過去を視た夢
邪魔な弟を、リヒトの協力によって退室させたため、俺は黒髪の少女と二人きりとなった。
別に邪な意思はない。
どちらかと言えば、今現在は、いろいろ拗らせた状態を続けている弟の方が危険なぐらいだ。
「えっと……?」
彼女は戸惑うような視線を俺の方に向ける。
弟と二人の時は普通なのに、ヤツがいなくなると途端に不安そうな顔に変わってしまうのは、昔からほとんど変わらない。
「親孝行はできたかい?」
「へ? 親……孝行?」
俺の問いかけに彼女はきょとんとした顔になる。
この場合は「どちらについて」とは言わなかったせいだろうか?
「千歳さまに」
「あ、ええっと……」
それでも、まだ考え込んでいる辺り、今回、母親とはあまり接することができなかったのかもしれない。
「あまり、千歳さまとは過ごせなかったようだね。王にも困ったものだ」
「…………おう?」
聞き返されたのか、反応されたのか分からない不思議な返答が返ってきた。
「栞ちゃんを数日、独占していたのだろ? 千歳さまを差し置いて」
堂々と千歳さまの娘に接することができるまたとない機会を、あの方が逃すとは思えないのだ。
これまでずっと切望していた時間。
そして、同時に彼女を見極めるために必要な時間は、果たして二人にとって良い結果になっただろうか?
「母は仕事があったから仕方ないです。国王陛下のストレス解消に付き合えそうなのは、わたしぐらいだったようですし……」
「陛下のストレス解消……、ああ、魔法を使ったのか」
セントポーリア国王陛下は出来る限り、公務の空いた時間に魔法を使うような方だった。
それに名ばかりの国王たちと違って、剣術を含めた実戦経験もある。
彼女の感応症を引き起こすために、できる限りのことはするだろう。
今でなく、未来のために。
「国王陛下の公務がある程度、落ち着いた後、大体2時間ぐらい……、が多かったですね」
さらりと彼女は口にしたが、それは、他国の王族から見てもとんでもない話だろう。
魔法国家でもない限り、そんなに長い時間、魔法を使い続けることはできない。
普通は、まず、集中力がもたない。
この少女の魔法に対する考え方は、どちらかと言えば魔法国家寄りの思考に染められている気はするのだが、その異常さをある程度自覚して欲しいとも思う。
「陛下の魔法を2時間も耐えられるのは羨ましいね。俺も昔、模擬戦をしていただいたことがあるが、その時は1時間ともたなかったから」
あれは……、何の気まぐれだったのかは分からない。
突然、「少しばかりストレス解消に付き合え」と言われたのだった。
「雄也先輩、昔ってどれぐらい前でしょうか?」
「…………もう10年ぐらい前かな?」
いや、10歳にも満たない年齢だった気もする。
確かに今ならもう少し粘れるかもしれないが、そんなことをする意味はあまりない。
「近年は、模擬戦をされていなかったのですか?」
「国王陛下という存在に対して、ただの使用人でしかない俺が気軽に模擬戦をしていただくことなどできないよ」
普通に考えれば、まず一度でも国王陛下との模擬戦に付き合うことになったことの方がありえない話だ。
だが、それを、常に魔法国家の王女殿下と模擬戦を行っている彼女に言っても、不思議に思うだけだろう。
「それに、それから時を置かずして、ダルエスラーム王子殿下にありたがくも気に入られてね。人間界からセントポーリア城に戻るたびに、そのお相手をすることになったから、ますます、陛下との時間は減ったかな」
その結果、王子の供として他国へ足を運ぶことが許されるようにもなったのだから、悪いことではなかったと思っている。
「雄也先輩が、ダルエスラーム王子殿下に気に入られるきっかけって、わたしが伺っても良いものですか?」
何故か、黒髪の少女は、その大きく黒い瞳を俺に向けながら、そんなことを聞いてきた。
「単純に、王子殿下の危機を救っただけだよ。国民としては当然の話なのだけど、王子殿下はそこに感動してくれたらしい」
あのまま、見捨てても俺の溜飲を下げるだけで、その後、碌な未来が待っていなかっただろう。
九十九も、二度と国へ戻ろうなどと思わなかったはずだ。
どんな苦労があっても、この少女が巻き込まれるよりは良い。
「もしかして、翼の生えた蛇……のことですか?」
だが、彼女はとんでもないことを口にした。
「あれ? 九十九から聞いた?」
咄嗟だったが、恐らく顔には出なかっただろう。
ごく自然に聞き返す。
彼女が知るとすれば、弟の口以外はない。
あるいは、セントポーリア国王陛下が娘可愛さに口を……、いや、それはないか。
第一王子が神の遣いとされる神獣に襲われた。
それも、安全であるはずの、セントポーリア城内で、だ。
そんな完全なる醜聞を易々と口にしてしまうほど、考えが足りない方ではない。
あるいは……、あの情報国家の国王か?
