進路協議
「ローダンセに行くなら、バッカリスより、このシャリンバイの港を利用した方が良いな」
スカルウォーク大陸の地図を広げながら、トルクスタンはそう言った。
「ローダンセに行くと決めたわけではない」
「どうせ、行くところ決まってないのだろう? ついで、ついで」
トルクスタンの言葉に、先輩が溜息を吐く。
「フレイミアム大陸に近付くなら、スカルウォーク大陸西北端にあるシャリンバイではなく真逆のメディオカルカの南から、グロリオサに行く方が良い」
「でも、フレイミアム大陸に姉貴たちがいるとは限らないよ、先輩」
私は口を挟む。
「今の栞ちゃんと同じだ。魔力回復を考えれば、アリッサムの人間はフレイミアム大陸よりあまり離れない方が良い」
私だって、それが理解できなくもないのだけど……。
「でも、姉貴はクリサンセマム国王から狙われてるぞ。あのラスブールがそれを許すはずもない」
「聖騎士団長殿は私情を優先される方か?」
「おお」
先輩の疑問に私は自信を持って即答した。
私はあの黒髪、金の瞳の男を思い出す。
あの男は、第一王女のためだけに聖騎士団長という地位にまで上り詰めたような男だ。
そうして、女王陛下より第一王女の婚約者候補として認めさせた。
だから、姉貴を他の男に奪われるぐらいなら、その地位をあっさり捨て、他国の国王でもその首を狙うことは厭わない。
実力の伴ったストーカーと言うのは本当にタチが悪い。
厄介なヤツに魅入られたと思うが、姉貴は気にしていなかった。
それどころか「頼もしいわね」と笑うほどだ。
あの姉貴も普通じゃない。
「そうか……。九十九のようなタイプか?」
先輩からそう確認されて、考える。
この人も何でも知っているような顔をしているけれど、流石に聖騎士団長のことをそこまでは知らないよな。
ある意味、あの男は、アリッサムの極秘事項に属する。
いろいろな意味で、表に出せるはずがなかった。
「タイプ的に似てる気はするけど、九十九より絶対、酷い」
「酷い?」
「九十九は、ほとんどの場合、自分より高田の気持ちを優先させる。そもそもその辺りは、私情を優先させてないからな。だけど、ラスブールのヤツは第一王女の気持ちよりも自分の気持ちを優先させる。ヤツが『発情期』に入ると、毎回、お祭り騒ぎになるほどだった」
三年近く会っていないが、流石にもう大丈夫だろうとは思っている。
姉貴の婚約者に納まり、国は崩壊したものの、二人で過ごす時間も増えたはずだ。
そして、どこかの大神官のように立場上、我慢をする必要もない。
外見はともかく、姉貴のその実年齢は既に22歳なのだから。
そして、あの聖騎士団長の異常さを知る人間なら、どんなに女日照りとなっても、その執心相手である姉貴に血迷うこともないはずだ。
いや、あの外見に惑わされるような人間は、どうかと個人的には思うけど。
「発情期……。確か聖騎士団長の御歳は……」
「確か、37歳。今年38になるかな」
発情期は異性への興味がどれだけ強いかでその症状が変わるらしい。
あまり異性に興味はなく、発情期の症状も軽かったらしいのだが、姉貴が11歳の時、結界の塔へ移動するために部屋から出ていたところを見初めたとかなんとかで、状況が一変、あらゆる方向でヤツの危険度が増した。
もともと才能の塊だったヤツが、一気に聖騎士としてその頭角を表し、更なる高みに上り詰めることとなる。
それは良い。
年齢にさえ目をつぶれば、純愛と言えなくもない話だ。
だが、発情期となれば、最強で最恐で最凶な敵へと変わる。
魔法国家の聖騎士団を総動員しても抑えられないとか国士無双にも程がある。
それも、その頻度が二ヶ月に一度。
大神官や九十九を見た後だからはっきりと言えるが、今にして思えば、ある意味、どれだけ我慢できない男だったんだ?
