風の父娘
「眠れぬのか?」
扉を開けた途端、目の前の金色の髪をした王さまがわたしに声をかけてきた。
いや、なんで、起きていらっしゃるの?
今、夜中ですよね?
そんな言葉をなんとか飲み込む。
わたしも人のことは言えないのだから。
「俺も眠れぬ」
そう言いながら、金髪の王さまは笑った。
その穏やかな雰囲気に、数時間前まで、城の地下でわたしに向かって魔法を連発していた人とは思えない。
この変化も、水尾先輩に似ている……となんとなく思ってしまう。
王族って、どこか似てしまうものなのだろうか?
「少し、付き合えるか?」
セントポーリア国王陛下は、手にしていたグラスをわたしに向ける。
「申し訳ありませんが、わたしは、お酒、飲めませんよ?」
わたしがそう答えると、セントポーリア国王陛下は目を丸くした。
「チトセの娘なのにか!?」
どういう判断基準だろう、とも思ったが、わたしの母が酒好きなことを知っている人にとっては、確かに驚くべきことなのかもしれない。
わたしの母は、おっとりした口調と見た目によらず、かなりの酒好きで、しかも酒に強い人でもある。
焼酎はやや苦手だけど、酎ハイならおっけ~らしい。
飲まない人間からすれば、その違いはよく分からない。
酎ハイって焼酎をジュースとかで割った飲み物のことじゃないの?
でも、基本は日本酒。
お酒に弱い地方出身の人間だったはずなのに、あの酒の強さは異常だと母の兄……わたしにとっては叔父にあたる人も言っていたことがある。
それも、溜息交じりに……。
「母の娘ですが、飲んだことはありません」
九十九は何故かわたしのことを「多分、お前はオレより酒が強い」と言っていたが、その理由は分からない。
母のことを知っていたのかな?
「ヤツらは、酒も渡さなかったのか?」
この場合、「ヤツら」は……、九十九と雄也先輩のことかな?
「いいえ。わたしの育った国では二十歳まではお酒禁止だったので、彼らから勧められたこともないですよ」
「そうなのか? だが、チトセは、ここに来て間もない頃から飲んでいたぞ? 確か、15歳と言っていたはずだが……」
母!?
人間界にいた頃、わたしに対して言っていた「お酒は二十歳になってから」を自ら破っていませんか!?
いや、この世界にいた時の記憶は封印されていたのだから、人間界の日本の考え方としては、わたしに言っていたことは間違いではないのだけどね。
「この世界では飲酒に年齢制限はない。それに15歳を越えれば、成人と見なされる」
それは知識として知っているけれど、10年近く培われたものというのはなかなか抜けるものではない。
「だが、飲みたくないのなら、無理に飲ませる気もない。ただそこにいて、話をしてくれ」
セントポーリア国王陛下はそう言うが……。
「陛下を楽しませるような話はあまりないのですが……」
「そこにシオリがいるだけで、十分、俺は楽しめる」
まるで、口説かれているみたいだ。
かなり年上の人だと分かっているのに、情報国家の国王陛下といい、この方といい、この世界の王さまは年齢の大きな差を感じさせない。
そこまで言われて断る理由もない。
なんとなく、対面に座った。
「酒精が入っていないものなら飲めるか?」
酒精……、アルコールのことだっけ?
「それなら、大丈夫です」
ジュースよりはお茶の方が好きなのだが、それはこの場で言う必要もない。
ここまで気遣ってもらっているのだし。
しかし、国王陛下自らがジュースを注いでくれる状況って、よく考えなくてもかなり凄いことなのではないか?
恩賞とかでありそうな気がする。
しかし、このジュース、かなり黒い。
まるで、コーラ……?
いや、アイスコーヒーのようだ。
炭酸飲料は苦手だし、コーヒーは牛乳、砂糖入りの甘い缶コーヒーしか飲んだことがないけれど、大丈夫かな?
「ラルオウクの実から採れた物だ。見た目は黒いが、味は良い」
そう勧められたので、素直に口を付ける。
見た所、炭酸飲料でもない。
それなら、炭酸が苦手なわたしでも大丈夫だ。
口に含む。
あ、これは好きな味だ。
苦くもシュワシュワもしていない。
この黒さは少しどうかと思うけれど、リンゴジュースのように甘くておいしい。
それでも、ここまで黒いと飲む時に一瞬止まってしまう。
苦さとか、苦手な炭酸の感覚を警戒してしまうのだろう。
「口にあったようで、良かった」
セントポーリア国王陛下が優しく微笑む。
「はい、美味しいです」
素直に感想を口にする。
見ると、陛下のグラスが残り少ない。
「お注ぎしますか?」
温めるようなお茶ではない限り、注ぐことは難しくないはずだ。
保存さえ気を付ければ、瓶からそのまま、注ぐだけ。
お酒もそうだったと記憶している。
「では、そこの瓶の酒を貰えるか」
そう言われたので、近くの瓶に入ったお酒をセントポーリア国王陛下のグラスへ注ぐ。
なんとなく緊張で、手が震えそうになるけど、そこをなんとか我慢した。
「怖いか?」
怖い?
