幼馴染じゃない
「ふえっ!?」
我ながら、口から飛び出していた言葉は間抜けなものだったと思う。
だけど、それぐらい唐突だったのだ。
ここは、セントポーリア城から城下の間にある深い森の中。
そんな場所で、わたしは何故か九十九にすっぽりと覆われて、全く身動きがとれないでいた。
彼に抱き締められたことは初めてではない。
だけど、理由も分からず抱き締められるのは、ちょっと年頃の乙女としては困る。
「つ……、九十九?」
わたしがそう彼の名を呼ぶ。
「自立するのは良い」
「へ?」
彼の低い声が頭上から響いた。
「だけど……、突然、いなくなるのは困る」
「い、いや、自立する前に、ちゃんと相談はするよ?」
流石にいきなり「自立します」という置手紙を出して、去るようなことはしない。
もしかして、彼はわたしにそんなイメージがあるの?
「お前はいつも勝手に決める」
「……そうかな?」
ちゃんと相談はしているつもりなのだけど……。
「置いて行かれる人間の気持ちにもなりやがれ」
そのどこか泣きそうな声に……、彼が誰とわたしを重ねたのかを思い知る。
それが、この場所だったこともあるのだろう。
だから、彼は、こんな形で、わたしを繋ぎ止めようとしたのかもしれない。
あの時は、それもできなかったから。
だけど、失礼しちゃう。
わたしは彼女と違うし、そこまで子供でもないのに。
「九十九」
わたしはもう一度、彼に呼び掛ける。
「なんだよ?」
そう言いながらも、彼はこの手を緩めてくれる気はないようだ。
逃がさないようにしっかりと固定されている。
「大丈夫だから。わたしはもう、そこまで子供じゃないよ」
「子供じゃないから心配なんだよ」
……ぬ?
子供扱いされていたわけではないのか。
それは少し意外だった。
「ちゃんとあなたたちと話して決めるから」
わたしは心を込めてそう言う。
「わたしはあなたたちから離れないから」
少しずつ、はっきりと口にしていく。
まるで、告白みたいでちょっと恥ずかしい。
「だから……、九十九はちゃんと見て……」
「……何を?」
だから、この機会にちゃんと告げよう。
「わたしは……あなたの幼馴染じゃない。あの娘とは違うことを……」
本当はずっと言いたかった言葉。
わたしにはあの頃の記憶はない。
だから、ずっと違和感があった。
彼が「幼馴染」と言う単語を口にするたびに、ずっと否定したかったのだ。
「阿呆か!」
だけど、そんなわたしを彼は怒鳴りつけた。
「オレはお前を幼馴染として扱ってないつもりだ。もうずっと、お前のことは、人間界で会った『高田栞』として見ている」
「…………は?」
「大体、同じ身体ってだけで、お前たちは全然、違う。寧ろ、一緒にするな」
「いや……、でも……」
突然のことで、わたしは混乱してしまった。
え?
どういうこと?
「確かにたまに重なることはある。だが……、ほとんど別人を同じ人間としていつまでも扱えるかよ」
そう言って大きく息を吐き、わたしの両肩を掴む。
そして、そのまま、わたしの高さに目線を合わせた。
「オレだけじゃない。兄貴を含め、ほとんどの人間はそうだと思うぞ。あのセントポーリア国王陛下ですら、お前のことを昔の『シオリ』と一緒にはしていない。今のお前は、『シオリ』と同じようにセントポーリア国王陛下の血を引いているだけの別の人間だ」
彼の黒い瞳がわたしを覗き込む。
嘘や迷いのないしっかりとしたその強い光は、わたしを逃がそうとしない。
「『シオリ』は臆病で、母親の陰に隠れているような子だった。周囲のトラブルだって、今のお前のように首を突っ込まず、避けるようなヤツだったよ」
「……へ? でも……迷いの森では……」
「『高田栞』の意識に引っ張られていたんじゃねえのか? 少なくとも、オレの知る『シオリ』は、身内ならともかく知らない人間に言い返すなんて気の強い真似はしたことがねえぞ」
「ちょっと待って。心の整理をする時間をください」
そう言って、両肩にあった九十九の手を外させる。
そして、そのまま寄り掛かるように力を抜いたそれが分かったのか、彼はまたわたしを抱き寄せてくれる。
ああ、九十九の心臓の音が妙に落ち着く。
これは……慣れ、だろうか?