「ああ、トルクスタンの同類だったか」
先輩のポツリと言った言葉に……。
「失礼な! 俺は流石に自分の半分しかない年頃の女にまで欲情しない!」
思わず、反応した幼馴染の反論に頭を抱えたくなった。
姉貴は部屋からほとんど出ていないためか、その体格は高田以上に小柄だった。
低身長、低体重。
だが、その魔力は私よりも遥かに強い。
母親である女王陛下もそんな体格だから、部屋に籠り切りと言うのは身体の成長にはよくないのだろう。
これが人間界なら虐待だ、育児放棄だと騒がれそうだが、ここは魔界だ。
それも、王家が歴代守り続けた因習だ。
そして、その結果は穢れなき魔力の強さという形で表れている。
魔法国家と呼ばれた国はそれで成り立っていたのだから。
「トルクは少女趣味だったのか……」
マオの話からなんとなくそんな気はしていた。
高田に求婚したことからも、そんな予感もあった。
「違う!」
そう力強く否定されても、説得力はない。
「俺は小柄な女が好きなだけで、断じて幼い娘が良いわけではない!」
「そこで力説するなよ」
「そこが重要なんだ!」
悪いが、よく分からん。
そして、視界の横で、先輩が頭を抱えたのが見える。
「先輩……、やっぱり、こいつの同伴、考え直した方が良いんじゃないか?」
聞いた限り、高田はこの男の好みに当てはまってしまうのではないだろうか?
そして、真実がどうであっても、高田は公式的な身分や肩書は「聖女の卵」ぐらいしかないのだ。
それも周囲によって、隠されている。
中心国の王子が本気で迫れば、彼女の意思に関係なく断ることができないだろう。
「主人が望まなければ、俺も心の底からそれに同意したいところなのだがな……」
先輩も気が進まないらしい。
「おいおい、酷いな。二人とも」
当の本人は呑気なものだった。
「俺がシャリンバイ方面を進めるのにはちゃんと理由がある」
「どんな理由だ?」
先輩が怪訝そうな顔をしながらも、その理由を聞き出そうとする。
「シャリンバイに向かう途中のティアレラ国内にスカルウォーク大陸で一番の『ゆめの郷』がある」
「アホか~~~~~っ!!」
あまりにも酷い理由で、思わず叫んでしまった。
よりによって、何て理由だ?
そして、この男、本気で私の性別を忘れてないか?
「ゆめの郷」は、相応の金銭と引き替えに、その相手の要望に応え、極上の夢を見せる場所だと聞いている。
人間界で言う「夜の店」が集まった区画だが、二十四時間年中無休なので、この世界では「夜の店」とは言わず「ゆめのおく」と言う。
その特性上、男性向けがほとんどだが、実は女性向けもあるらしい。
勿論、私は利用したことはない。
「アホとは酷いな。ツクモのためには必要なことだろ?」
「は?」
一瞬、トルクスタンがまたアホなことを言っているようにしか思えなかった。
「本来なら、従者のために主人であるシオリが手配すべきなのだろうが、異性だし、他国でもあるから、俺が代わりに提案してるんだよ」
だが、トルクスタンはそのまま普通に言葉を続ける。
「いや……、ツクモ?」
「ああ、そっか。ミオは知らなかったんだな。ツクモは少し前に『発情期』になったんだよ」
誤魔化しもしないトルクスタンの言葉に私は真っ青になる。
「まさか、高田を襲ったのか!?」
思わずトルクスタンに掴みかかってしまった。
「それなら、『ゆめの郷』は不要だろ?」
「未遂だったってことか!?」
「落ち着け、ミオ。ツクモはそんなことをしてない。発症前にストレリチアで神官のように禊? とやらを行って耐えたらしいぞ」
「そ、そうか……」
考えてみれば、そんなことがあっても今までと変わらない距離、変わらない態度でいられるはずもない。
でも、そうか……。
九十九は、耐える方を選んだのか……。
「だけど、『ゆめの郷』に行くことを選んだのは、ちゃんと九十九の意思だぞ? 俺たちが強制的に連れて行くわけじゃない。大体、無理矢理、連れて行ってどうにかなるもんでもないからな」
トルクスタンはそう言うが、どこか複雑な気持ちにはなる。
少なくとも二年以上、見てきた少年……、いや、もう青年か。
その成長を思ってか、それ以外の感情かは分からないけれど。
「それとも、お前がツクモの相手をするか? それなら、案内する必要もなくなるが?」
そんな私の心境に構わず、無神経なトルクスタンの冗談めかした言葉が妙に腹立ったので……。
「九十九がそれを望むならな」
私は思わずそう答えていたのだった。
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