暗示をかけて
「魔界にも事情聴取なんてあるのか」
「人間界のよりはかなり緩いけどな。犯罪に対しての状況確認ぐらいだ。被害者の身元確認は不要だから、悪いが付き合え」
「それがなければ、本部とやらに行く気はないよ」
そう言って、俺の横で歩いている女は笑った。
この世界は身元不明、年齢不詳の人間が多い。
そもそも、人間界にあった戸籍や住民基本台帳、国民識別番号のように書類やデータなどで管理されていないのだ。
警備もないため、許可なく国境の行き来もできるし、土地も余っている。
だから、管理の印がなければ、空いている土地にいきなり住み着いても罰を受けることはほとんどない。
管理はされていないが、土地の持ち主、領主と呼ばれる貴族の存在はあるため、その領域に住み着く以上は、それなりのモノを寄越せとはなっているらしい。
それもどんぶり勘定のように雑なものが多いようだが。
だから、国民と言っても、上の人間たちはどれだけ自国民のことを知っているかは分からない、と言うのが、下々の人間たちの考え方である。
尤も、それは庶民の考え方で、一般的な貴族たちはそれなりに自国民たちの管理について、それぞれ考えを持っているらしい。
その辺り、俺にはよく分からんが。
「そう言えば、さっきの男の人はどうなったの?」
黒髪の女は、事も無げにそんなことを問う。
あれだけ俺の瞳にも分かりやすく大気魔気に影響があったのだ。
見た限り、それなりの目に遭っていたはずだが、それまで気にしなかったのが不思議なくらいだと思う。
それだけ、彼女も混乱していたのかもしれない。
「ああ、さっきのお前に絡んでいた男か」
隠すつもりもないので、誤魔化さずに口にした。
「四肢を断った」
「え……っ?」
俺の言葉に対して、彼女はお綺麗な世界に生きている人間らしい反応を見せる。
その顔は蒼褪めて、俺の言葉に目を見張っていた。
彼女は、あまり血生臭い世界で生きてはいないことが、これだけでも十分すぎるぐらい分かってしまう。
だが、それでも黙って次に続く言葉を待つ姿勢を見せた。
これだけでも大したもんだとは思う。
「あの手の人間は、そこまでしても分からない」
俺は溜息を吐きながらそう答えた。
実際、どん底で生きる人間は、どんな犯罪にも手を染めることを迷わない。
特に、こんな場所なら尚のことだ。
生きていくためには、「ゆめ」や「ゆな」を含めて、そこで働く人間たちも自分にできる限りの手を尽くす。
時には相手から金を搾り取るために、通常営業だけではなく、手練手管を駆使したり、媚薬を始めとする様々な薬品や魔法を行使したりするなど、その方法は枚挙に遑がない。
ここは「ゆめの郷」と呼ばれる領域だ。
そのために、そこで暮らす「ゆめ」や「ゆな」と呼ばれる者たちの行いに対しては、罪とされないことも多かったりする。
だが、それを利用して、「ゆめ」や「ゆな」、その他、ここで働く者のふりをして、一般人に悪さをすることは許されていない。
だから、それなりの報復措置がある。
だが、ここ「トラオメルベ」は、訪れる人間も多く、それに伴って、悪行を働こうとする人間たちの数が多いためになかなかそれを見つけ出すのも苦労しているのが現状だった。
そして、それらに対応するための抑止行為は、その人間に「死」という形を持って引導を渡すしかないことも多々ある。
塵芥の存在はどこまで行っても救いようがないということなのだろう。
まあ、上手く周囲の目を誤魔化せれば、それなりに良い思いもできてしまうことが一番の問題点なのは間違いない。
ハイリスクハイリターン、と呼ばれるものだから、悪い意味でも夢を見てしまう。
「そこまでしても……?」
「この世界には治癒魔法や治癒術があるからな。四肢を断っても、ツテがあれば元に戻すことは可能なんだ」
「治癒魔法、怖い」
そこでそっちに発想が飛ぶのが凄いと思う。
四肢の分断をも治す可能性がある治癒魔法を、「凄い」、「素敵」と思わず、「怖い」と表現するのだから。
