本来の目的
「ところで、ちょうど良い機会だから、お願いがあるのだけど、聞いてくれるかい?」
少しばかり遠回りをしたが、ようやく俺は本来の目的を果たすことにした。
それだけ、俺も回避したがっていたのだろう。
だが、この問題からは逃げることはできない。
近い将来、強制的に発動する呪いのようなものだから。
それを知ってしまった以上、回避する術などないのだ。
「わたしに……、お願い……、ですか?」
きょとんとした顔で黒い瞳を向ける少女。
「うん、栞ちゃんにしか頼めないような大事なお願い」
これは彼女にしか頼めない話だった。
勿論、本当はこの何も知らない少女に頼むことすら、俺にとってはかなりの抵抗があることだ。
それでも、弟にはこれだけは、絶対に頼むことができない。
そうなると、現状では、彼女以上の適任者はいないのだろう。
だから、願うしかないのだ。
そのことが……、この少女に重い枷を押し付けることになってしまうと知りつつも。
「大事な……?」
不思議そうな瞳。
彼女にとって、俺からの頼み事というのはそんなに意外なものなのだろうか?
「わたしができることなら、何でも言ってください」
だが、斜め上と言うか、俺にとっては予想外の言葉が返ってきた。
俺は思わず額を押さえてしまう。
少なくとも、こんな純粋な眼差しで異性に言えば、その相手が純朴な青年でも思わず邪心を抱いてしまいそうな返答だろう。
だが、俺のような人間に、そこまでの信頼してくれていることを、今はありがたく思う。
「それでは、頼んでしまおうかな」
俺は彼女に笑みを向けた。
俺の言葉を少しも疑わず、素直に受け入れてくれるこの少女なら……、恐らく、真っすぐに受け止めてくれることだろう。
近い将来、嫌でも知ることになる俺たちの事情を含めて。
「俺の身体が治った時、恐らく、年明けぐらいになるかな」
現状、治る様子はないこの身体だが……、この魔法を使った魔法国家の第二王女殿下の話では、遅くとも半年ぐらいには治るだろうとのことだった。
既にあれから時間も経っている。
それならば……、その日には間に合うだろうし、間に合わなければ、多少、無理をすれば良いだけの話だ。
「その時に――――」
後に続ける大事な頼み事。
普通なら……、正気だとは思えない、そんな我が儘な願い。
「えっと……、それって……」
やはり、彼女も驚いたのか、顔を真っ赤にして染まった両頬を手で押さえている。
始めから無理のある望みだとは思っていた。
だが……、この主人以外に俺は頼むことはできないのだ。
「今は何も聞かないで欲しいかな。その時になれば……、必ず、キミだけには伝えるから」
流石にずっと何の事情も説明しないつもりはない。
それだけのことをこの少女に頼むのだ。
逃げるわけにはいかなかった。
だが……、まだ俺は心のどこかで気持ちの整理を付けられていない。
だから、この場ですぐに説明を要求されても、彼女に対して、中途半端に誤魔化す形にしかならないだろう。
「わたしだけに?」
彼女は手を下ろしながら、確認する。
その言葉は猜疑心からではなく、純粋な疑問なのだと思う。
「うん」
だから、俺は素直に答えた。
「そして、先ほど話したことを含めて、九十九には内緒にしていて欲しい」
「九十九にも……?」
これが九十九に伝われば、必要以上に過剰な反応をすることは間違いないが、それ以外の問題があるため、ヤツだけには知られるわけにはいかない。
知ってしまえば、必ず、真実に辿り着いてしまうことだろう。
これまでに、それぐらいの教育はしてきたつもりだ。
これまで、誰も……、千歳さまとミヤドリード以外の人間が知らなかったことに。
その言葉で何かを察したのか。
目の前の……、千歳さまの血を引く黒髪の少女は、こんなことを聞いてきた。
「それは、情報国家に関係はありますか?」
心臓が、掴みだされたかと思った。
「まだ、はっきりと分からない」
思わず、取り繕うこともできず、素直に返答してしまう。
「分からない?」
さらに重ねて追及してくる少女。
この黒く大きな瞳は、決して隠し事を許さない。
「俺も、知りたくはないことだから」
誰が知りたいと思うものか。
だが、確認しなければいけないことでもあった。
