事前準備
「『ゆめの郷』……」
来るべき日が来たなと思った。
いや、まさかここまで自分が女性に縁のない生活を送ることになるとは思っていなかったのだけど。
未だ眠り続けている高田のことは、水尾さんに任せている。
オレは兄貴と今後の打ち合わせをしている時に、そろそろ行くという話になったのだ。
「隣国ティアレラにある『トラオメルベ』と呼ばれる街が、この大陸で一番選択肢が多い『ゆめの郷』らしい。位置はシャリンバイとの国境近くだ」
「選択肢ってなんだよ?」
「客の趣味嗜好に合わせて選び放題ってことだな。中には、女性に男装させるような場所もあるらしい」
「なんでわざわざ野郎の姿に」
「趣味嗜好は多種多様だ。それに利用するのが男性とも限らん」
「ぐへえ」
想像するだけで恐ろしい世界だということは分かった。
「……ってか、『ゆめの郷』って、『発情期』対策ってわけじゃねえのか?」
「『発情期』のない人間界に何故、夜の店が繁盛するか分かるか? 古今東西、そう言った場所や職業があるか理解できるか?」
「……ああ」
人間の欲望は尽きることがない……と、そう言うことか。
「……って、それじゃ、『発情期』の問題が解決しても、問題は別に発生するじゃねえか!!」
オレは「発情期」だけが問題だと思っていたのに……。
「阿呆」
だが、そんなオレを兄貴は白けた目で見据えた。
「あ……?」
「誰もが常に欲求を剥き出しにしているか? 人間がそんなに理性のない生き物なら、とうに滅んでいる」
確かに誰もが欲望だけで生きてはいない。
だが……。
「なんで欲求に忠実になったら滅ぶんだよ。寧ろ、増えるだろう?」
「性的欲求ばかりが欲求か?」
「違うな」
言われるまで思い至らなかった。
「まあ、つまり、そう言うことだ。お前の思い描く欲望も、それ以外の欲求も、皆、折り合いをつけて生きている。だから、たまに、他者によって解消されたいと願うわけだ。常にパートナーがいる人間ばかりではないし、パートナーがいても別物と思う人種もいる」
「まあ、いつも同じものばかり食っていたら飽きるってやつか」
マンネリってやつだな。
もしくはワンパターンか?
「そんな所だな。他には……、そうだな。パートナーに自分の性癖を伝えられない人間もいる」
「それって信頼してねえってことか?」
「特殊性癖……、異常性欲と呼ばれるものに関しては、簡単に相手に伝えられるものではない。分かりやすいところでマゾヒズムやサディズムか」
「ああ、なるほど」
信頼しているからと言って、パートナーに何でも伝えられるわけじゃないってことか。
「その『トラオメルベ』なら、女性連れでも問題ないらしい。身分の高い人間が自分の従者の性欲解消に連れてくることもあるそうだ。まあ、彼女たちが好みの男たちとの疑似恋愛に興味があるなら、後学のためにも利用させても良いか」
「ちょっと待て!?」
それはどうなのか?
「お前はホストクラブが常に枕営業をしていると思うか? 軽い会話からちょっとスキンシップまで幅広いサービスを提供しているらしい」
「男の理性なんて当てになるか。スキンシップなんてもってのほかだ。どさくさに紛れて何されるか分からん!」
「同感だが、お前が言うな」
「そもそも、『ゆめの郷』になんか連れて行ってどうするんだよ!?」
なんで、女連れでそんな場所に行かなければならないのか?
「港に行く通り道にあるから往復する手間が省ける。それに、そこはトラブル防止のために警備の人間も巡回している。その他、いろいろ話をトルクスタンから聞いた限りだが、他の『ゆめの郷』よりは安全だと判断した」
兄貴のことだから、トルクスタン王子から聞いた話以外にも下調べはある程度しているのだろう。
その上で判断したということだ。
そして、連れが増えた以上、兄貴一人で面倒を見るにも限界がある。
そうなれば……、連れて行くってことに……、ああ! でも!! 結構、目的がはっきりしているからいろいろと辛い!
