計算違い
祝、900話目!
黒髪の青年の言葉に、私は総毛立った。
その言葉は、魔界に住む全ての女性が恐れるものを意味していた。
身分の高い女性に手を出して、護衛が許される状況……。
勿論、そんなことはほとんどない。
それが簡単に罷り通るならば、「護衛」や「騎士」などと言う職業そのものが信用の置けないものとなってしまう。
基本的にこの世界において、男女差別というものは、人間界に比べればずっと少ない。
勿論、それは国にもよるし、向き不向きや、性別による違いはどうしたって存在する。
それでも、女性であること、男性であることを理由に就けない職業があるということはほとんどない。
「遊女」や「男娼」のように、名称が変わることはあるけど。
だが、中には断罪する者の感情によって、裁きが変わってしまう部分はある。
その中の代表例が「発情期」だ。
本人の意思では抗いがたい生理現象の一種であるため、それによって引き起こされる婦女暴行に関しては、かなり寛容だった。
みんながみんな「ゆめの郷」に行けるはずもなく、派遣型の「ゆめ」を手配することだって、それなりにツテがいるのだ。
そして、誰もが都合よく、自分にとって手近な異性がいるわけでもない。
だが、それを理由にして、襲われた女性からすれば、たまったもんじゃない。
だからこそ、護衛が護衛対象に手を出す可能性があるのなら、事前に手配して、その懸念を拭っておく必要がある。
「発情期」は確かに本能的なものではあるが、対処法がないものでもないのだ。
しかも、事前予告みたいなものもある。
それでも、罪を犯すようなことは許されるはずもないが、通常の婦女暴行よりはかなり許容されている。
「そのために、先輩は見逃したのか?」
今の発言はそう言うことだ。
弟の望みを叶えるために、そのタイミングを測っていた?
「まさか……。今回のことは俺にとっても、いろいろと計算違いだっただけだ」
「は?」
けろりとした顔で、黒髪の青年はそう言い切った。
「九十九は毎晩、症状を抑える薬湯を服用していた。だから、『発情期』発症まではもう少し、時間があるはずだった。その点においては、大神官猊下にも確認している。個人差はあるが、あの薬湯をかかさず服用できるなら、あと一月は持つはずだ、と」
「薬湯?」
言われてみれば、ここ最近、九十九の香りが変わっている気がした。
あれは、薬湯の匂いだったのか?
「それに、ここまで来て九十九が『ゆめ』を断るとも思っていなかった。選べる立場にないし、ああ、見えても、アイツも相応に女性への関心はある。むっつり助兵衛だからな」
「ムッツリなのか……」
「多分、性欲は俺より強いぞ」
「要らん情報をありがとう」
寧ろ、今の状況では、不安しかなくなるような情報だった。
いや、なんで、兄とは言っても、先輩がそれを知っているのか?
そちらについては、怖くて確認もできない。
「『ゆめ』が人間界の元カノだったって言うなら、まあ、気まずいよな……」
互いにその心境は複雑、いや、九十九はともかくあの「ゆめ」の方は望むところかもしれない。
ある意味、元カレに合法的に迫る機会ってことだもんな。
あの様子だと、九十九に未練があるか、金蔓だと思ったかのどちらかだとは思う。
仮にも、「ゆめ」なら、その手練手管で、経験の浅い夢見がちな男たちを手玉に取ることぐらいは簡単にできるだろう。
計算違いだったのは、既に、彼には本命に限りなく存在の異性がいて、しかも、その相手は彼の手に届く位置にいたことだ。
目の前であれだけ分かりやすい寵愛を見せつけられても、迫ることはできたのなら、かなり図太い神経を持っていることだとも思うけれど。
「後、先ほどから俺が気になっていることがあるのだが、口にしても良いか?」
「何を?」
珍しく問いかける前に、意思確認をする先輩。
「貴女の先ほどの発言は、九十九が受け入れられないことを前提に話している点が、非常に気になっている」
確かにそう言われても仕方ない。
だが……。
「九十九が、あの高田に、受け入れられるとはどうしても思えなくて……」
私が思わずそう言うと、彼にしては珍しい種類の表情をした。
笑いたいのか、頭を抱えたいのか分からない。
彼らの関係は明らかに、その想いの熱量が違う。
主人の方は護衛であるあの青年のことを好ましく思っているし、友人の中でも高ランクの位置に置いていることは間違いない。
何かあれば、真っ先に相談するのは彼だろう。
