あんな自分は知らなかった
水尾先輩と話をしたせいか、少しだけ気分が上向いた気がしたのだけど……、彼女の姿がなくなった途端に、やはり急降下した。
わたしの身に何が起きたか気付いた上で、彼女は気遣って来てくれたことは嬉しい。
でも、そのためにあんな話までさせてしまったことは酷く申し訳なく思った。
今は、何もやる気が起きなくて、床の上にシーツを敷いてゴロゴロと転がっているという、人様には見せられない状態。
でも、今だけは、あまり寝台を使いたくなかったのだ。
宿泊施設という場所のため、基本的に部屋の造りも置かれている家具も、どこか似ているのだ。
九十九が使っている部屋にあるものと、今、わたしがいる部屋にあるものが。
だから、どうしても思い出してしまう。
あの薄暗い部屋での出来事を。
あの時の彼は、明らかに正気ではなかったと思う。
そして、わたしは、あんな熱を持った彼を知らない。
確かに熱い部分はあるけれど、それはあんな意味ではなかった。
あんなに激しくて……、強引で、何より、わたしの言葉を完全に無視した行為。
あんな彼は本当に初めてだったのだ。
彼は、わたしのことを「異性」として見ていなくて、だからこそ安心していた部分はある。
それを「油断」と言えばそうなのだろう。
だけど、それだけ彼のことを信頼していたのだ。
勿論、あれは彼の本意ではなかったはずだ。
「発情期」という、魔界人男性特有の病のような症状。
本能に操られてしまっただけで、そこに恋愛感情は伴っていない。
「発情期」を抑えるために必要な存在がたまたまそこにいたわたしだっただけの話。
だから、わたしのことを好きとかそう言った意味ではないと、あんなことがあった今でも思っている。
そうでなければいろいろと辻褄が合わないから。
あれだけの熱を持って彼に触れられても、知らなかった自分の奥底を暴かれても、最後まで違和感は消えなかった。
始めは彼の行動に対して。
そして、自分の変化に対して。
―――― あんな自分は知らなかった。
自分が強い人間だなんて思ったこともないけれど、それでも、あそこまで弱い人間だとも思っていなかったのだ。
雰囲気に流されて、もし、あのまま九十九自身が止まってくれなければどうなっていただろうか?
それを考えるだけでぞっとする。
これまでに経験したことはなかったけれど、あれらの行為からさらに進んだ先にあるものについての知識ぐらいは持っている。
そして、あんな状況で、九十九がそれを配慮してくれたとは思えない。
魔界人と人間、いや、地球人の間にわたしが生まれている以上、そこまで、身体の造りに差があるとは思えない。
カルセオラリアのウィルクス王子が禁を破って人間界に行き、そこで検査を受けていることからも、それは分かる。
行為を行えば、子供ができるのだ。
勿論、それが100パーセントではないことぐらいは知っている。
でも、逆に、避妊をせずに子供ができない確率も100パーセントではない。
魔界の避妊法と、人間界のものが同じとも思わないけれど、医学が発達していないこの世界ではもしかしたら、もっとやり方は悪いのかもしれない。
内容が内容だけに、誰かに確認することは難しいのだけど。
いや、今回の問題はそこではなくて……。
あのまま、流されて、彼の行動を許容していたら、その後悔は今以上のものだった可能性もあるのだ。
そう考えれば、この結果は、そこまで悪くはないのかもしれない。
「いや、良くもないのだけど……」
ごろごろと床の上で転がりながら、一人、そう呟く。
少なくとも、この時点で、わたしの心境や思考にかなりの支障が出ていることは確かだ。
これまでの自分になかった症状が出ている。
寝台を見ることができない。
自分の身体に数多く刻まれた紅い印に変な熱を感じる。
時を刻む時計や、それ以外の物音が不自然なほど大きく聞こえる。
思考がどうしても、マイナス方面に向かっている。
ずっと同じところでぐるぐるしているのは身体だけで、心はどんどん沈んでいた。
何より、今は、九十九にどんな顔をして会えば良いのか分からない。
いや、正直なことを言えば、九十九だけではなくて、他の人に会うのも怖い気がした。
わざわざ、わたしを心配して来てくれた水尾先輩をこの部屋に入れることも怖く感じたぐらいだ。
彼女は女性なのに。
話を聞いているうちに落ち着きはしたけれど、やっぱりどこかで心が落ち着かなかったのも事実だ。
そして、それを水尾先輩も気付いていて、何も言わないでくれた。
女性である水尾先輩に相手にも落ち着かなかったのだから、異性である雄也さんやトルクスタン王子にも落ち着いて会える気はしなかった。
いや、今は、彼らに会いたくない。
絶対、変な顔を見せてしまうから。
リヒトは……どうだろう?
