いっそのこと完全に
この話は、R-15の表現内でおさまっていると思いますが、ご注意ください。
「そんな……」
どこまでも純粋な彼女は、過去のことだと理解しつつも、その顔を蒼褪めた。
「それが、父親のすることですか!?」
そして、震えながらも確かな言葉を紡ぐ。
「父親の前に国を守る王配だからな。第三王女の未来よりは、将来の王配候補になる可能性すらある男の未来を重視した」
「わたしには、理解できません」
「『発情期』中でも、ヤツが他の餌で満足しなかったから、やむを得ない部分もあるんだよ」
常日頃から、数多の女性たちが迫っても興味を持たず、「発情期」と言う特殊な事態でも、他の女に目もくれなかった。
本当に、どこまでも一途で馬鹿な男。
「それでも、まだ幼い王女を『発情期』となった相手の犠牲にするなんて……」
彼女は自分と重ねたのか、その身体を震わせていた。
「8歳だから、私も何も分からなかったんだよ。だから、ヤツと対峙するまでは恐怖を感じることもなかった」
魔力を暴走させる人間を見るのは初めてではなかった。
それに、王配、父親からの命令など滅多にない。
それも、密命だった。
そんな重要な役目を仰せつかって、どこか浮かれ気分だったことは覚えている。
「だから、余計に酷いです! 知識があってもあんなに怖かったのに……」
「まあ、それは知識があるからこその恐怖だろうな」
知らなければ、何をされるかも予想ができない。
知らないから、何をされていたのかも理解できない。
「ヤツにはほぼ一撃で、吹っ飛ばされて、頭が朦朧としている間にそのまま組み敷かれたよ。やっぱり身内だけあって、ちゃんと反応はしてくれたらしい。私は、餌としては上出来だったわけだ」
「そんな言い方……」
彼女は目を伏せる。
確かに自虐的な表現だと思う。
だが、事実だ。
何人か用意した他の女性には全く反応しなかったヤツが、ちゃんと私には食いついてくれたのだから。
「意識がぼんやりとした中でもはっきりと感じていたのは、本能的な恐怖だった。このまま文字通り、食われる気がしたんだ。魔獣と呼ばれる生き物の中には、人間相手の身体を貪り食らうヤツもいるって話だったからな。そんなことばかりがずっと頭を回っていた」
「水尾先輩、もう……」
止めてくれと言いたいのだろう。
彼女は顔を伏せたまま、震えていた。
だが、私にとってはずっと過去のことで、これぐらい本当に大した話でもないのだ。
だから、構わず続ける。
「身に纏っていた衣服が切り裂かれている時も、自分の皮を剥かれるような感覚だった。羞恥とかもそこまで感じなくて、食われる時は痛みが無いようにと願うだけで、下手に抵抗しない方が良いと覚悟を決めるしかなかったんだ」
集中できない状態では、自慢の魔法など無意味なものでしかない。
吹っ飛ばされた衝撃で床に頭を打ち付け、痛みと視界の揺れでぼんやりとしていた。
その上、本能的な恐怖を精神に刻み込まれた人生経験の浅いガキに、対抗する力などないに等しい。
今にして思えば、本当に笑えてしまう。
その行為の先に、痛みを伴わないはずがないのに。
本来は、私も、女としてもっと抵抗するべきだったのだ。
「マオが、背後に忍び寄って、カルセオラリア製の花瓶で殴らなければ、そのまま食われていたことは間違いないだろうな」
「……へ?」
私の言葉で、彼女は顔を上げる。
「人払いをされた城内の、姉貴の部屋へと続く回廊で、マオは、トルクスタンからもらった無駄にでかい花瓶でソイツを殴りつけたんだ。完全に油断していたところに物理攻撃。どんなに頑丈な男でも、頭を背後からかち割られたら、床に沈むよな」
その無駄にでかい花瓶は、当時のマオにとっては、とても重く持ち上げるのもやっとだったらしい。
ふらふらしていたが、ヤツは目の前の餌を食うことしか考えられない状態だったためか、背後の気配に無防備であった。
いや、気付いた上で「自動防御」に任せたのかもしれない。
8歳のガキがするような物理攻撃ぐらいは意識しなくても、弾き飛ばせると思ったのだろう。
だが、マオが選んだのは、よりにもよって、カルセオラリア製の鈍器だった。
