目的は果たされる
「ううっ、目が痛い……」
わたしは両目を押さえる。
この様子では、周囲はかなり腫れあがっていることだろう。
「ごめんね、俺が九十九みたいな治癒魔法を使えないばかりに……」
雄也先輩は謝ってくれるが、別に大したことではない。
九十九が傍にいるから感覚がおかしくなっているが、普通は大泣きして目が腫れるたびに、治癒魔法など使う必要はないのだから。
「大丈夫です。あまりにも酷くなれば、後で、大神官さまに癒していただきますから」
恭哉兄ちゃんは神官らしく、治癒の法力も使える。
但し、治癒魔法に関しては……、うん、なんかやっぱり破壊系魔法になるらしい。
その基準が分からぬ。
当人は法力で癒せるから問題ないとは言っていたけど。
「ところで、儀式の方はどうします? 今からでもやりますか?」
そう言えば、まだ肝心の背中を流していない。
やったことと言えば、2人でお湯を被った後、儀式を行うべき相手を浴槽に突き落とすという……、主人としてはどうなのかと思ってしまう行動をとったぐらいだった。
感情的になることは最近、大分減ったのだけど、それでも我慢できなかったのだ。
勿論、反省はしている。
だが、後悔はない。
「ああ、儀式はもう終わったよ」
「へ?」
でも、雄也先輩は微笑みながらも奇妙なことを言った。
これまでやった行動のどこに儀式的な要素があったと言うのか?
「あの儀式は、本来、相手に怪しまれないよう自然に王族を探し出すものだからね」
「王族を……?」
「セントポーリアの『湯成の儀』にしても、神官たちの『神湯の儀』にしても、何らかの事情で王族が紛れ込んでいないか確認するためだと思う。それが保護のためかそれ以外の理由があるかは分からないけどね」
「おおぅ……」
確かに目的のためとは言っても、問答無用で相手の服を引っぺがしてお湯をぶっかけるわけにもいかない。
これが、儀式という名目なら自然に探すことができるわけだ。
こんな仕掛けが王族の身体にあると知らなければ、素直に応じるだろうし。
「実際、こうして、紛れ込んでいたわけだろう?」
そう言いながら、雄也先輩はにこやかに自分の首の後ろを指した。
「もし、雄也先輩がセントポーリア城にいたら、セントポーリア国王陛下がその紋章を確認することになったのでしょうか?」
それはそれで面倒なことになりそうな気がした。
しかも、イースターカクタスの王族の血だ。
万一、発見してしまったのが、セントポーリア国王陛下なら、その扱いに困って、頭を抱えたかもしれない。
いや、あの王さまは結構、見た目に寄らず強かなところがあるから、さらりと流してしまいそうな気がする。
文字通り、お湯をぶっかけて。
「実はね、栞ちゃん」
雄也先輩が周囲に誰もいないのに、何故かわたしの耳元に顔を近付け、驚くべきことを口にした。
「セントポーリアでも『湯成の儀』はもう行われていないんだ」
「はい!?」
ここでビックリ、驚愕の事実!?
ちょっと待ってください。
それでは、どうしてこうなった?
「先に、大神官猊下が誤解して下さったから、俺はそれに便乗しただけだね。いや、そんな儀式があることは知っていけど、セントポーリアの現王は、身分に拘らない方だから、今は、いちいち確認させていないみたいだよ」
「なんと!?」
わたしが恭哉兄ちゃんに相談した時、確かに彼も首を捻っていた気がする。
でも、なまじ、他国の儀式にも明るく、さらに今も神官たちの儀式として残っていたから、彼も誤解したのか。
「つまり、俺は栞ちゃんとお風呂に入りたかっただけ。俺はちゃんと最初にそう言ったはずだけど?」
確かに最初の説明はそうだった。
でも……、それって……。
「なんという、巧妙な罠」
しかも、当人は嘘を吐いてもいないのだ。
勝手に周囲が勘違いしただけという。
「その言い方は、酷いなあ」
「それだけ信用してもらったことを喜ぶべきか。未婚の女に何ということを頼むのかと責めるべきか」
事情を知った後では何とも言えない気分になる。
「でも、儀式とか関係なく、引き受けてくれたのは栞ちゃんだったはずだよね?」
「ぐっ」
確かにそうだけど!