いや、悩んでいる余裕なんてないんだ。
いずれ、二回目が来る。
あの時は、大聖堂で「禊の間」という名の地下牢を借りることができたが、そんなものはもうないのだ。
オレ一人の意思で、あの状況に耐えられる気がしない。
そうなれば、後は、オレが覚悟を決めるだけの話となる。
いや、覚悟はとっくにできている。
ただ、その場所に彼女を連れて行くということだけが……、どうしても、抵抗があるだけだ。
「ああっ!!」
オレは頭を抱える。
「そんなに悩むことか?」
「兄貴も年頃の女たちと行くことになれば分かる」
その場所はどう言いつくろったところで、結局のところ、そういったことをする目的で向かうことには変わらない。
行く前にどんな視線を浴びるか。
行った後でどんな態度を取られるか。
それを想像するだけで頭と腹が痛くなってくる。
「俺が不調になる前に、こっそりと済ませておけば問題なかったことだろう? これまでに何度もその機会はあったはずだ」
「分かってるよ!」
分かっているのだけれど……。
「それにお前よりも問題がある人間もいる」
「は? 問題……?」
「リヒトだ。アイツは、人間の心が読めてしまう」
「あ……」
そう言えば……、そうだった。
アイツを人間の欲望の塊が集まるような場所へ連れて行くなんて……。
「だが、置いていくことはできない」
高田と違って意識は回復しており、今は、落ち着いて横になっているらしい。
何かあったら、兄貴の持つ通信珠へ連絡するように伝えていた。
「抑制石を外しても、アイツはスカルウォーク大陸言語を少し理解している。だから、あまり意味はない」
「耳栓をしておくとか?」
「お前限定通信珠のように脳に直接流れ込んでくる声をどうやって遮断できる?」
「ああ、あれは夢にも届くな」
高田からの声は眠っていても、直接流れ込んでくることが分かっている。
あんな状態では、耳栓も確かに意味はない。
先ほどから兄貴がずっと考え込んでいると思ったら、オレではなくリヒトのことを考えていたらしい。
だが、問題はあっさり解決することになる。
****
『一時的に、心の声を聞かなくなる方法もある』
オレがリヒトの様子を見に、部屋へ行った時、いきなり本題から切り出された。
「お前、聞いていたのか?」
『自分に関わる話だ。聞いて何が悪い?』
まあ、リヒトの意識が回復していたのだから、聞こえて当然か。
「それで、心の声を聞かない方法とは?」
『大神官からもらった。寝る時だけでも付けろと』
そう言って、リヒトは自分の荷物から、細い銀色の環を取り出した。
『これには、精霊族の力を封印する効果があるらしい』
大神官はリヒトが精霊族……、長耳族であることを知っていた。
そのために、オレたちが気付かない対処方法を授けてくれていたのか。
「だけど、なんでこんな便利なものを頂いたのに、いつも使ってないんだよ」
『会話が不自由になるからだ』
「は?」
『精霊族の会話、人間相手に意思伝達する能力は、精霊族の力によるものらしい。心だけではなく、普通の会話ができなくなるそうだ』
「そ、それは……」
なるほど。
日頃、使わないわけだ。
『ただ、俺は混血児らしいからな。人間の能力として、片言にはなるが、まったく会話ができなくなることはないだろう。ただ、スカルウォーク大陸言語のみになるとは思っている』
そう言って、リヒトは溜息を吐いた。
『だから、その「ゆめの郷」とやらに着いたら、とっとと用を済ませろ。俺は一時的とはいえ、シオリと会話ができなくなることが一番つらい』
「簡単に言いやがって……」
物事には順序もある。
簡単にできたら、ここまで拗らせてない!
『ああ、言っておくが……』
そこでリヒトはオレを睨みつけながら……。
『その上で、シオリを傷つけるなよ』
そんな当然のことを口にしたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




