眠れなかった日々
「う……?」
わたしがゆっくりと目を開けると、黒髪の少年の後ろ姿が目に入った。
「あれ? 九十九……?」
わたしが声を出すと……。
「ようやく、起きたか……」
九十九がどこか安堵したような顔を向けながら振り向いた。
そこで一気に半分以上、眠っていた脳が覚醒する。
「うわっ! ごめん、うっかり寝ちゃった!!」
わたしが慌てて飛び起きると……。
「今回は、オレの方が先に寝たんだから、お前が謝るなよ」
九十九はどこか困ったような顔でそう言った。
「はれ? そうだったっけ?」
どうだっただろう?
その辺り、あまりよく思い出せない。
「でも、九十九がうっかり寝ちゃうなんて久し振りだね」
わたしはいろいろ誤魔化すかのようにそう言った。
「そうだな。ちょっと気を抜いた」
珍しいこともあるものだ。
それだけ彼は疲れているのかもしれない。
「それじゃ、帰りますか」
わたしはスカートの裾を軽く叩きながら、そう言うと……。
「その前に朝飯、食え」
九十九はいつものように、保存食に手を加えたものをわたしに差し出した。
「あれ? もうそんな時間?」
「そんな時間だよ。下手すりゃ、昼飯。聖歌の時間だ」
「え? 本当!?」
正直、ビックリだった。
「嘘言ってどうするんだよ」
聖歌の時間と言えば、ストレリチアで正午を指す。
セントポーリアの時間とストレリチア時間のどちらで彼が言ったのかは分からないが、少なくとも、日が替わるまではこんな場所で眠ってしまったらしい。
「健康のためには、あまり朝食を抜いて欲しくはないのだが……」
相変わらず、母親のようなことを口にする九十九。
わたしの実の母親だって、ここまで気にはしてくれないのにね。
「起こしてくれれば良かったのに……」
気を遣ってくれたのは分かっているけど、そう言わずにはいられなかった。
「お前も眠れていなかったんだろ?」
「え? 分かっちゃう?」
思わず自分の両頬を押さえてしまう。
いや、普通に考えれば押さえるべきは目なのだろうけど、それがバレていることが妙に気恥ずかしかった。
「あの城で逆にぐっすり寝ている方が、ビックリする」
九十九がそう言いながら笑った。
確かに、セントポーリア城は敵も多い。
そんな状況でぐっすり休めるとしたら、並の神経ではないのだろう。
でも、わたしが眠れなかったのはそんな理由ではなかった。
確かにセントポーリア国王陛下の私室の一部を間借りしていたことも緊張したし、上等な寝具の感触に慣れなかったことも事実だけど……。
どこか安心……、できなかったのだ。
通信珠はずっと身に着けていたのだけど、流石に九十九がどんなに凄くても、他大陸にあるストレリチアからこのセントポーリアまでに飛んでくることなんてできないだろう。
何より……、彼は「禊」中だった。
どんなことをして、どんな風にその身を清めていたのかは教えてもらっていないけれど、そんな状況で簡単に呼び出して良いはずもない。
そして、これは恋愛じゃない。
ただの依存だ。
そんなことは自分が一番、分かっているのだけど、それでも、それを許されている間だけは、近くにいても良いよね?
「セントポーリアの城はどうだった?」
保存食をほおばりながら、九十九が聞いてきた。
「城と言っても、ほとんど国王陛下の私室にいたからな~」
正直、よく分からない。
「ああ、食事は九十九の作った方が美味しかったよ」
手にした保存食すらわたし好みの味になっている。
彼の腕は、この二年で、さらにわたしの胃袋をガッチリ捕まえて離さない。
尤も、それはわたしに限ったことではないようだけど。
「当然だ」
どこか得意げな顔になる九十九。
その姿があまりにもいつも通りで安心する。
「お前、王妃たちには見つかっていないだろうな」
「部屋から出ていないから大丈夫だと思う。でも、王子殿下や王妃殿下って……、意外と部屋に来ないもんだね」
親子、夫婦なのに……。
その辺り、ちょっと不思議に思えた。
「王族だからな。陛下に会うにも、面倒な手続きがいる。」
「王妃殿下ぐらいは来るかと思ったのだけど……」
仮にも夫婦なのだ。
もしくは国王陛下が行くかと思っていたけど、そこは予想外だった。
「お前がいる状態で、王妃を部屋に召すわけないだろ。それにお前を置いて、王妃の部屋に行くような方だと思うか?」
「……なるほど」
言われてみれば確かにそうか。
でも、あまり仲が良くなくても、突然、王妃が王の部屋には来ることはあるのかなとなんとなく思っていたのだ。
セントポーリアは王族が少ない。
だから、少しでも王族を増やす努力……ってしないものなのかな?
