大神官への交渉
「セントポーリアはなかなか古い儀式を残しているのですね」
「古い儀式?」
大神官である恭哉兄ちゃんの言葉に、わたしは首を傾げた。
「栞さんは雄也さんから、何も聞かされてないのですか?」
「体調が良くなってから説明してくれるとは聞いています」
「その儀式の内容を聞いただけでは、普通の女性は承知しないと思いますよ」
それは確かにそう思わなくもないのだけど……、わたしのことを遠回しに「変人」扱いしていませんか?
「あんな縋るような瞳で、わたししかいないと言われては断れる気がしなかったよ」
あんな雄也先輩は初めて見たのだ。
それなら、一肌脱ごうって気にもなってしまう。
ただでさえ、彼らには迷惑をかけている自覚もあるわけだし。
「栞さんは、人が良すぎますね」
そう言って、恭哉兄ちゃんは溜息を吐いた。
今は、左手の定期検診のお時間。
少し前に、九十九に続いて、恭哉兄ちゃんも「禊」期間に入っていたので、恭哉兄ちゃんから受けるのは、ちょっと久し振りな気がした。
どうやら、彼の表情から、わたしの左手首は今回も異常はないらしい。
そのことに少し、安心する。
恭哉兄ちゃんの代理として、彼の「禊」期間に診てくれていた「赤羽の神官」さまの言葉が信用できないわけでもないけれど、やはり慣れた恭哉兄ちゃんの言葉の方が安心できるのだ。
ここなら付き添いの九十九も入ってこない。
そのため、ちょうど良い機会だと思って、少し前に雄也先輩から頼まれたことについて、恭哉兄ちゃんに相談してみたのだ。
「それに、雄也先輩だから、わたしを騙すようなことはしないと思って……」
何より、悪い行いが目的なら、わたしよりもっと他の人を選ぶと思うのです。
「それでも、無警戒が過ぎます」
恭哉兄ちゃんにしては強めの注意。
気のせいかもしれないけど、毎回、「禊」明けの恭哉兄ちゃんは、いつもより少しばかり厳しいと思う。
雰囲気も少しだけピリピリとしている気がするし。
それを以前、言った時には「久しぶりの神務で緊張しているだけです」と答えたので、そんなものなのだろう。
そう言えば、九十九も「禊」明けは、少し、雰囲気が違っていた気がするね。
「それを今も実施しているのは、我が国や、イースターカクタスぐらいだと思っていたのですが、セントポーリアにもまだ残っていたとは思いませんでした」
セントポーリアは伝統と文化を守り続けている国だと聞いている。
だから、古い儀式はまだ残されているのだろう。
「我が国では神官に対する神事の儀式として残っているものですね。城では多分、行っていないと思われます」
「神事の儀式……?」
「そうです。ただ……、先ほど、栞さんのおっしゃったような本格的なものではなく、簡略されたものです。それに少々、数が多いので、月に一回実施するようになっています」
「恭哉兄ちゃん自らが行うの?」
神事だったら、その可能性もある。
「本来は神事なので、その方が良いのでしょうが、神職は『見習神官』を含めると、かなりの数となってしまいます。該当する方を選んでも、それなりの数となるので、『正神官』以上の担当者たちが行うことが多いですね」
神官と言えば、聖堂に常勤している「下神官」以上のイメージだけど、「見習神官」、「準神官」を入れると、確かに数えきれないほどの人となる。
そして、「正神官」以上の人間なら、既に該当する人はほとんどいない。
皆の憧れ、大神官さま自らが手を出す必要もないようだ。
「基本は上司がする儀式ってこと?」
「そうなりますね。上位神官が、下位神官に対する祝いの儀とされているものなのですから」
なるほど……。
お祝いなのか。
「女性である『神女』も『正神官』がするの?」
「その内容的にも、『神女』に関しては、同性である『正神女』が行うしかありません。精神的な修業をしている『正神官』であっても、万一のことがありますから」
う~ん。
確かにいろいろと難しい問題は多そうだ。
「確かに、『見習神女』に対して、殿方である神官が行うことは抵抗あるだろうし、いろいろと問題に発展しそうではあるね」
儀式の内容を思うと……、問題しかない気がした。
「この儀式の実施が、普通は問題になりそうなことは理解できるのですね」
そして、追い打ちをかけるかのような恭哉兄ちゃんのお言葉。
わたしは、そんなに無警戒な人間に見えるのだろうか?
