあらゆる場所は、様々な状況を想定して造られていると言わざるを得なかった。


 ……どこにだって好事家と呼ばれる人種はいるよな。


 おかしいな。


 男にとって、これから女性経験をするって、もっと胸が躍り出すような出来事じゃないのか?

 それなのに、なんでオレは胸にこんな重苦しくて固いしこりを抱えたままなのだろう?


 風呂……といっても浴槽には浸からず、身体を洗い、シャワーで流すだけにして戻る。


 あまり待たせたくもなかった。

 逃げるかもしれないと思われているなら尚更だ。


「すっきりした?」


 先ほどと同じように、寝台に腰かけていた深織は、落ち着いた顔をオレに向ける。


 着ている服は、先ほどと変わっていない。

 余計な飾りは少なく、身体の線がはっきり分かる服のままだった。


 ただ、浴室に一度行ったせいか。

 彼女が纏う香りは一段と強くなった気がした。


 別に……、何かを期待していたわけではない。


 いや、正直言うと、少しは期待していた。

 もう少し、扇情的な服に着替えて待っているのかなと。


 仕方ないじゃないか、オレだって男なんだから!


 だが、そんな男の心の叫びを無視するかのように……。


「ところで、九十九。貴方に再会した時から聞きたかったことがあるのだけど……」


 寝台に行儀よく座ったまま、オレに笑顔を向けて、深織はとんでもないことを口にした。


「九十九のご主人様って……、もしかして、南中学校(みなみちゅう)の高田栞さん?」

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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