それとも、セントポーリアの王子以外に後を継がせないという意思表明?
その辺り、よく分からないのだ。
下手にそれを尋ねて、わたしが王位を狙っていると勘繰られても困るし。
わたしは、「王位」も「聖女」も望まない。
近くに大事な人たちがいて、ただのんびり、平和に過ごせれば良いのだ。
勿論、そんなに甘くないことは分かっている。
人間界でもいろいろと大変だったけど、この世界も命を狙われたりするなど、いろいろハードモードな場面も多い。
「どうした?」
九十九が覗き込んでくる。
暫く離れていたせいか、その行動に少し、ビックリしてしまう。
久しぶりに彼の顔を近くで見ると、心臓に悪い。
「いや、この世界で平和に生きるにはどうしたら良いかな、と思って」
「…………お前、平和に生きる気はあったのか」
九十九はどこか呆れたようにそう言った。
「どういう意味かな?」
「いや、お前、自らトラブルに首を突っ込んでいくじゃねえか。だから、若宮みたいに刺激ある生活を望んでいるのかと思っていたぞ」
彼は結構酷いことを言っている。
しかも、ワカみたいって……、わたしはあそこまで酷い行動をしているかな?
「そんなつもりはないのだけど」
でも、九十九の中では、そんなイメージがあるようだ。
「迷いの森とカルセオラリア城が一番分かりやすいだろ?」
「うぐっ」
それを持ち出されては、黙るしかない。
確かに迷いの森はわたしとは少し違ったけれど、カルセオラリア城は純度100パーセント「高田栞」のままだった。
「この世界で平和的に暮らすことは難しくないぞ」
彼がそんなことを言う。
「全部、誰かに任せて生きれば良い」
「どういうこと?」
「何かトラブルがあっても、無視して出て行くな。その上でどこか小さな町で、生計維持程度の仕事を得て、目立たずひっそり暮らす。大半の人間はそうして生きているんだ」
「ん~? でも、それは難しいと思うよ」
わたしは素直にそう思った。
「何か騒ぎがあって、救える手立てがある状態でわたしは無視できるとは思えない」
「……お前は、救える手立てがなくても突っ込んでいくからな」
「その無茶をなんとかしてくれる護衛がいるからね。つい、甘えちゃっているよ」
「……お前、護衛は便利屋じゃねえぞ」
九十九は不機嫌そうにそう言った。
彼のこんな顔も、なんとなく久し振りに見た気がして、嬉しく思えてしまうから不思議だね。
「便利に使っている気はないよ。でも……、頼りにしている自覚はあるな」
なんだろう?
どこか気分がふわふわしている気がする。
それだけ、ストレリチアに戻ることが嬉しいのか。
それとも、目の前の黒髪の青年が、忘れずにちゃんとわたしを迎えに来てくれたことが嬉しいのか。
その辺の感情が、自分でもよく分からなかった。
「それなら、もっと頼れ。いつも、自分だけでなんとかしようとするな」
「自分だけでなんとかできるとは全く思っていないのだけどね」
どうも、九十九の目からはそう見えているらしい。
わたしは、かなり彼らを頼っていると言うのに。
「でも、いつかは九十九たちから離れなければいけないなら、ちゃんと、自立の道も探らないとね」
わたしはそう言った。
「いつまでも、甘えてなんかいられないから」
できれば、その日が一刻も早く来ることを、願って。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




