護衛の忠告
本当に我慢ができなかったのだ。
「ふえっ!?」
高田の口からは、驚いた時に出る不思議な声が飛び出した。
彼女からすれば、いきなり男から抱き締められたのだ。
驚くのは当然だろう。
「つ……、九十九?」
それでも、オレから抱き締められるのは初めてではないためか、昔のように突き飛ばす様子はない。
その代わり、困ったようにオレの名を口にした。
「自立するのは良い」
「へ?」
自分の足で立つことは大事だ。
「だけど……、突然、いなくなるのは困る」
「い、いや、自立する前に、ちゃんと相談はするよ?」
嘘を吐け。
高田は難しいことほど何故か、オレたちを頼らない。
「お前はいつも勝手に決める」
「……そうかな?」
「置いて行かれる人間の気持ちにもなりやがれ」
胸に残るのは、過去のこと。
どれだけ大事な人間だって、皆、いずれはいなくなる。
手を伸ばした所で、幻のように儚く消えてしまうのだ。
顔も思い出せない父親も、大切だった幼馴染も、絶対的な存在だった師も、そして、いずれはあの兄貴だって、オレを置いてどこかに行ってしまうことを知っている。
だから、いずれは終わってしまう時間だと分かっていても、今だけは、この両腕の中に捉えたままでいたかった。
「九十九」
胸元で小さな声が聞こえた。
「なんだよ?」
何を言われても、今は逃がす気なんかない。
「大丈夫だから。わたしはもう、そこまで子供じゃないよ」
……この阿呆。
「子供じゃないから心配なんだよ」
もう子供じゃないんだ。
それは、この腕からしっかり伝わる。
二年前、ストレリチア城で彼女を抱き締めた時と、今では、身体の大きさはともかく、いろいろと変わっている。
なんと言うか……、その……、いろいろ引っ込みがつかなくて困ってしまうほどに。
「ちゃんとあなたたちと話して決めるから」
それは当然、いや、最低限の話だ。
「わたしはあなたたちから離れないから」
それは嘘だな。
気付けば、いつもふらふらとお前は目の前からいなくなるから。
「だから……、九十九はちゃんと見て……」
意外な言葉を告げられて、オレは少し、固まった。
オレが……何を見ていない?
「何を?」
「わたしは……あなたの幼馴染じゃない。あの娘とは違うことを……」
今度こそ、オレは思考ごと固まった。
この女。
なんにも分かってねえ!!
「阿呆か!」
思わず、声が大きくなっていた。
「オレはお前を幼馴染として扱ってないつもりだ。もうずっと、お前のことは、人間界で会った『高田栞』として見ている」
確かに周囲に話す時は「幼馴染」と言っている。
その方が、関係も分かりやすいからだ。
普通、相当な凄腕でもない限り、四六時中張り付くタイプの護衛を、異性に対して任命することは少ない。
「…………は?」
だけど、高田はその部分を全く理解してなかったようだ。
いや、確かにちゃんと説明したことはなかった気がするけど、オレはそれぐらい分かっていると思っていたのだ。
記憶を封印する前の自分と、今の自分。
それがどうして同じ人間だと思えるのだ?
