偶然とは思えない名前
初めて知る情報国家の国王の兄の名前……。
だけど、わたしはそれを聞いて固まるしかなかった。
「ふ、『フラテス=ユーヤ=イースターカクタス』さま?」
思わずその言葉を反復する。
翻訳機能で聞いても名前については、そのままだ。
他大陸の言葉が苦手なわたしは一度で覚えられないことの方が多い。
そんなわたしが一発で覚えることができた気がした。
その名前を偶然で片付けられる人が何人いることだろうか?
「そして、俺たちの父は『フラテス=ユーヤ=テネグロ』と名乗っていた」
そこで、雄也先輩は自分の額を押さえた。
その時点で、ほとんど答えは出ている気がするのだけど……。
「隠す気……、あったのでしょうか?」
思わずそう言うしかない。
もっと「隠せ」と。
ある意味、その方は素直で、情報国家の人間らしくない気がした。
まるで、誰かに似ている気がする。
「情報国家の王族は、基本的に、嘘は吐かない。多少、誤魔化すことはあってもね。自分から偽名、仮名を名乗る人間は、案外、少ないんだよ」
「なるほど」
そう言われたら納得するしかない。
以前、雄也先輩にそう言われたのだ。
情報国家の人間に対して嘘を吐くなと。
彼らは嘘を見破る術を持っているから、とも言われた。
その逆で、情報国家の人間も嘘は吐けないのだろう。
「それに、俺が情報国家の王兄の名を知ったのは、父上が亡くなった後。俺たちがセントポーリア城に行ってからだったからね」
もしかしたら、彼らが成長したら、伝えるつもりがあったのかもしれない。
「九十九は……、知っているのでしょうか?」
あれだけいろいろと勉強している人だ。
知らないとは思えない。
彼は、その名を偶然だと思えただろうか?
でも、その割に、情報国家の国王陛下と話している姿は、そこまで動揺もなく、普通の態度ではあった気がする。
いくら感情を隠せる人でも、知っているなら、いろいろ思うところがあったのではないだろうか?
「恐らくは知らないと思う」
「あれだけ、重要人物の名前が頭の中に入っているのに?」
ストレリチア城で開かれた会合で、彼の口からはすらすらと中心国の国王陛下とその従者の名前が出てきたのだ。
「情報国家の王兄は、既に亡くなっているとされているからね。実際、もう亡くなっているけど。だから、そこまでは不要と判断していると思う。それに、ヤツは他にも覚えることは多い。一気にいろいろ覚えられるほど器用な男でもないからね」
確かに現時点で要らないと思う情報までは、彼も頭に入れようとはしないだろう。
でも、今後は分からない。
九十九が、あの情報国家の国王陛下について興味を持って、知りたいと思ってしまえば、亡くなった双子の兄を調べることもあるだろう。
「つまり……、雄也先輩たちのお父さんが、情報国家の国王陛下のお兄さん……、えっと、王兄殿下ということで、間違いはないでしょうか?」
「確認したことはないけど、恐らくはそうなのだろうね。わざわざ、その名をお借りした可能性もあるけど」
「情報国家の国王陛下も知っているということでしょうか?」
もしかしたら、知っていたからこそ、あの方は、九十九や雄也先輩に近付いた可能性はある。
「多分ね。だから、俺たちの口から引き出させようとした。単純に同じ名前と言うだけでは、証拠にならない。有名な人間の名を庶民が使いたがることはどこの世界でもよくある話だから」
これは、不敬とはならないだろう。
人間界でも、自国の王室の方々の名前に因んだ名付けを子に行うことはあったから。
「芸能人の名前を子に付けようとする親の心境ですね」
その人になれるわけでもないのに。
そして、その有名人がうっかり法を犯してしまったら、結構、悲劇だよね?
