儀式前の忠告
「お待たせしました」
着替えが終わった後、待っていた恭哉兄ちゃんと雄也先輩に向かって、わたしは出来るだけ明るくそう言った。
この「神装」と呼ばれる儀礼服が自分に良く似合わないことは分かっている。
だが、この礼装に負けていると、体型以外でそんなこと言わせないためにも、やるべきことはしっかりやろう。
「……?」
でも、なんか変。
雄也先輩も恭哉兄ちゃんも、どこか不思議そうな顔でわたしを見ていたのだ。
「えっと……?」
もしかして、わたしの着替え中に、何かあったのだろうか?
それとも、この儀礼服の着方を間違えている?
思わず、服をあちこち見たけれど、そこまでおかしな場所は見当たらなかった。
「ああ、申し訳ありません、栞さん。急ごしらえの『神装』でしたが、よくお似合いで大変、驚きました」
恭哉兄ちゃんがそう言ってくれた。
やはり、彼は「似合っていない」とは言わない。
大神官として、社交辞令はやはり大事なのだろう。
「ああ、でも、少しだけ、帯の位置を直させてください」
そう言って、わたしの背後に回って、帯の位置調整をしてくれる。
飾り部分が斜めになっていたのかもしれない。
確かにわたしも後ろまでは良く見えなかったから。
背後からお腹周りにある帯が、ぐぐっと強く締め付けられるような感覚があった。
少しだけきつく絞られたのは気のせいかな?
今からこの服で何か食べるわけではないから、緩いよりは多少きつい方が着崩れる心配もなくなる。
だが、同時に気合も入れられた気がする。
文字通り、引き締まった感じだ。
「ところで、この衣装って、恭哉兄ちゃんの趣味?」
合わせを整えながら、わたしは確認する。
もし、そうだとしたら、ワカの方向性とは全然違う気がする。
そして、結構、意外な趣味だとも思うのだ。
細身で長身の人が似合いそうな衣装だから。
「いいえ。これは、参考のためにお渡しした『聖女の卵』の姿絵を見た服飾師の意匠によるものです」
「『聖女の卵』? ああ、なるほど」
それで妙に納得してしまった。
どの姿絵を渡したかは分からないけれど、「聖女の卵」は毎回、美化して描かれている。
もはや別人だと言いたくなる姿絵も少なくないのだ。
出回っている「聖女の卵」の絵は、ちゃんと当人を見ながら描かれているはずなのに、不思議だよね。
「栞ちゃんは、なんとなく雰囲気が変わったね」
今の雄也先輩ほどじゃないと思います……、思わずそう言いかけた。
今の彼は、ガウンを羽織っているけど、そこはかとなく色気が出ていて、少しだけくらりとしてしまいそうになる。
美形は薄着をしても美形、いや、薄着をしてこその美形?
「それは、着ている服のせいだと思います」
もしくは、照明が少ないことによる効果かもしれない。
「ああ、確かにいつもの栞ちゃんが着る服ではないね。もしかして、こんな系統の服の方が良い?」
「いいえ。いつもの服で十分です」
わたしが着ている服は、基本的に雄也先輩と九十九がその場所で浮かないように用意してくれているものだ。
たまに、ワカがくれた服を着ることもあるけれど、わたしは、いつ、何が起こるか分からない。
だから、動きやすさを重視するために似たような服装ばかりになってしまうのだ。
但し、下着は除く!
これだけは、ストレリチアに来てからちゃんと自分で買うようになりました。
体型にあった下着は本当に大事だと思います。
息苦しくないって素敵だね。
「よく似合っている。見違えたよ」
「ありがとうございます」
なんと自然体なお褒めの言葉なのだろう。
でも、これも社交辞令、社交辞令。
そう思い込まなければ、かなり破壊力が高い。
この美形たちの言葉を鵜呑みにすれば、この国に、墓標ならぬ墓柱石が一本追加されてしまうだけだ。
彼らにかかれば、かなり多くの神女たちが泣かされてしまう気がする。
いや、そんな人たちではないことは分かっていても、こんな甘い言葉を頂いたら、勘違いさせられちゃうよね?