そこまで、気にかからないと言うことは、彼はもしかしたら大丈夫かもしれない。
彼は、わたしに好意を持ってくれているけど、それは、異性として見ているわけではなく、恩人として懐いてくれたと思っているから。
確かに「好き」と口にされたことはあるけれど、それが異性に対してではないことをわたしは知っている。
彼ら「長耳族」は、「適齢期」になると、身体が変化するらしいのだ。
リヒトの容姿は出会った頃からずっと幼い少年のまま。
つまり、まだ「適齢期」ではないということだろう。
彼の言動は雄也先輩に似ていて、少し、ドキッとしてしまうこともあるけれど、それは異性に対して抱くようなものではないことも分かっている。
それは、心を読める彼には、オブラートのようなもので包まれることもなく、直球で伝わってしまっていることだろう。
しかし、いつまでも天の岩戸をしているわけにもいかない。
ここの宿は中心国の王子がお勧めしてくれるだけあって、かなりお高いらしいのだ。
連泊にも限度はあるだろう。
いつまでいるとも聞いていないが、これまでのようにのんびりはできないし、もともと、のんびり過ごしたい場所でもない。
「……と言うか……」
よくよく考えれば、九十九って「ゆめ」に相手してもらうという話ではなかったのか?
そのためにわざわざ「ゆめの郷」に来たと記憶していたのだけど……。
それが、何がどうして、ああなった?
九十九がわたしに対して熱を向けるなんてこと、ありえないはずなのに。
恐らく、あの出来事は、誰にとっても予想外の方向へ突き進んでしまったことだけは間違いないだろう。
流石に、わたしを「ゆめ」と間違えたとは思えない。
彼は、わたしの気配に関しては、誰よりも敏感な人だから。
でも、「発情期」のためにその感覚が狂っていたら?
「嫌だな……」
今の自分の思考は、どうしても、彼に非があると言っている。
いや、ないとは言わない。
それだけのことはされた自覚もあるのだから。
だけど、それでも、彼だけが悪いとも思えないのは何故だろう?
いろいろされている時、彼の瞳は熱に浮かされながらも、どこかで、わたしを責めているような気もした。
あの瞳が忘れたいのに忘れられない。
わたしの反応が変化するまでは、間違いなく、彼はわたしに対してずっと非難するような瞳を向け続けていたのだから。
反応が変化してからは……、うん、深く思い出したくはない。
あれは、わたしだったけれど、どこかでわたしではないと思っているから。
―――― あんな自分なんて知りたくなかった。
高く甘えた声を漏らす自分。
あの時のわたしは……、確かに……、このまま流されても良いと思っていた。
九十九のことを好きだけど、そこまでの感情はないと分かっているのに。
自己嫌悪で、閉じこもりたくなる。
どこにも行きたくない。
誰にも会いたくない。
このまま、この場所で、深く長く眠っていたい。
それは、ただの「逃げ」だと分かっていても、それでも、そう願わずにはいられなかった。
どれだけ考えても、正しい答えなんて出ないのだから。
「こんな自分は嫌だ……」
誰かのせいにして逃げている自分。
自分ではない誰かに押し付けている自分。
自分が助かるために、誰かを犠牲にした自分。
『うん、それについては同感だよ』
不意に、そんな声がどこからか聞こえた気がした。
そして――――――――?
この話で51章は終わります。
次話から第52章「殻に閉じこもる」です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