****
「さて、栞ちゃん」
「はい」
改めて、雄也先輩から呼びかけられる。
「キミは、俺たちの秘密を知ってしまったわけだが、そのことについて、後悔していないかい?」
「後悔? 何故でしょうか?」
「重いだろう? 情報国家の国王陛下の後継者はただ一人とされている。だが、近しい血筋の人間。それも、本来、後を継ぐところだった兄の息子たち。表に出れば、その存在は、厄介ごとの種にしかならない」
雄也先輩はどこか自虐的に言う。
「軽くはないですけど……、わたしも似たようなものだと思います」
それを言ってしまえば、わたしも負けていない。
「剣術国家の現王の血を引く身分の低い女性から生まれた娘です。それなのに、王子殿下より魔力が強く、さらに『聖女の卵』にまでなってしまいました。厄介さで言えば、寧ろ、もっとタチが悪いとは思いませんか?」
わたしがそう言うと、雄也先輩は何故か噴き出した。
「確かに」
さらに目に涙を溜めていらっしゃる。
わたしはそんなに奇妙なことを言ったかな?
でも、少しでも笑ってくれたなら、それでも良いか。
ずっと……、このことで、雄也先輩は悩んでいたみたいだから。
「わたしが知ったことで、雄也先輩の荷物が軽くなったなら、それで良いですよ」
「ありがとう。俺たちの主人が栞ちゃんで、本当に良かったと心から思うよ」
そう言って、雄也先輩は目元に手をやりながら笑ってくれた。
だけど……、不意に下を向く。
「でも本当は、俺自身が知りたくなかった」
その声は暗く、重く。
「ずっとそんな気はしていたけど、俺の勘違いであって欲しかった」
それなのに届く音は耳に響いていく。
「今も尊敬している父上が、実は王族であることは本来、誉れ高いはずなのに、それでも、俺はそれを否定したかった。酷い息子だよね」
「酷いとは思いませんけれど」
その気持ちはよく分かるから。
自分の父親が異世界の王さま……、わたしは何度もそんな非現実な話を否定したかった。
「お父さん自身を否定したいわけではないでしょう?」
少なくとも、わたしはそうだった。
順番を、ルールを守らなかった父親に対して非難する心はあるけれど、あの方自身を否定はしていない。
それは……、自分の存在の否定にもつながるから。
その行動が無ければ、わたしはこの世界のどこにも存在しないのだ。
「どうだろう? 俺は自分の父親を否定……、したかったのかもしれない」
だけど、雄也先輩はそう言った。
「母が俺を身籠らなければ、恐らく、情報国家の国王陛下は今の方ではないはずだから」
「へ?」
「俺がいなければ、父も母もあんな所で亡くなることはなかっただろうね」
それは、まるで懺悔をする咎人のようで。
「俺の存在が、2人を不幸にしたんだ。俺さえ生まれなければ……と、俺は今でもそう思っている」
祈るような、縋るような瞳をわたしに向ける。
「キミの目の前にいる人間は、そんな罪深い男なんだよ」
こんな雄也先輩をわたしは知らない。
多分、九十九も知らないだろう。
彼の顔は、自分の出自を告白し、それで悩みが晴れ、すっきりした……、という顔ではなかった。
それは、激しい後悔と悔恨と自責の念に囚われ続けている男性の成れの果てのようで、わたしは居たたまれない気持ちになる。
確かに、彼の言うことは確かに一理あるかもしれない。
第一王子の子を身分の低い女性が身籠った。
そのため、周囲にはその存在を隠せなくなり、2人で逃げ出した。
そして、慣れない逃亡生活の果てに、幼い子供を残して、2人は死ぬことになる。
人間界でもたまに見るような話だろう。
悲劇的な話として……。
だけど……。
「雄也先輩、お話の途中で申し訳ないのですが、ちょっとよろしいでしょうか?」
「何?」
わたしを見つめ返す表情も、いつもの雄也先輩らしくない。
どこか虚ろな瞳。
焦点のあわない視点。
まだ体調が万全でないのだろう。
今は、そう思うことにした。
「そこに立っていただけますか?」
「ここ?」
いつもの彼なら気付く罠。
だけど気付けないほどその注意は散漫だった。
それなら、遠慮はいらない。
「失礼します!」
そう言って、わたしは彼の胸元を両手で強く押したのだった。
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