だが、それはどこまで行っても仲の良い友人止まりということでもある。
何か意識する機会がない限り、その関係が劇的に変化するとは思えない。
護衛の方は逆に行き過ぎた執着を感じる。
過保護と言えば、まだ聞こえは良い。
だが、随所に見える独占欲は、はっきり言えば、護衛の域を越えている。
異性としての意識は薄いように見えるが、それは、ほんの僅かなきっかけで、あっさりと転がるとずっと前から思っていたのだ。
「そこは男女の話だ。互いに肌を重ねることで、見えるものもある」
「重ねてからじゃ、遅くねえか?」
そして、その状況では、あまり喜べない。
「まあ、俺は彼女を信じているし、あの弟も信じているからな。貴女ほど、悲観的には考えていない」
「へ?」
意外な言葉に私の目は丸くなったと思う。
「先輩が、普通にそんなことを言うなんて……」
意外過ぎて、我が耳を疑ってしまった。
「失礼な。俺は信用ができないヤツを駒として使う気などない」
「それ、信じるとは違う気がする」
確かに仕事に対する信頼という意味では、あの青年は裏切るとは思えない。
目の前にいるこの青年も。
「だから、どんな結果になっても、アイツを追い詰めることだけは止めてくれ。好きではない弟だが、壊すことは本意ではない」
「追い詰める気はないよ」
その点において、彼女に警告しなかった私も同罪だ。
そんな私が彼に何を言えると言うのだろう。
「アレは生かさず殺さず、使い潰さん程度に遣うべきだからな。それに、ヤツがいないとそれなりに不便なのだ」
「…………素直じゃない兄だな。今のは、余計なことを何も言わなければ、それなりに美談に纏まる話だったぞ?」
「事実だからな。それに貴女相手に取り繕っても、仕方ない」
「そうですか」
まあ、私としても、この人から気を遣われない方がマシだと思うけれど。
「そう言えば、リヒトは?」
いつもこの青年の傍にいる褐色肌の長耳族の姿がない。
今は、その能力も封印しているので、彼の傍から離れるとは思っていなかったのだが……。
「少し前に、貴女の姉と先ほど出かけたようだが……」
「は? マオと?」
意外な連れの名前に少し、驚いた。
「通訳のためにトルクスタンも引っ張られていったみたいだが……」
「あれ? アイツも『ゆめ』を買うんじゃなかったか?」
ここに来た時、そんなことを言っていた覚えがある。
「あれから、どれだけの時間が経っていると思うのだ? 人間界で言う『ご休憩』の時間はとっくに越えている」
「言いたいことは分かるけど、その表現はどうかと思うぞ」
言われてみれば、この宿泊施設に来てから日付こそ変わっていないけれど、半日以上は経過していた。
ここで注文して、「ゆめ」が派遣されて、さらに部屋籠って2,3時間以上。
うん、十分すぎる時間だな。
「そうだな。すまない。女性相手に遣う言葉ではなかった」
この人のこういうところが苦手だ。
私みたいなのを相手でも、ちゃんと女性扱いするから。
「良いよ、トルクで慣れているから」
逆にあそこまで気遣わないあの男もどうかと思うけど。
そんなことを考えていた時だった。
――――っ!!
九十九の部屋から……、高田が出てきた気配がする。
目の前にいる黒髪の青年はその表情を変えていないが、恐らく、気付いていることだろう。
「私は少し経ってから向かうつもりだけど、先輩はどうする?」
「俺は…………、今日は止めておく」
彼にしては珍しく逡巡の表情をした後、そう言った。
「分かった。後で、先輩にも状況を伝える。でも、何も教えることができなかった時は、ごめん」
状況によっては、男には聞かせにくい話になるかもしれない。
いや、あの後輩が何も言ってくれない可能性もある。
私の言葉に、青年は一瞬だけ、何故か目を見張ったが……。
「助かる……。ありがとう」
私に向かって、そう頭を下げたのだった。
900話となりましたが……、7話ほどカットした分、ちょっと区切りは悪い感じがしますね。
ここまで、長く続けられているのは、ブックマーク登録、評価、感想、誤字報告をくださった方々と、お読みくださっている方々のおかげだと思っています。
本当にありがとうございます。
まだまだこの話は続きますので、最後までお付き合いいただければと思います。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!