「以前、ご案内したように、湯殿はこちらですが……」
恭哉兄ちゃんに案内されて、わたしたちはお風呂の方へ向かう。
わたしが魔力の封印を解呪する時に使ったお風呂だ。
それが、もうかなり昔のことのように思えてしまう。
このお風呂は、儀式前に清めるためのものなので、大聖堂で生活していても、ここを使うことはない。
「栞さん、もう一度だけ確認をさせていただいてよろしいでしょうか?」
「はい」
恭哉兄ちゃんが足を止める。
「今なら、まだ止められますよ?」
再度、恭哉兄ちゃんはそんなことを言ってきた。
そこには、わたしを心配する瞳がある。
「恭哉兄ちゃんはこの儀式にやっぱり反対?」
これだけ、確認されると言うことは、恭哉兄ちゃんは今、大神官として止めているのではないのだろう。
だから、雄也先輩の前だと言うのに、思わず、「恭哉兄ちゃん」と言ってしまった。
大神官なら中立を保つはずだ。
だから、本来は雄也先輩の味方もしないだろうし、こんな風にわたしを迷わせるようなことも言わないと思う。
それに、彼にしてはかなり珍しく、こんな風に何度も念を押して確認することもないはずだろう。
「貴女が後に退けなくなりますのから」
「後に?」
大聖堂内で儀式とはいえ、未婚の男女が一緒にお風呂、……というのが問題とかじゃなくて?
「『湯成の儀』も、『神湯の儀』もその元を糺せば、同じ目的に行き着きます」
「同じ目的?」
「はい。これらの儀式を貴女自身が行うことで、今まで以上に重い責任がその細い肩に乗ることになるでしょう。今の貴女にその覚悟はありますか?」
それは本当に真剣な眼差しだった。
だから……。
「うん。それは、命を懸けられた時から分かっているつもりだよ」
あの時、本当の意味で、わたしは雄也先輩から認められた気がした。
いや、わたしが雄也先輩自身を認めた気がしたのだ。
それまでどこか遠い距離にあった「尊敬すべき人」から、どこまでも身近で護ってくれる「信頼すべき護衛」に変わった瞬間だったと思う。
「『ユーヤ』はその身を持って、全てをわたしに託して……、いえ、賭けてくれました。ここで、その想いに応えることができないならば、わたしは彼らに護られる資格はないと思います」
「栞さん……」
どこか偉そうなわたしの言葉に、恭哉兄ちゃんの表情が変わった。
「貴女の覚悟は分かりました」
これは大神官としての言葉だろう。
そこには特別な感情が込められていないから。
「私はここで、貴女方のお戻りを待ちましょう」
そう言って、浴室の手前にある脱衣所の入り口で、大神官さまは言った。
「え?」
てっきり、今までのように立ち会うのかと思っていたのだけど、今回は違うらしい。
どうしよう?
近くにいたにということは、わたしがうっかり手順を間違ってしまった時にフォローが入らないということである。
なんとなく、雄也先輩の方を見た。
「どうする? 栞ちゃん」
これが最後の忠告だと言わんばかりの雄也先輩の言葉。
「決まっています」
わたしは、その扉に自分から手をかける。
「そのために、ここに来たのだから」
そう言って、目の前の扉を開けたのだった。
****
今までにどれだけの選択肢がわたしの前にあったことだろう。
それは、本当に多くて、嫌になるくらい重いものもあって、時には、誰かの命さえの左右して。
そのたびに、迷いながらも、叫びながらも、泣きながらも、選んできた。
だけど、今でも迷う。
もし、あの時、ああしていたら。
もし、あの時、別の道を選んでいたら。
もし、あの時、あの場所にいたのがわたしじゃなかったら。
そして、その結果に対して、今でも納得いかないものが多すぎるのだ。
だけど、これだけははっきりと言える。
今回のわたしの行動だけは、絶対に間違ってなかったって。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