「一応、年頃の乙女ではあります。そして、こんなこと、あの雄也先輩の頼みでなければ、絶対! 引き受けはしません」
流石に、見知らぬ神官に対して、「聖女の卵」として、その儀式をしてくれって言われたら、全力で断ることだろう。
「それに雄也先輩自身も、本来は、雇い主からその儀式は受けたいと思うよ」
敬愛しているセントポーリア国王陛下からその儀式を受けたら……、ああ、うん。
いろいろと不思議な感じがするのは何故だろう?
「だから、護衛対象であるわたしが代理任命された……ってことかな?」
彼らからわたしが「主人」と言われている以上、見方を変えれば、上司と言えなくもない。
「その儀式に何の意味があるかを聞いても良い?」
「神事としては、穢れの浄化……、『浄め』ですね。そして、それを上位神官が行うことで、祝いの意味を持ちます」
「浄めと祝い? 浄め……、はなんとなく分かるのだけど」
その儀式内容や場所的にお浄め……、は分かる。
「自身の上位神官から何かをしていただく機会はほとんどありません。そのため、祝いになりますね」
「昇格試験は? あれも基本は上位神官からの試練みたいなものでしょう?」
「あれは、上位神官から何かをしていただくと言うよりも……」
恭哉兄ちゃんにしては、珍しく明後日の方向に目線が泳いだ。
以前、この国の王女であるワカが「昇格試験は神官のストレス解消と娯楽」と言っていたが、それは、そこまで外れていない気がしてきた。
あまり移り変わりのない「高神官」となれば、もう試験はないらしい。
そのまま上に上がるだけだ。
でも、そんな恭哉兄ちゃんも「正神官」時代とかには、嬉々として、下位神官たちに様々な試練を考えていたのだろうか?
それは、妙に似合っている気がする。
いや、そう言えば、九十九の話では、昇格試験の前準備として、「準神官」相手に芝居をしたこともあったらしいから、実は、今でもノリノリでやっているのかもしれない。
「いずれにしても、神聖な儀式と言うのなら断ることは致しません。『儀式』の名を借りた別の目的なら、理由次第となりますが……」
恭哉兄ちゃんはそんなことを言った。
確かにその内容が内容なだけに、「儀式」と持ち掛けておいて、別の意図があれば、神官としては承諾しかねるだろう。
「その辺りについては、事情が分かっていないわたしより、それを持ち掛けた雄也先輩に確認した方が確実だと思うよ」
意味もなく、無理なことを言う人ではない。
だから、あの時、雄也先輩も迷ったのだろうし。
「そうですね。……ただ、栞さんは、それで良いのですか?」
「うん。雄也先輩だから、大丈夫だと思う。知らない人だったら、嫌だけどね。『聖女の卵』としての神務になくて良かったと思うよ」
いや、わたしができる「神務」なんてほとんどないのだけど。
「流石に、こんな儀式を頼むことなどできません。貴女を『聖女の卵』にしてしまったのは私の不手際ですから」
今も、恭哉兄ちゃんはそれを時折、口にする。
でも、確かにご指名されたけど、それを受け入れたのはわたしなのに。
「ですから、今回のことも……、嫌なら嫌と言ってください。それが、貴女にとって大事な方である雄也さんであっても、私が交渉しますから」
恭哉兄ちゃんはどこまでもわたしのことを心配してくれる。
「うん。でも、これはわたしの務めだから」
だけど、わたしはそれを断る。
雄也先輩の「お願い」は、恐らく、わたしにとっても大事なことなのだと思うから。
彼がそれを依頼するまで、どれだけ悩んだのかは、見ていたら分かる。
それに、彼自身も「断ってくれても良い」と、困った顔で口にしてくれるのだ。
そんな状態を見て、わたしが断れるはずもない。
そして、日頃から迷惑をかけている自覚もあるのだ。
それなら、ここで少しでも恩を返したい。
それでも、足りないぐらいだから。
「貴女の決意が固いことは理解しました」
恭哉兄ちゃんは困ったようにそう言った。
「準備などを含めて、手配いたしましょう」
「ありがとう、恭哉兄ちゃん」
わたしはお礼を言う。
「その代わり、私も協力させてくださいね」
そう言って、どこか不思議な微笑みをわたしに向けたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