それは、魔法を通さない特殊な物質でできた道具。
ヤツの「自動防御」も「物理耐性」も貫通し、そのまま重力も手伝って後頭部に直撃した。
「赤い絨毯とヤツの下にあった自分の身体がみるみる赤く染まっていく状況は……、あまり思い出したくないな」
しかも、剥かれていたために、自分の素肌に直接ぼたぼた流れ落ちてくる生温くもぬめった感触は、今も忘れられない。
「よく生きていたよな、アイツ……」
もともとの頑丈さにある程度、救われたらしい。
それがなければ、治癒魔法も間に合わなかったことだろう。
「つまり、水尾先輩は……、助かったってことですか?」
「自分の胸や腹に血を浴びた状態だったから精神的には助かったとは言いにくいが、肉体的には血を流すこともなかったぞ。ああ、かなり全身を舐め回されたから、ヤツの流血前に汚れてはいたが、本当の意味で穢されてはいない」
助かっても、自分の身に何が起きたか分からず、暫く、呆然としていた。
そのためか、あの後、どうなったのかよく思い出せない。
ただ、ヤツの返り血を浴びたマオが、顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくっていたことだけは鮮明に覚えている。
「それでも、良かった……」
そう言って、彼女は自分の口を手で覆った。
「それからは、ヤツが『発情期』になるたびに、何度も戦う羽目になったな。無策では太刀打ちできないから、必死で魔法などの知識を得た。人間界に行ってからも、一定時期で帰国して、ヤツの抑えをすることになったし」
他国滞在期でも帰国を許される事態はそう多くない。
「そんな状態でも、その聖騎士団長候補さんは、何もしなかったのですか? その『ゆめ』のお世話になる、とか」
「お世話になれなかったんだよ。その、姉貴以外の人間に関しては、反応しなくて」
そこが一番、頭が痛かった問題でもある。
それを知った時の、一部の人間たちは、揃って頭を抱えるしかなかったのだから。
「反応?」
純粋な眼差しが痛い。
「私に対しても、反応するのは『発情期』限定で、基本的にあの男は、姉貴以外に対して、欲求を抱けない状態、えっと、その、勃たない、らしい」
「立たない?」
いや、なんでそこで聞き返した?
思わずこれ以上の言葉が続けられなくなってしまう。
もっと具体的な言葉じゃないと伝わらないのか?
「…………ああ」
私が黙ってしまったためか、彼女は少し考え、不意に呟いた。
「特定の女性以外は不能ってことでしょうか?」
「…………その通りだよ」
だから、「ゆめ」を派遣しても意味がなかったらしい。
「ゆめ」が使う通常よりも効果が高いはずの媚薬など、あらゆる手を尽くしても、本当に何の反応しなかったそうだ。
いや、それを当人自身の口から私に聞かされても困っただけだったのだけど。
「いっそ、完全に不能にした方が良かったのではないですか?」
さらりと毒を吐く彼女。
「将来の王配候補だからな? つまりは、次代を儲けられなかったら、国が困るからな?」
それが余計に事態を難しくしていたことは否定しない。
「王配候補は一人じゃないのでしょう? 第三王女に手を出すような男は、ちょん切った方が良かったのではないですか? それに未来の王配として、適切だと思います?」
この場に男性がいないからこその言葉だろう。
何を切るのか? ……など、確認するまでもない。
そして、その気持ちは同感だ。
惨いとか、残酷だとか言うヤツもいるかもしれないが、まだ年齢一桁のガキに欲情するような男はぶった切っても良いと思う。
人間界に行った時、私は切にそう思った。
「違っていたら、申し訳ないのですが……」
「ん?」
高田がポツリと呟くように小さな声でそう切り出した。
「その人が、水尾先輩の初恋の人、ですか?」
「そうだよ」
驚いた。
その話を彼女にしたのはたった一度。
それも三年近くも前の話だ。
それも雑談のようなノリで話したことだった。
それを覚えていたのか。
「まあ、だから、今の高田の気持ちは完全に、とまでは言わないけれど、今は、一番、分かるんじゃないかな」
ここまでお読みいただきありがとうございました。