尤も、そこまでできるほどの治癒魔法を使える人間はほとんどない。
このトラオメルベには一人だけ、何でも癒せる治癒魔法を使える人間が一人いるらしいが、俺は会ったこともない。
本部の秘蔵というやつで、基本的には表には出てこないのだ。
「お前は俺のやり方を詰らないのか?」
てっきり、「気狂い」、まではいかなくても、「残酷」、「非道」、「人でなし」とかぐらいは言われると思ったのに。
「遊郭で刃傷沙汰は珍しくない話でしょう? 『ゆめの郷』の規則がそうなっているなら、部外者のわたしに何が言える?」
「なるほど」
確かに彼女は人間界での「遊郭」と呼ばれる花街の知識はあるらしい。書物上での知識ではあっても、全く何も知らないわけではない。
そうでなければ「忘八」などと言う単語も出てこないだろう。
尤も、俺は「忘八」と言えるほど、そこまでいろいろなモノをまだ捨てた覚えはない。
捨てられないから、ここにいるのだ。
「でも、詰られたいなら頑張るよ?」
「頑張るなよ」
あどけない顔でなんてことを言うのか、この女は。
そんな所で頑張られても困る。
しかも、厄介なことに彼女は語彙も豊富だ。
バリエーション豊かに詰ってくれるだろうが、残念ながら俺にそんな趣味はない。
「それでも、わたしへのショックを最小限にしようとしてくれたでしょう? 多分、見ていないから、平気だよ」
それでも、その場に広がっていた赤黒い染みを見なかったわけはない。
本当は平気ではないのに、平気なふりをするのは変わっていないようだ。
「お前は、変わらないな」
「来島は変わったね」
「そうか?」
「髪の毛の色は不思議と変わってないのだけど、瞳の色が全く違う」
「ああ、こっちが地だ。人間界でこの色は難しいからな」
俺の瞳は深い紫色だ。
青でもなく、アルビノで起こる虹彩とも違うので、地球上ではありえない色となっている。
「いや、赤い髪も大概だと思うよ」
「そっちは暗示で何とかなるんだよ」
髪の毛の赤さは、染色とか言って誤魔化せなくもないが、流石に小学生や中学生が日常的にする色ではない。
地毛と言って押し通すことも難しいし、何よりも面倒なので、暗示を使っていたのだ。
「暗示だったのか」
彼女は呆れたようにそう言った。
「お前のそれは、地毛か?」
「うん。髪の毛も瞳も加工無し」
瞳や髪が、カラフルな色彩溢れるこの世界で、黒髪、黒い瞳はそこまで珍しい色ではないが、どちらかと言えば、魔力が強く魔法力も大きい高貴な人間に多いことを彼女は知っているのだろうか?
ある意味、目立つ色でもある。
だが……。
「この綺麗な髪は、地毛だったか」
それが妙に嬉しかった。
人間界ではもっと綺麗な髪を持つ人間もいたが、俺は、彼女の髪を妙に気に入っていたのだ。
幼馴染みが持つ色と重なっているせいかもしれない。
「相変わらず、来島は褒め言葉が美味いね」
どうやら、世辞と取られたらしい。本心からなのに。
「世辞じゃないぞ」
「……へ?」
「お前自身も綺麗になったな、高田」
「ほげ?」
「……いや、どんな反応だよ?」
「同級生から飾らずに褒められるって妙に照れくさいね」
そう言って、彼女はその両頬を赤らめた。
まるで、ガキのような反応。
そのことが、この彼女が、「護衛たち」とやらに過保護なまでに護られているのかよく分かる気がした。
これは、人間界で言う特別天然記念物扱いでも良いんじゃねえか?
どれだけ、大事にされているんだよ?
そして、同時に、護衛たちはどれだけ彼女を「異性」扱いしていなかったのか? とも思う。
ちょっとチョロすぎるだろう。
悪い男にコロリと騙されるぞ、この女。
だが、同時に、それは好都合だとも思えた。
目の前に一度は焦がれた穢れの無い綺麗な花が、護られることなく揺れているならば、誰かに奪われる前に手折りたくなるのが男だろう?
ここまでお読みいただきありがとうございました。




