大した問題ではない
無駄に大きなお風呂になみなみとお湯を注いで入った。
なんという贅沢なお湯の使い方だろう。
ストレリチア城にある大聖堂の湯殿には負けるけど、あそこは儀式以外で使ったことはない。
しかし、お湯ではなく、浄められたお酒なのだから、大聖堂の方がやはり贅沢だったかもしれない。
流石に泳げるほどではないが、それでもわたしの身体がゆらゆらと揺らされてバランスが取りにくいほどの水量……、湯量はある。
気を抜くと、うっかりこの揺れに身体が流されて、そのまま湯船に沈みそうになる。
そうならないためにも、浴槽に手でしがみつかないといけないなんて、こんなに落ち着かないお風呂は珍しい。
なんて無駄な広さなのだ?
これまで泊まったことのないような高級宿泊施設だから?
いや、ストレリチア城でも、カルセオラリア城でも、セントポーリア城でも、部屋に浴室はあったけれど、ここまで大きな浴槽ってなかったと思う。
しかも四角形でも円形でも楕円形でもない本当に奇妙な形。
なんでこんな不思議な形にしたのだろうか?
お風呂掃除がやりにくそうだ。
さらに、こんな場所に大きな鏡って、正直、設置してある意味が分からない。
湯気で曇らないように、わざわざ不思議加工をしてあるようだけど、普通は洗面所にある分だけで十分だよね?
もしかして、どんな時でも体型維持に気を付けろってことなのか?
それならば、余計なお世話だと言わざるを得ない。
因みに、その鏡で自分の全身を確認したところ、体型は変化していない。
そして、自分でも分かるぐらい疲れた顔をしていた。
そして、顔については大丈夫っぽかったけれど、首までしっかり紅い印があった。
首までは自分の目で確認できていなかったので、改めて、客観的に見ると本当に恥ずかしい。
尤も、彼からはそれ以上のこともされているのだから、かなり今更なのだけど。
でも、これなら、普通の服は暫く着ることができないだろう。
特に襟ぐりの深いものなんて絶対に着ることができない。
虫刺されにしては、ちょっと広いし、赤みの数も多い。
蕁麻疹にしては膨らみも足りないし、肌荒れにしても限度がある。
ここまで首筋も上の方にあるのなら、さっき準備したハイネックの服より、タートルネックの方が良さそうだ。
幸い、今はまだそこまで暑い季節じゃなくて良かった。
それに、このティアレラという国は少し涼しい気候のようだし、首を覆う服を着ていても、あまり不自然ではないだろう。
わたしはもともとタートルネックやハイネックなどの服は嫌いではないし、実際、ストレリチアではよく着ていたから、周囲の視線も大丈夫とは思う。
お風呂から出て、青色のタートルネックの服に着替える。
下は、少しゆったりとした灰色のズボン。
そう言えば、本部からの謝礼とやらで頂いた服。
可愛らしかったのに、あっさりボロボロになっちゃった。
下着については自前だったから良いけど、服についてはせっかく頂いたのに申し訳ない。
貴族のご令嬢用の服だったから、見栄え重視で、装備としてはあまり頑丈ではなかったとは思う。
わたしが普段、着ない種類の服だったし。
いや、あの人の力なら、わたしがいつも着るような長旅に耐えられるものでも、簡単に引き裂けるか。
せめて、今のようにタートルネックの服なら、襟首からしっかり開襟されることもなかっただろうけど。
どうして、何度もあの怖かった時のことを思い出してしまうのだろう。
さっさと忘れてしまいたいのに、何故、忘れることもできないのか?
