先輩からの頼み
わたしが夢に視た光景。
それを口にしてはならないと、雄也先輩はそう言った。
このまま知らないふりをしてくれ……、と。
「その理由を聞いてもよろしいですか?」
「栞ちゃんがその状況を知っているということを俺が知ってしまうのは、いろいろと面倒なことになる」
「……面倒なこと?」
雄也先輩には悪いけど、意味が分からない。
「俺がそのことについて、国王陛下に報告しなければならなくなる。俺や九十九は、あの方たちに隠し事はできないから」
「隠し事ができない?」
それでも……、今まで雄也先輩は隠してきたのに?
「栞ちゃんのことについてだけは、セントポーリア国王陛下は、俺たちに強制的に吐かせる方法をお持ちなんだよ」
「なんと!?」
ちょっと酷い話だ。二人に施されているのは「強制命令服従魔法」だけではなかったってことか?
あるいは、その一種なのか?
「護衛とは言っても、異性だからね。いろいろと施されるのは仕方ないよ」
そんな改造手術みたいなことをあっさりと、それも笑って言うようなことでしょうか?
「ダルエスラーム王子殿下の王位継承権が剥奪されれば……、第二位は陛下の前で神剣を抜いてしまった少女だ。そして、その点については、もう誤魔化すことができないことは、栞ちゃんが一番、理解していると思うのだけど、どうだろうか?」
「ぎゃふん」
な、なるほど……。
それは確かに簡単に口にしてはいけないことだ。
つまりは……わたしのせいってことか。
だけど、この人も九十九も、わたしと母を護るために、どこまで自分を犠牲にするつもりなのだろう?
「だから……、言わないで、栞ちゃん。あの日のことについて、あの場にいないキミは、何も知らない。良いね?」
そう言われても、どこか納得できない。
「あの場にいた方々は、揃って口を噤んだ……、ということでしょうか?」
他にも見ていた人はいたはずだ。
「あの瞬間は、皆、目を逸らしたそうだよ。それに、見ていたとしても、黙っているようだね。だから、俺は王子殿下を庇った騎士……、のような扱いとなった」
確かにある意味、庇っているから間違ってはいない。
「だけど……、そんなのって……」
わたしのためであっても、許して良いことなのだろうか?
あの場にいた誰もが、目を逸らした……。
当事者である、王子と……、この雄也先輩でさえ……。
「それとも、栞ちゃん? キミは王位に就く気があるかい?」
囁くようなその言葉で、まるで背中に水を落とされたような気がした。
背筋は妙に伸び、自分の身体に冷たい物が流れ落ちる。
この人や九十九が本気を出せば……、それは不可能ではないのだろう。
何よりも、雄也先輩はそのための切り札を持っている。
王子が彼を重用するようになったのも、単純な信用問題だけではなく、国内にいる間は下手に自分から離さず、周囲にその時のことを漏らさないように観察する意味もあるのかもしれない。
だけど……、相手は雄也先輩だ。
恐らく、それ以降も何かを掴んでいる可能性はある。
それを一気に大量放出させれば、簡単に現王子の王位継承権を剥奪まで持っていくことは難しくないのかもしれない。
わたしが、今、ここで、頷けば……?
