呼び名と関係
わたしは、雄也先輩が言った言葉の意味が分からず、「ほへ? 」と言いながら、目が点になっていたと思う。
彼は……。
「いつまで、『先輩』のままかな?」
そうわたしに尋ねた。
でも、いつまで、「先輩」のままと言われましても、雄也先輩は、出会った時から「雄也先輩」は、「先輩」だったと記憶しているのだけど、何か違ったっけ?
「俺はずっと九十九のようにキミから呼び捨てられたいなと思っていたのだけど……」
そこまで言われて、ようやく理解する。
つまり、「九十九」のように「雄也先輩」と「先輩」付けではなく、「雄也」と名前だけで呼ばれたいってことなのだろう。
確かに、傍から見れば、兄弟で区別している感はあるかもしれない。
いや……、でも……。
「無理です」
わたしは、年上の人を呼び捨てるようなことはできない。
と、言うより、わたしのような小娘から呼び捨てられてもあまり嬉しくはないとも思っているし。
同じ年でも、もうちょっと、威厳があって、上に立つのが当然って感じの人ならそれも様になるだろう。
例えば、この国の王女殿下であるワカみたいに。
でも、わたしは彼女のようになれる気はしないのだ。
どこまでも小市民感覚が抜けなくて、本当に申し訳ないけど、10年も小市民生活やっていたのだから仕方がないのだ。
「でも、栞ちゃんはさっき言ってくれたよ?」
「ぐっ」
先ほど、さりげなく言ったつもりの言葉は、しっかりと彼に記憶されていたようだ。
確かに、ここに来る前に、恭哉兄ちゃん相手に、説得力を持たせるために呼び捨てましたよ、「ユーヤ」って。
でも、あの時は勢いとか、流れとかそう言ったもので、いざ、それを意識するとかなり難しい。
それに、当人に向かって言ったわけでもないというのもある。
「あれが、俺は本当に嬉しかったんだ」
「ぐふ!!」
年頃の乙女にあるまじき声……、それも、RPGのボスがやられる時のような台詞が自分の口から漏れたが、これは仕方ないと思うのです。
好みの美形の微笑みが直撃したのだ。
それは、破壊即死攻撃に匹敵する。
でも、嬉しかった?
嬉しかったの?
あんな言葉一つで?
この雄也先輩が?
しかも、直接、彼に向かってその名前を呼んだわけではないのに?
ああ、でも、さっきの自虐的な様子だと、それは嘘ではない気がしている。
普段は、完璧なまでに隠されている彼の一面。
それを知ってしまった後、その要望を無視できるかと言うと、それはわたしにとって難しい。
この兄弟は、本当に心臓に悪い!
淋しがり屋で、実は甘えたさんなのに、その部分を日頃は完全に隠していて、いざという時に小出しにしてくる。
大量放出ではなく、チラ見せ程度だから拒否も難しいという小技だ。
そんな所は、そっくりすぎて腹が立つ。
「駄目かな?」
しかも、絶対にこの方は、天然な九十九と違って、わたしがこんな顔に弱いことを知っていて確認している。
本当にタチも悪いし、よい性格をしていますよね!
「ゆ、雄也……さん」
どもった。
しかも、「さん」付いた。
だけど、これだけでも十分、妙に恥ずかしい。
今までずっと「雄也先輩」と呼んでいたのに、いきなり呼び捨てに変えろって、かなり無理がある。
「ふむ……。これはこれで、特別な感じがあるな」
だけど、雄也先輩は妙に頷いていた。
そう言えば、意外とわたしは身近な年上の人に対して、「さん」付けをしていない気もする。
よく考えなくても、圧倒的な「先輩」率。
他には……?
「それ以外の呼び名なら……、雄也兄ちゃん?」
いや、こちらは何故かスムーズに呼べそうだったけど、かなりの違和感がある。
言葉の響きが「楓夜兄ちゃん」と被るせいかな?