なんでそんなことを尋ねるのだろう?
「どんな魔法の前にも動じないシオリが、珍しく震えている」
「申し訳ございません。ちょっと緊張しています」
うぬう。
震えも見透かされていてちょっと恥ずかしい。
「そうか……」
それ以上は追求されなかったことにほっとする。
でも、普通、緊張するよね?
相手は、一国の王だ。
本来なら、わたしなんか近づくこともできない存在なのだから。
だけど……、それ以上に別の感情はある。
魔法を使っている時はあまり意識しないのだけど、こんな、何でもない時。
前にこのセントポーリア国王陛下と雑談した時にも思ったことだが、どうしても、頭の中にある言葉がある。
この人は――――、わたしの父親なのだ。
これまでのことで、そのことは完全にこの人には伝わっている。
体内魔気がかなり似通っていることもあるが、神剣「ドラオウス」を抜いた時点で完全に王手だ。
しかも、その神剣「ドラオウス」は、この人の息子であるダルエスラーム王子殿下は抜けなかったというのに。
……?
あれ?
抜けなかったのよね?
あれだけ抜こうとしたのに。
だけど、わたしは、それをどこで知ったのだろう?
そんな姿、普通では見ることができるはずもないのに。
だけど……、何故か知っている。
封印されている記憶が実は、少しだけ戻っているのかな?
だからと言って、自分からそう名乗ることはできない。
わたしを産んだ母が、今もそれを望んでいないのだから。
子の知る権利もあるが、母親が教えない権利もあるだろう。
それに、「娘」だというのは自分から、「王位継承権あります! 」と、名乗り出るみたいでちょっと嫌だとも思う。
わたしも母も、そんなものは望んでいないのに。
「しかし、シオリがこの城に来てくれてよかった」
目の前の王さまはそんなことを言う。
「俺がここまで毎日のように魔法を使うことはほとんどなかったからな」
ストレス解消には、やはり的となる存在が必要らしい。
ますます水尾先輩が重なり、少し笑ってしまった。
彼女も……、今頃、カルセオラリアで魔法を放っているのだろうか?
「お役に立てたなら、光栄に存じます」
わたしはそう答えた。
護衛が誰もいない状態となったわたしの、一時的な保護役になってくれたことに感謝しながら。
九十九が暫く離れることになって、雄也先輩もまだ動ける状態になかった。
だけど、わたし自身はまともな魔法を使うことができない。
そこで……、九十九は母に相談し、わたしを託したはずなのだが……、何故か引き受けたのはセントポーリア国王陛下だった。
ストレリチアで会合が行われたため、数日、城を開けることになり、溜まった公務を処理することも大変だと聞いていたのだが、地下でストレス解消をしたり、こうして夜中にのんびりお酒を飲んだりするぐらいの余裕はあるらしい。
「夢も叶ったからな」
「夢……ですか?」
「チトセにも内緒の夢だ」
なんだろう?
ちょっと気になる。
しかも秘書である母にも、内緒とは……。
いや、プライベートなことなら確かに内緒にしてもおかしくはないか。
「俺はいつか、シオリとこうして飲みたかった」
「ふへ?」
思わぬ言葉に、素になってしまう。
それはいつ頃からの夢だろうか?
記憶を封印する前から?
それとも、前にわたしと会った時?
もしかしなくても、最近?
思考がぐるぐると回り出す。
ああ、そう考えれば、やはり少しぐらいお酒を口にするべきだっただろうか?
だけど、申し訳ないが、今更だ。
「夢が叶った……」
だけど、しみじみそう言われると、少し心が揺らぐ。
「それでは、国王陛下。いつかまた、機会がありましたら、お誘いください。その頃には、ご相伴できるようにもなっていることでしょう」
「また……、飲んでくれるのか?」
「はい、陛下が嫌でなければ」
「嫌なものか。その日を今から楽しみにしよう」
ここ数日。
どれだけの期間をこの人と過ごしたことだろう。
そして出た結論は……、わたしはこの方を嫌いではないということだった。
確かに、いろいろな事情はあったとしても、この方は、昔、わたしの母を護り切れなかったことは事実だ。
まあ、母が大人しく護られているだけの女ではないことが最大の原因なのだろうけど、それはそれ。
わたしはずっと母の苦労を間近で見てきたのだ。
だけど、それらを口にして当たり散らす気にもなれない。
これまで、少しは王族の事情と言うのも知る機会も何度かあった。
これが魔界に来たばかりの頃、この方に最初に会った時なら、感情的になった可能性は高いのだけど。
「はい。いつか、またご一緒させてください」
だから、わたしは、素直にそう言ったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