「大体、同じ身体ってだけで、お前たちは全然、違う。寧ろ、一緒にするな」
少し前ならともかく、数年、共に過ごした今となっては、同じ人間であっても、全く違う存在だと思っている。
確かに、「シオリ」の気配を目印に、「高田栞」を見つけ出したことは間違いない。
だけど……、「シオリ」と「高田栞」は身体が同じだけの別人だと理解するのに、秒とかかっていない。
人間界で初めて「高田栞」と会った時、オレはそれを嫌と言うほど理解したのだから。
「いや……、でも……」
彼女は分かりやすく混乱している。
だけど、勘違いしていたなら、このままにしておくのは良くないだろう。
この機会にしっかりと、理解しておけ。
「確かにたまに重なることはある。だが……、ほとんど別人を同じ人間としていつまでも扱えるかよ」
そう言って大きく息を吐き、高田の両肩を掴んだ。
そして、そのまま、彼女の黒い瞳を見る。
大きくて穢れを知らない綺麗な瞳だ。
いっそ……、汚してしまいたくなるほどに。
「オレだけじゃない。兄貴を含め、ほとんどの人間はそうだと思うぞ」
オレのことを誤解していたなら、それ以外の人間に対してもそう思っている可能性がある。
水尾さんや若宮は昔の彼女を知らない。
だが、彼女の昔馴染みの者たちは、今の自分と比較し続けているのでは? と思われ続けているのは、それこそ心外だろう。
「あのセントポーリア国王陛下ですら、お前のことを昔の『シオリ』と一緒にはしていない。今のお前は、『シオリ』と同じようにセントポーリア国王陛下の血を引いているだけの別の人間だ」
彼女の両肩に置いた手に、無意識に力が籠められる。
これまでの様子から、セントポーリア国王陛下だって、会合前はともかく、接する時間が増えたことで、「シオリ」と「高田栞」を同じ娘だとはもう思えないはずだ。
それだけ、彼女は分かりやすく変化しているのだ。
あの頃の「シオリ」はセントポーリア国王陛下を苦手としていた。
分かりやすく避けており、できる限り近付かないようにしていた気がする。
それなのに同じ部屋で、一緒に書類仕事なんて、昔の「シオリ」なら、母親である千歳さんがいても、断っていたことだろう。
「『シオリ』は臆病で、母親の陰に隠れているような子だった。周囲のトラブルだって、今のお前のように首を突っ込まず、避けるようなヤツだったよ」
確かに、正義感は強かった。
だけど、同時に、自分の身に危険がありそうなことからは、理由をつけて逃げるような娘でもあった。
彼女が手を差し出すのは、自分に絶対害がないと判断した時だけ。
オレたち兄弟のことも、オレが少しでも彼女を怖がらせていたら、城に連れて帰るなんてことはしてなかったかもしれない。
「……へ? でも……迷いの森では……」
彼女はそこが引っかかったようだ。
知らない場所で、知らない人間に近付くなど、あの頃の「シオリ」にはありえない行動だった。
だから、オレもすぐには気付かなかったのだ。
まさか、昔の「シオリ」が出てきたなんて。
「『高田栞』の意識に引っ張られていたんじゃねえのか?」
その理由は分からないけど、それ以外に考えられない。
「少なくとも、オレの知る『シオリ』は、身内ならともかく知らない人間に言い返すなんて気の強い真似はしたことがねえぞ」
オレが知る限り、オレ以外の人間の前で、自分を出すような性格をしていなかった。
兄貴やミヤドリード、母親である千歳さんに対してだって、ある程度、猫を被っていたと、今なら分かる。
「ちょっと待って。心の整理をする時間をください」
そう言って、両肩にあったオレの手を外させる。
だが――――、何故か、そのままオレに寄り掛かるように力を抜いて、胸元にもたれかかってきた。
思わず心臓が飛び出たような気がするが……、今の彼女の支えになることが許されるなら、素直に黙って壁になろう。
彼女の身体をしっかりと固定する。
―――― 役得。
そんな言葉が頭の中をよぎったが、軽く頭を振った。
高田にそんな気持ちがないことは本当によく分かっている。
それでも、こんな柔らかい感触を与えられて、喜ばない男などいないだろう。
触れても消えない。
泣かれることもない。
ただそれだけで、こんなにも満たされる。
いつまでもこうしていたいが……、そんなわけにもいかない。
高田の気が済むまで……、という時間が分からないが、彼女の魔気が落ち着くまで待った方が良いだろう。
この城下の森なら、誰も来ないのだから。
****
「そろそろ整理できたか?」
高田の魔気が落ち着いたことを確認して、声を掛ける。
「うん」
オレの言葉に対して、落ち着いた声で肯定してくれた。
だけど……、これだけは、言っておかなければならない。
「一応、言っておくけどな」
「ん?」
彼女を解放しながらも、オレは大事な警告をする。
「オレは男で、お前は女だ」
「それは知っているよ」
即答だった。
だけど、本当の意味では理解していないと思う。
「…………そうか」
その気になれば、このままこの場で押し倒すこともできる。
少し前まで「発情期」だったこともあって、どうしても今の思考はそちらに引きずられやすいようだ。
だが……、そんなことができるはずもない。
「分かっているなら、今後もそれは覚えておけ」
オレはもう何度も忠告した。
それでも、聞かなかったのは、お前だからな。
この話で、47章は終わりです。
次話から第48章「主人の務め」に入ります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