少し前までのわたしでは考えられないことだ。
同じ年齢とは言え、男性に自分から寄り掛かるなんて。
しかも、彼は嫌がらずに受け入れてくれる。
これを「甘える場所」と言わずして、なんと言えば良いのか?
こんなことをしているから、彼が他の女性と縁がなくなっているというのは分かっていても、それでも、自分から彼の手を離す気が今は起きない。
でも……、本当に「幼馴染」ではなかったら、なんで、彼はここまでしてくれるのだろう?
わたしは、てっきり大事な「幼馴染」が眠っている器だから、大事にしてもらっていると考えていたのに。
そうなると、彼との関係も実に不思議なものとなる。
いや、雇われて護衛してくれているのは理解しているのだけど、それにしては、彼の行動は、ちょっと違う気がするのだ。
例えば今。
普通、護衛ってここまでしてくれるもの?
九十九はわたしに対して、恋愛感情を決して持つことはないって知っているから、甘えられる面はある。
だけど、彼が、わたしに全く恋愛感情がないって知っていても、普通ならかなり誤解されるような行動だと思う。
それとも……、彼は意外と女に手が早いタイプ?
……それもないか。
そんな人なら、ワカがあんな揶揄い方はしないだろうし、何より、九十九自身が「発情期」なんてものにもなることはないだろう。
「そろそろ整理できたか?」
「うん」
いろいろ思うところはあるけれど、いつまでも彼に張り付いているわけにもいかない。
こんな風にわたしを抱き締めるのは、彼なりにいろいろな事情があるのだろう。
九十九は「母親」を知らないせいかもしれないのだけど、こう見えて少し淋しがり屋な部分がある。
だから、恋人じゃなくても、誰かの「温もり」が欲しい人なのかもしれない。
その辺り、いろいろ複雑ではあるけれど……、仕方ないか。
彼に恋人ができないのはわたしのせいでもある。
それでも、実は、かなりモテるのに、全然、周りを見ていないのは勿体ないなといつも思っていた。
まあ、口は悪いけど、顔も良いし、性格も良いし、背も高い。
これで、モテない理由はないよね。
わたしたちが、ストレリチア城に滞在していた時、どれだけ様々な神女たちから雄也先輩や九十九についての質問攻めにあったと思っているのだ?
いや、まともに答えたことなどない。
にっこり笑って、「分からないので、当人に確認してください」で、一掃していた。
それで凄まれることはあったけど、暴力行為ができない大聖堂内。
箱庭育ちの神女が言う程度の悪口を聞き流すことは難しくない。
時々、意味が分からない言葉もあったけど、それは……多分、神官用語だったのだろうね。
念のために、恭哉兄ちゃんに確認したら、「栞さんは知らなくても良い言葉ですよ」と、笑顔で言われたから。
でも、その後、その神女の容姿を事細かに確認されたことだけは少し気にかかった。
実は、神女も神官も見習いの間は恋愛御法度だと聞いているが、こっそりというのはあるらしい。
しかし、それをわたしに教えてくれたのが、恭哉兄ちゃん……、つまり、大神官だというのが何とも言えない部分ではある。
そして……、その語り口調や表情から、彼も、いろいろあるのだろうなとも思った。
しかし、個人情報を相手の主人から聞き出そうとか、なかなか神女たちも逞しいとは思う。
その情熱は出来れば神さまへの信仰にこそ注いでほしい。
そうすれば、「聖女」認定候補にと言う地位に近くなるかもしれないし、ついでに色々な神官さまからもお話を聞けると思うのですよ。
上神官級になると流石に年配の方が多いけど、正神官までなら若い人も多い。
準神官なら数も多いので、好みのタイプもいることでしょう。
わたしは、好みの顔であっても、「聖女の卵」モードと「高田栞」バージョンの区別もつかないような方は、お断り一択でしたが。
ワカを見習って欲しいよね。
彼女は魔法で顔を別人にしない限りは見抜いてくれる。
九十九に至っては、わたしが魔法を使ってもらったり、様々な魔法具を駆使したりして、体型を含めてこの姿を変えても見抜くから本当に恐ろしい。
どんな眼の持ち主なんでしょうね?
「一応、言っておくけどな」
「ん?」
九十九が腕を緩めながら、そんなことを言う。
「オレは男で、お前は女だ」
「それは知っているよ」
これだけ体格も違うのだ。
嫌でもその自覚はある。
「…………そうか」
何故か、九十九は少し複雑な顔をしたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