「それに、いずれ、露見することが避けられないのなら、俺は、最初に見つけるのは栞ちゃんが良かった。だから、難しいことを承知で引き受けてくれた時は、涙が出るほど嬉しかったよ」
「雄也先輩から、あんな顔して頼まれたら、わたしが断れるわけ、ないじゃないですか」
「なるほど。栞ちゃんに甘えたい時は、あんな風に汐らしく迫れば良いのか」
「勘弁してください」
そんなことを学習しないでください。
わたしの心臓がもたないです。
それにしても、雄也先輩は随分、スッキリした顔になった。
そのことが嬉しい。
先ほどまでのような自虐的な泣き笑いの顔は、この人には全然似合わないから。
雄也先輩は斜に構えて余裕ありげに微笑む今の表情がずっと良い。
「これで、晴れてキミが、俺のご主人様になったわけだけど……」
「わたしは、『湯成の儀』をしていませんよ」
わたしはぷいっと横を向く。
雄也先輩の目的はちゃんと果たされたのだから何も問題はないのだけど、これだけ気合を入れていたわたしが馬鹿みたいじゃないか。
「それなら、改めて今からでもするかい? 俺の身体をキミの手で隈なく洗うことになるけど」
「隈なく? 背中だけでなくて?」
背中を流すだけではなかったのか?
「本来、身体の隅々まで『王家の紋章』がないか確認するためだからね」
「いやいやいや、流石にそれは無理ですよ? それに、もう『王家の紋章』が浮かぶ場所が分かったから必要ないですよね?」
「そうだね。俺一人で確認しなくて本当に良かったよ。まさか昔のアニメに出てきたロボットのように、頭を外さなければ分からない場所にあるとは思わなかった」
それは確かに。
でも、それ以上に……。
「すぐ見える所で良かったと思います」
後頭部とかだったら、髪に埋もれて見えなかっただろう。
いや、お湯に反応した直後は1,2分ほど仄かに光るみたいだから、頭が光って分かったかな?
でも、頭が光るって響きがなんとなく嫌だね。
「そうだね。俺も流石に水着を脱ぐことは抵抗ある」
「そっちは全然、考えていませんでした」
確かにそこまで確認はしたくない。
そして、その位置が光ってもかなり困る。
「因みに情報国家の国王陛下は左の鼠径部にあるらしいよ」
「そんな情報を頂いてもその扱いに困ります」
口止めされるまでもなく、どこにも流出しにくい。
「いや、鼠径部で意味が通じることに驚いたよ」
「中学時代に婦人病の恐ろしさについて、図解入りで書かれていたのを新聞で読んで、その際に知りました」
なんで怖い病気ほど知りたくなるのだろうね?
「ああ、でも……、栞ちゃんが望むなら、勿論、恥を忍んで一肌脱いでも構わないよ? 文字通りの意味でね」
どこか悪戯を仕掛けるような笑みをわたしに向ける。
「忍ばなくて良いですから、そうやってわたしを揶揄うのは、ちょっと勘弁してください」
子ども扱いされていることも、揶揄われていることもちゃんと分かっているけど、心臓に悪すぎる!
「絵のモデルとして」
ボソリと雄也先輩は呟いた。
九十九から聞いているらしい。
ぐらりと自分の中の何かが揺れた気がしたが、ぐぐっと思い止まる。
「どんな状況の絵を描けば、そんな資料を必要とするのか分かりません」
「そうなのか。高校の時、同じクラスの女子とかは、絵を描く時にそう言った資料をかなり欲していたみたいだから」
それは芸術方面という意味ですよね?
頼むから、そうだと言ってください。
「いろいろな人がいますから……」
いや、見たことない物を見たいとか、そんな気持ちはよく分かるのだ。
だけど、流石に、そんなことは頼めない。
「後、栞ちゃん。確認なのだけど……」
笑いを堪えるような雄也先輩。
どうやら、わたしの反応が楽しいらしい。
いや、良いですよ、気分が重くなるよりはずっと。
「はい、なんでしょう?」
「俺はいつまで、『先輩』のままかな?」
目の前の美形は不敵に笑ってそんなことを言ったが……。
「ほへ?」
わたしは目が点になってしまった。
ごめんなさい、雄也先輩。
言っている意味が分かりません。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