情報国家なら知っていても不思議ではないか。
あの場にいた者たちの中に一人、自身の部下を紛れ込んでいれば、それだけで知ることは可能かもしれない。
「い、いえ、九十九は何も……」
俺の言葉に戸惑いを隠せず、彼女は顔を逸らす。
しまった。
少々驚かせたか……。
だが……。
「雄也先輩、しっかり呑まれちゃってたじゃないですか!!」
さらに、俺の方が驚かせるようなことを叫んだ。
ここが大聖堂で、それも、九十九たちも離しておいて、大正解だった。
これがうっかり外に漏れでもしたら、セントポーリア国王陛下や大神官でも庇いきれないことになる。
「栞ちゃん?」
だが、その言葉だけでどこまで彼女が知っているかも分からない。危険だが、確認するしかなかった。
「しかも、あれって……」
だが、確認の言葉をかけるまでもなく、彼女が言葉を続けようとしたことが分かる。
やむを得ない。
「王子殿下が雄也先輩を掴んで……」
「ストップ! 栞ちゃん!!」
俺は、彼女の口を塞いだ。
右手を動かしただけだと言うのに、身体が軋み、全体から聞こえるはずのない音が聞こえた気がする。
まるで、背中を割って、羽が生えるかのような痛みが、肩甲骨付近から響いた。
「それ以上、言ってはいけない」
言わせてもいけない。
彼女が……、誰にも言っていないことを祈って確認する。
「九十九から、聞いたわけではないね」
彼女に触れた俺の右手が少しだけ揺れる。
頷いてくれたのだと理解するまでに少しだけ時間を要した。
「それなら、その件に関しては内密に願えるかな?」
また彼女の顔が縦に揺れる。
できるだけ触れないようにしたつもりだったが、柔らかい唇が手のひらに当たった感覚があった。
それが、少しだけ擽ったくも感じたが、気のせいだろう。
「ごめんね、いきなりでビックリしただろう?」
とりあえず、危険は避けられたか。
俺はゆっくりと彼女の口から右手を外した。
「事情をお聞かせ願えますか?」
いきなりのことで混乱しているだろうけど、彼女は落ち着いて俺にそう言ってくれた。
「その前に、あのことは、九十九も知らない話だ。それなのに、栞ちゃんはどこでそれを視たんだい?」
アレは彼女が知らない時代の話だ。
記憶も魔力も封印している時期に、魔界との交流はありえない。
そして、九十九も俺が「翼が生えた大蛇」に呑まれたことは知っていても、その経緯までは伝えていない。
それを口にすれば、単純なヤツは憤ることだろう。
それは愚策にしかならないのだ。
「あれは……」
黒髪の少女はどこかぼんやりとした顔つきになる。
何かを思い出す時とも違う表情で……。
「……夢?」
結論だけを口にした。
その様子が、どこか危うい印象があったが、今はそれよりも大事なことがある。
「なるほど、過去視か。それなら、状況説明は不要だね」
何度も無駄な確認することもなく、お互いに誤魔化しも不要だ。
話が早くて済む。
「九十九は、知らないのですか?」
「簡単に言える話じゃないからね」
俺は肩を竦める。
今の九十九ならともかく、後先考えられない血気盛んな頃に、うっかり口を滑らせれば、相手は王族であっても魔界に乗り込んで殴りに行ったことだろう。
特に、九十九はダルエスラーム王子のことは昔からかなり敵視していた。
そんなヤツにわざわざ事細かに話してやる気にはなれない。
「それに、あのことが何らかの形で表沙汰になれば、ダルエスラーム王子殿下は、王位継承権を剥奪される可能性がある。セントポーリア国王陛下は、王族が国民を犠牲にすることを許すような方ではないから」
「その割に、国民の生活は犠牲になっている気がしますが」
率直な彼女の言葉に俺は噴き出しかけた。
確かに、国民の財産は一部無駄な浪費に回されているが、それはある意味、必要経費でもあるのだ。
「それでも、生命を脅かすような事態には至っていない。だけど、あの行動は、確実だっただろう?」
夢で視たのなら、これだけで彼女には十分、伝わるだろうと信じて。
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