これは、気付いていながらも、ずっと逃げ続け、目を逸らし続けた結果なのだから。
「分かりました」
だが、そんな迷いは自分よりも小さな少女のたった一言によって断ち切られた。
「それが、雄也先輩の望みならば、わたしは引き受けましょう」
さらに強くて黒い瞳を俺に向ける。
「但し、今すぐに事情を話せなくても、後でちゃんと話してくれますか?」
「ああ、その時には必ず、話すよ」
話さなくても、知られてしまうのだ。
それなら……、その前に話しておいた方が良い。
恐らく、彼女は驚くだろう。
そのことで、少し、俺たち兄弟に向ける目も変わってしまうかもしれない。
だが……、どうせ避けられないことなら。
いつか誰かに知られてしまうことなら。
その最初の人間は「この少女」が良い。
「でも、そうなると……、この大聖堂の管理者である大神官さまには、ちゃんと事前にお伝えした方が良いのではないでしょうか? その話だと、どうしても準備が必要になりますよね?」
「そうだな。確かに彼の許可はいると思う」
寧ろ、後から捻じ曲がって伝わる方が怖い気がする。
「ただ……、事情を伏せた状態で、簡単に許可が下りると思うかい?」
「つまり、大神官さまにもその事情は話せないということでしょうか? あの方なら、外部に漏らすことは絶対にないと思いますが」
確かに彼は神官だ。
縋りつく者を無碍にすることはないだろう。
それに……。
「もしかしたら、彼はその事情の一部を知っている可能性はあるとは思っている」
「へ?」
俺の言葉に、彼女は短い言葉を返す。
「ただ……、その事情を知った人間が本当に彼だったかは思い出せない」
それは、あまりにも遠い記憶だから、自信がなかった。
残念ながら、俺の記憶力はそこまで良いわけではない。
「個人的には、大神官さまの助けがないと、雄也先輩の願いを叶えることがかなり難しくなると思います」
彼女は少し、俺から目を逸らしながら……。
「どんなに抑えたわたしの気配でも察してしまう九十九に、全く気付かれないように行動することって、恐らく相当難しいと思います」
困ったように眉を下げた。
言われてみれば、確かに、それはかなりの難題だと思う。
どんなに隠した気配もヤツは察してしまう。
記憶と魔力を封印していた彼女すら見抜いた男だから。
「その点、事前に話しておけば、大神官さまとわたしが大聖堂内を歩くことは彼も問題ないと判断すると思うのですよ。彼は、全面的に大神官さまを信頼しているので」
少女は大神官を巻き込む形を提案する。
「なるほど……。俺は一服盛った方が早いと思っていたのだが……」
「……盛る気だったのですか?」
だが、厄介なことにヤツは毒物、劇物にかなりの耐性がある。
俺の盛る薬のほとんどは、効かない可能性もあった。
そんな魔界人としてはかなり珍しい体質に育て上げてしまったのは自分だと思うと、思わず溜息が出てしまう。
「それに九十九に薬は、失敗する可能性がありますよ。カルセオラリアで、毒物耐性をさらに鍛えてしまったようですから」
そう言えば、トルクスタンの話では、死なない程度の毒ならば口にしようとする傾向があると言っていた。
それは……、鍛えていたと言うことか。
俺のいないところでも、自分を強化しようとする心意気はある意味、感心なことではあるが、この場合、素直に喜べない。
さらにヤツは、並の人間より魔法耐性も高い。
護衛としては問題ないが、敵に回せばなんて面倒な男に育ったものか。
そして、それらも含めてほとんど俺が原因なのだから、あまり文句も言いにくい。
「だから、大神官様に協力を要請しましょう。体調の問題があるので、すぐに思いつかなくても、少し考えれば、雄也先輩なら事情を隠しつつ、大神官様を説得できる妙案も浮かぶはずです」
「随分、買われたものだね」
思わず苦い笑みを零してしまう。
あの大神官を説得するのは、俺より彼女や弟向けの話なのだが……。
「わたしは九十九も信用していますけど、雄也先輩のことも信じていますから」
そう言いながら、黒髪、黒い瞳の少女は、曇りのない顔を俺に向けたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




