何が悪かったのか
「だけど……、わたしは自分を優先してしまったのです」
私の腕の中で、可愛い後輩はそう嘆いた。
「九十九は『発情期』で苦しんで、わたしに手を出してしまうほど辛かったのに、それでも、ギリギリのところで護ってくれました」
その声は震えていて……。
「それなのに、わたしは我が身可愛さから、彼の意思を無視する『命令』をしてしまった……。二度と使わないって決めていたのに!」
強い口調なのに、どこか弱く感じた。
「九十九は! あんな状態になってもわたしを護ろうとしてくれたのに!!」
まるで血を吐くような叫びにも聞こえ……。
「九十九から、『わたしを抱きたくない』……、とそう言われて……、わたしは彼に『命令』してしまいました。わたしは、九十九より自分を護ったのです」
私は思わず、両腕に力を込めた。
彼女は、あの青年からのそんな心にもない言葉を、どう受け止めてしまったのだろうか?
「発情期」は、普通に理性が働かない状態とは違い、自分の意思では本当に、どうにもならないような本能だけの状態だと聞いている。
まず、並の男は留まれない。
自分の意思だけで止まったという話は、少なくとも、私は聞いたことがなかった。
あの聖騎士団長や大神官たちすら我慢ができないような状態だということからもそれは窺い知れる。
つまり、あの黒髪の青年は、この世界の誰よりも、強い意思を持って留まることができたというしかない。
「九十九は、いつも護ってくれているのに……。わたしは、自分のことだけしか考えられなかった!」
だけど、それだけの強い意思は彼女に届かないのだ。
ある意味、互いが互いを考えすぎて、何も見えていない盲目的な状態だって言えるだろう。
「高田……。それは違う」
私がどこまで二人に口を出して良いか分からない。
「え……?」
不思議そうな声。
だけど、このまますれ違ってしまうのは、あまりにもあのどこまでも不器用な青年が哀れに思えてしまったのだ。
「九十九は、止まりたいと願ったんだろ? それなら、高田が守ったのは、自分の身だけとは、私は思わない」
一番、護られたのは、恐らく、彼が守りたかったモノだ。
「でも、それは……」
彼女が何かを言いかけるが……。
「『発情期』は生理現象だ。自分の意思で留まることなんてほとんどできない。アリッサムの聖騎士団長のようなヤツでも、かの大神官でさえも。それは、分かるか?」
私は捲し立てるように言葉を口にしていく。
「なんとなく……」
「九十九は、本能のまま、高田を抱くことだってできたはずだ。だけど、ギリギリで耐えて、それでも耐えきれそうにないから、止めて欲しいと願ったんだと思う」
そう言いながら、私は彼女の頭を撫でた。
彼が守りたかったのは、「彼女を傷つけない」と言う意思。
確かに、この様子では、彼女は傷ついてしまっている。
それでも、歪な形で無理に関係が結ばれてしまうよりは、その傷が浅くて済んだと信じたい。
「そのことについて、高田はどう思う?」
「わたしとのえっちが嫌だったってことでしょうね」
「多分、違う」
それだと「発情期」で反応すらしないだろう。
口では嫌がっても、身体は正直と言うやつだ。
なんか、使う場所が間違っている気がするけど、つまりは、そう言うことなのだ。
「初めての相手が、わたしになることは嫌だった……とか?」
「それはない」
それははっきりと言い切れる。
ヤることに抵抗があっても、その相手が彼女であるのは、ある意味、彼にとっては本望だろう。
「わたしが、護るべき人間だから?」
「それはある」
「そうですか」
彼女は少し複雑な顔をした。
あの青年にとって、この娘は護るべき者であり、同時に手が届かない存在でもある。
それこそ、先輩が言っていたように「発情期」という免罪符が無ければ、手を出すことも許されない血筋。
公式的な身分はなくても、その身体に流れている血は本物なのだから。
そして、あの聖騎士団長の時も思ったが、不器用で真面目な人間の一途さは、時に、狂気となる。
だからこそ、今回のような厄介な事態になってしまうのだけど。
「当人に確認したことはないけど、多分、九十九にとって、高田は唯一、異性として意識しては駄目な存在なんだよ」
「それって、わたしは九十九にとって『女じゃない』ってことですか?」
その発想はなかった。
しかも、即答。
「なんでそうなる? そして、それだと『発情期』で反応しないからな。あのバカのように」
異性として全く意識しない相手に、情欲を抱くはずもない。
但し、同性愛者と両性愛者や無性愛者、そして、動物性愛者や対物性愛者は当然ながら除く。
九十九はどう見ても、異性愛者だからな。
「家族みたいな関係を望んでいてさ。妹のように大事に思っている娘を女として意識したくないって状態……かな?」
「九十九が兄?」
何故かそこで彼女は首を捻り……。
「いや、彼は弟タイプだと思います」
きっぱりと断言する。
「私もそう思う」
先に彼には兄がいることを知っているためなのか。
どうしても、「弟」という印象が拭えない。
いや、かなり、良い男に育ったとは思っている。
でも、私はその成長過程も見てきたせいもあるのだろう。
「それでも、家族を想うなら、そう言った考え方もあるってこと。特にヤツらは、両親を亡くすのも早かったんだろ? どこかに家族を求める気持ちはあると思うぞ」
あの兄弟の、彼女に対するソレは、恋愛よりも家族愛に近しい。
それは無意識に失ったモノを埋める意図があるのかもしれない。
「何より、今の関係を崩したくはないだろうな」
「でも、それはもう無理ですよ」
彼女は私に体重を預けながら言った。
「わたし……、今までのように九十九と接するような自信がありません」
どこか消え入りそうな声。
私は、彼女の震える肩にそっと手を置く。
その気持ちは私にも痛いほどよく分かって……。
あの男の血に塗れてしまったあの日から、私もマオも、あの男を見る目が変わってしまった。
マオが私を助けるために、涙を流しながらも、確かな殺意を持って花瓶を振り下ろしたあの日から。
一体、何が悪かったのか……?
そんな言葉を何度も思い返しては、答えが出ないままの状態が何年も続いた。
定期的に何度も訪れるあの男の「発情期」が来るたびに、今度こそは殺してしまうかもしれないという覚悟を抱いて、私はヤツの前に立っていた。
そのおかげで、魔法の知識も威力も、随分、上がったと自負できるようになったことが、救いと言えば救いなのかもしれない。
ようやく、あの男が正式に姉貴の婚約者となることが決まっても、私の中から蟠りが消えることはなかった。
恐らく、同じようにずっと見てきたマオの中からも。
だけど、私の中にあった気持ちと、後輩の中にあった思いは、少しだけ違ったらしい。
「自分が、『女』だって知ってしまいました」
その言葉が意味しているのは……。
「彼が『男』だって意識してしまいました」
あの黒髪の青年が、彼女にとって、本当の意味での「異性」になったということだった。
「九十九は、ずっとそう言ってくれていたのに、わたし、全く分かっていなくて」
それは悔恨なのか。それとも悲哀なのかは分からない。
ただ、これがある意味、彼女と彼の一歩目だということを、漠然と理解した。
この先、それが男女の情と呼ばれるものに繋がるかもしれないし、今以上に拗れて家族愛どころか友情すらも消え失せることもあるだろう。
単なる事務的な主従関係になることもあるし、呆れるほどベタベタした熱愛関係になってしまうかもしれない。
それでも、彼の熱が伝わって、彼女がそれを受け入れないまでも、その問題から逃げていないことだけは救い、だと思うことにしよう。
私は何故かそう思った。
ただ、それで誰が救われたのかは、私にもよく分からなかったのだけど。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