「それはちょっと……。キミの兄さんになりたいわけではないからね」
雄也先輩が困ったように頬をかいた。
「……ですよね」
今にして思えば、小学生相手とはいえ、赤の他人から「兄ちゃん」と呼ばれて平気な楓夜兄ちゃんと恭哉兄ちゃんの2人がおかしいのだ。
でも、今更変えられないよね?
口が覚えてしまっている。
当人たちに許されている限りは良いということにしておこう。
「俺を『兄』と呼んで良いのは九十九だけだからね。ああ、栞ちゃんが九十九と婚姻するなら、いずれは呼ばれることになるのかな」
「なるほど」
実の弟と義妹だけに許される呼び名。
それだけ、大事な呼び方と言うことだ。
それに、九十九と婚姻?
いやいやいやいや、ないですわ。
恐らく、彼も同じ反応をすることだろう。
わたしたちは、今の関係の方が良い。
「では、雄也……さんで……」
やはり呼び捨てはできない。しかも微妙に変な間が開く。
「仕方ないね。あまり無理強いをしたくはないし。でも、いつかちゃんと呼んでくれる日を心待ちにはしておくよ」
そう言って少し、眉を下げたけど、許してくれた。
「が、頑張ります」
呼び名、呼び名か~。
あまり深く考えていなかったけど……、大事なのだろうね。
「さて、思いのほか長くなったから、大神官猊下も心配している頃だろう」
雄也先輩が入り口を見ながらそう言った。
「かなり長湯になりましたからね」
いや、実際は雄也先輩しかお湯には入っていないし、長い間浸かってもいないから、「長湯」とはちょっと違うかな?
わたしは、少し濡れたけど、湯冷めするほどではない。
「そう言った意味ではないのだけど……」
雄也先輩は少し困ったように笑った。
「身体を確認するだけにしては、長くなっただろ?」
「話し込みましたからね」
その中で、いろいろと知ることになった。
わたしは、少しぐらいこの兄弟たちに近づけたと思って良いのだろうか?
前よりも、ちゃんと彼らの主人っぽくなれているのかな?
母は、あの城で学んで、さらに戦っている。
わたしも、負けていられない。
彼らが信じて支えてくれるようことに甘えず、ちゃんと自分の足でも立てるしっかり成長しなきゃ!
ああ、成長と言えば、わたしは大事なことを言っていなかったことを思い出す。
「あの……、雄也先輩」
「………」
わたしの呼びかけに、彼は分かりやすく不満をあらわにした笑顔を向ける。
器用だね……ではなくて、その理由は割とすぐ思い当たった。
心の中ではまだ「雄也先輩」と呼んでいたせいか、また口から滑り落ちたからだ。
すぐすぐは、言い慣れないとは思う。
二年以上……、いや、もう三年近くそう呼んできたからだ。
でも、彼が望むなら頑張るしかない。
「雄也、さん」
「なんだい?」
今度は普通の微笑みになった。
ご満足いただけて何よりです。
では、本題に入らせてください。
「わたし、大事なことをあなたに伝えていませんでした」
「なんだろう?」
疑問形。
本当に分からないようで、彼はきょとんとした顔をした。
いつもは察しが良い人なので、ちょっと意外だった。
でも多分、本当にこの人自身は気付いていないのだろう。
いや、それ以上にいろいろと考えることが多くて、自分にとって大事なことでも、大したことはないと頭の隅に追いやっている感じがする。
九十九もそうだけど、その兄である雄也先輩、いや、雄也、さんも、自分の扱いを大事にしないことが多いのだ。
極端に、自我を殺すというほどではない。
彼らはそれなりに我が強いとも思っている。
どちらかというと、困ったことにこの兄弟は「お仕事」を最優先にしてしまうのだ。
お仕事熱心なのは良いことだけど、そのたびに命を張られるのは本当に困る。
もっと自分自身を大事にして欲しい。
だから、もう少し、その辺りをなんとかできないものだろうか? って、いつも思っていた。
そのためにも、わたしはちゃんと言葉にして言ってみる。
「雄也さん、20歳の誕生日、おめでとうございます」
これが、少しでも彼の意識が変わることに繋がれば良いと思って。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