「わたしには、王位を目指すなんてできません」
だけど、わたしは頷くことができるはずもなかった。
わたしはあの国に思い入れなど何もない。
昔のわたしならともかく、今のわたしはあの国をほとんど知らないのだ。
母ほど、勉強もしていない。
雄也先輩ほど周りのために動けない。
九十九のような努力もしていない。
セントポーリア国王陛下のように、自分の大事なものを犠牲にする覚悟もない。
「だけど、あのまま、あの王子殿下を王位に着けたいとも思えない!」
あの国王陛下は……、わたしを護るための穏便な手段として、ダルエスラーム王子に譲位しようとしている。
そんなことは、ここ数日、一緒に過ごしていてすぐに分かったことだ。
政争から少しでも引き離そうと、簡単な書類仕事だけ渡して、深みとなる政からは完全に切り離して……。
「ダルエスラーム王子殿下から王位継承権を剥奪した上で、栞ちゃんが継承権を放棄するという方法もあるよ」
「ふへ?」
雄也先輩の言葉に思考が現実に戻される。
「すぐにそれをしてしまうと、国は荒れるかもしれないけど……、幸い、我らがセントポーリア国王陛下は未だ、現役でいらっしゃるからね。その辺りも、お考えだとは思うよ」
雄也先輩はにこやかにそう続けた。
確かに、あのセントポーリア国王陛下は若かった。
年齢は四十前だと聞いているけど、その中身はまだ二十代でも通用しそうな印象はある。
「そのためにも、あの陛下を支え続けようとする人間には、是非、頑張っていただきたいと思っているよ。勿論、心の底からね」
……なるほど。
国王陛下が現役で居続けるのには、確かに支えが必要かもしれない。
そして、それは本来、隣に立つ王妃の役目だと思う。
だけど、その方があまり宛にならないことはもう理解している。
つまり、雄也先輩が言っているのは、母のことだろう。
「母が……、頑張れば、あの国は変わりますか?」
「そのために、あの方も表に出ることを選ばれたのだと思うよ」
雄也先輩の力強い言葉が、染み渡る。
「娘として、わたしができそうなことはありますか?」
「……覚悟を決めることかな」
「覚悟?」
「千歳さまが本気でセントポーリア国王陛下を支える気なら、この先、栞ちゃんは無関係ではいられない。ダルエスラーム王子殿下や王妃殿下との対峙も頭に入れておかないとね」
……なるほど。
「分かりました」
母は自分を「足手まとい」と言っていた。
だけど、現状、足を引っ張っているのは間違いなく、わたしの方だ。
それをなんとかするところから始めなければいけないのだろう。
だけど、この時のわたしはまだ視野が狭かったというしかない。
それを、数年後……。
かなり衝撃的な形で理解することになるのだが……、この時点でそれが頭にあったのなら、もっとはっきり言ってくれても良かったのです、雄也先輩。
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「ところで、ちょうど良い機会だから、お願いがあるのだけど、聞いてくれるかい?」
雄也先輩は突然、そう口にした。
「わたしに……、お願い……、ですか?」
なんだろう?
また何か意味があること……、なのかな?
「うん、栞ちゃんにしか頼めないような大事なお願い」
「大事な……?」
雄也先輩は少し迷いのある瞳を向けた。
その願い事をわたしに告げて良いのか迷っているのだろうか?
「わたしができることなら、何でも言ってください」
わたしがそう言うと……、雄也先輩が何故か俯きながら自分の額を押さえた。
まるで、九十九みたいだ。
いや、兄弟だから、似たような反応をしてもおかしくはないのか。
「それでは、頼んでしまおうかな」
雄也先輩が再び顔を上げた時、迷いのある瞳ではなくなっていた。
「俺の身体が治った時、恐らく、年明けぐらいになるかな。その時に――――」
後に続いた雄也先輩の言葉が信じられなくて、思わず、両頬を押さえてしまった。
「えっと、それって……?」
雄也先輩のことだ。
それにもわたしが気付かない深い意味があるのだろう。
だけど、それってちょっと……。
「今は何も聞かないで欲しいかな。その時になれば、必ず、キミだけには伝えるから」
「わたしだけに?」
「うん。そして、先ほど話したことを含めて、九十九には内緒にしていて欲しい」
「九十九にも?」
確かに九十九に伝われば、過剰な反応をするかもしれない。
それに、前にもこんなことがあった気がする。
あれは確か……。
「それは、情報国家に関係はありますか?」
わたしの問いかけに……。
「まだ、はっきりと分からない」
「分からない?」
つまり、ないかもしれないし、あるかもしれないことでしょうか?
「俺も、知りたくはないことだから」
そういう雄也先輩は身体が弱っているためか、今にも泣き出しそうにも見えた。
そんな状態を見せられては、わたしもそれ以上、確認できない。
だから、素直に頷くしかなかったのだった。
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