わたしは自分の身体をぎゅっと抱き締める。
それでも、少し前まであった感覚と感情を思い出してしまう。
あんな自分を、わたし自身もずっと知らなかったのに。
その時だった。
―――― コツコツコツッ
誰かが扉を叩くその音に、思わず身構える。
この部屋は防音だけど、扉に付いているノッカーを使った音だけはしっかりと通すらしい。
だけど、残念ながらその相手は分からない。
基本的に、この場所での訪問者は限られているかららしいけど、せめて、ドアスコープがあれば良いのにとわたしは心底、思った。
例外として、従業員の人は、この完全防音処置されている場所でも、声を届かせる方法があるようで、ご飯とかを頼んだ時や、他の人からの言伝などがあれば、扉越しに伝えてくれるそうだ。
でも、今の所、食事の注文はしていないので、どんな形になるかは分からない。
ご飯は、いつも、九十九が用意してくれていたし、念のために数日分の保存食だって持たされている。
でも、もし、今、この扉の向こうにいるのが、九十九だったらどうしよう?
あの時の行為のどこまでが、彼自身の意思によるものだったのかは、はっきり分からないのだけど、実際、口にできないようなあんなことやこんなことをされてしまった後に、わたしはどんな顔をして彼に会えば良いの?
そんな風にわたしが、迷っていると……。
「――――っ!?」
ほんの一瞬だけ、この扉の向こうから、火属性魔気が放出されたような気がした。
この部屋は防音だけでなく、外にいる人間の魔気……、他人の気配をほとんど感じないと言われている。
つまり、この扉を通すほどの魔気はあまりないと言うことだ。
だが、もしも、ここにいるのが普通ではない魔気の持ち主……、具体的にはフレイミアム大陸の中心国であった魔法国家アリッサムの第二王女か第三王女が思いっきり魔気を放出したならば?
通常の建物の建築設計、いや、建物結界に想定されていることだっただろうか?
いや、そんなことを考えていても仕方ない。
わたしは思わず、扉を思いっきり開けた。
「うおっ!?」
わたしが、あまりにも勢いよく開けたために、外にいる人を驚かしてしまったようだ。
だけど、その人は、驚きつつも、わたしを見るなり、腕を引き寄せ、思いっきり抱き締めた。
「ごめん、高田……」
その上、何故か謝ってきた。
どうして?
あなたが謝ることなんて何もないでしょう?
「私、分かっていたのに」
それは小さな呟きに近く、抱き締められるほどの距離でなければ、聞こえなかったかもしれない。
「何を……?」
わたしはぼんやりと言葉を返した。
だけど、その言葉と雰囲気でなんとなく察する。
―――― ああ、この人は、気付いている。
だからこそ、今、この部屋に来たのだ。
「ごめん、高田……」
再度、謝られた。
だけど……。
「水尾先輩が謝る必要なんて何もないでしょう?」
わたしはそう答える。
実際、彼女が謝る必要なんてないのだ。
一番、悪いのは、勿論、恋人でもないわたしに対して酷いことをした九十九だとは思っている。
そこだけは本人にも否定させない。
でも、周囲から「発情期」について、説明が何度もあったし、警告や忠告も含めていっぱいされていたのに、それでも、明らかに様子がおかしくなった彼に近付いてしまったわたしも悪いのだ。
この「ゆめの郷」に来た理由も知っていて、彼にその危険性はまだあったのに。
それでも、通路で発熱していた彼を見つけた時は、そんなこと全て頭から吹っ飛んでしまった。
その結果、自分で相手の部屋に運ぶことになった。
その上、その部屋で押し倒されて、彼からいいようにされるとか……。
今となっては、「救いようのない阿呆」としか言いようがない。
「水尾先輩は何も悪くないので、謝らないでください」
わたしは再度、そう言った。
「高田……」
水尾先輩は力なくわたしの名を呼ぶ。
それが彼女らしくなくて、そんな顔をさせてしまっていることに胸が痛んだ。
―――― 大丈夫。
こんなこと、大した問題ではない。
いつか来るものがちょっと早まっただけ。
それが思わぬ形で、理想とはかけ離れた場所で訪れただけのことだ。
それに、漫画とかでよく言われるように、苦手な犬に噛まれるよりは多分、ずっと良いとも思う。
何より、セントポーリアの王子は、彼よりもっと容赦はないだろう。
「わたしは、大丈夫です」
そう言って、わたしは水尾先輩に笑って見せたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




