光の王
「どうだ? シオリ嬢との生活は……」
水晶の向こうに向かって俺は声をかける。
ここ数日は、毎晩、公務が終わってから日課のように通信を繋いでいた。
『悪くない』
簡潔な言葉。
だが、その台詞に全ての想いが込められていることを俺は知っている。
「ほう。それならば、手放したくないんじゃないか?」
どうせなら、そう言ってくれた方が諦めもつく。
一国の王が本気で自国の人間を手放さないと判断すれば、他国の王に強制することなどできるはずもないのだから。
だが、この生真面目な王様は、そんな人の厚意に気付きはしない。
『いや……、ますますあの娘をこの国に……、俺の傍に置いてはいけないと思うようになった』
馬鹿正直に答えやがる。
その気持ちは分からなくもないが、それを俺に言うのは駄目だろう。
恐らく、あの可愛らしい少女は、その外見に反してかなり強い風属性の魔力の持ち主であることは間違いない。
それほどの存在が、僅かな供だけを連れて国外で自由に行動している。
それを知れば、一部の国は、本気で彼女を攫いに行くだろう。
魔力が強い人間と言うのはそれだけの存在なのだから。
あのチトセによく似た黒髪、黒い瞳を持ち、そして表情もよく変わる小柄な少女。
見事なまでにその「体内魔気」を抑え込んでいるため、確かに魔力は強く見えない。
だが、一度、戦闘態勢になると、それらは一気に放出される。
魔力の解放、体内魔気を自然放出させるだけでもかなりの存在と変わるのだ。
少なくとも、同じように「体内魔気」によって護られているはずの王族の身体に影響を与えるほどのものはそう多くは見ない。
だが、それをあえて自分で護らないと、この水晶の向こうの王は言う。
「それは……、相当だな」
俺は溜息を吐く。
どれだけ、あの少女に入れ込んでいるのか分かる言葉だ。
「ああ、彼女は『相当』なものだ」
さらに続いたその言葉は、この王にしては少し感情が籠っていた。
それだけでも、どれだけ彼女を中心に考えているのか分かる気がする。
恐らくは、この水晶の向こうで、あの堅物にしては珍しいほど、分かりやすく表情を緩ませていることだろう。
まるで、彼女の母親について語る時のように。
「それほどならば、彼女は「蓋」の役目も果たせたことだろう」
『ああ、十分すぎるぐらいだ』
どうやら、既にあの少女はシルヴァーレン大陸の「大気魔気」の安定に一役買ってくれたらしい。
『これで、暫くはこの国も安定する』
落ち着いた声で、歳の近い王は言葉を続けた。
次代の王が、その安定を図る努力をしなくても、他の人間から理解を得られなくても、自分からは国を見捨てられない。
損な性分だと思う。
いっそ、気狂いになって、自国を見捨てられれば、その苦しみからも解放されるだろうに、この男はそれを選ばない。
俺と同じように、本来は国を継ぐはずだった兄がいなくなることで、突然、転がり込んできた王座。
普通の兄弟なら持たない辛苦も、互いに王位継承権を持っていたことで発生した。
継承権の放棄をすれば、それ以後、更なる悔恨もなかったのに、俺たちは、それをできるほど、国を愛していないわけではなかった。
王位を選ぶことで、大事なものを幾つ手放したかは分からない。
だが、これだけは言える。
この道を選んだことに迷いも悔恨もあるが、それでも、引き返すことはない。
何度、やり直しても、俺たちはこの道を選ばざるをえないのだから。
「もう一度確認するが、今後も彼女を傍に置く気は?」
『ない』
分かり切った問いかけに、分かり切った返答。
『貴方にも、シェフィルレート王子にも、勿論、ダルエスラームにも、あの娘は渡せない』
さらに重ねて力強い言葉を返してくる。
それは、分かりやすいほどの宣戦布告だった。
「お前、チトセだけでもう十分だろう? 娘ぐらい譲れよ」
『貴方が言うと別の意味に聞こえる』
「失礼なヤツだな」
だが、そこを否定する気もない。
彼女たちはその存在そのものに価値があるが、女性としても実に魅力的であるのは確かだからだ。
母親であるチトセは「創造神より魅入られた狭間の人間」。
創造神が人類の住む世界が崩れそうな時、気まぐれに召喚する強い魂を持つ人間。
並の人類では話にならない。
それを知らずに彼女を敵に回す人間はかなりのバカだ。
実際、彼女を手籠めにしようとした男は、どんな運命の意図が働いたのか、それから数日と経たずに物言わぬ身体となった。
チトセがこの世界で、どんな役目を「創造神」より背負わされているのかは分からないが、それを終えるまでは、確実に彼女は「創造神」より庇護を受け続ける。
そんな人間の意思に逆らえるはずもない。
だが、あの黒髪、黒い瞳。
柔らかく微笑むその姿は、中身を知らなければ惑わされるだろう。
小柄ではあるが、魅惑的な肉体を隠していることも知っている。
……残念ながら見たことはない。
余計なことを言う妹から聞いただけの話。
娘であるシオリ嬢はその身に宿る強大な魔力だけではなく、既に一部では「聖女」と見なされている。
漏れ聞こえてきた話だけでも、その力の片鱗が見え隠れしており、……寧ろ、隠す気はねえだろ? と思ったぐらいだ。
だが、あの黒髪、黒い瞳。
表情豊かに笑うその姿は、その中身を知ってからこそ大いに惑わされてしまうだろう。
母親以上に小柄ではあるが、年頃の娘らしい身体つきで、若さ溢れる瑞々しい肌なのは、近くで見ればよく分かる。
「よくあの娘の傍にいて、耐えられるものだ」
『……何の話だ?』
「シオリ嬢に従う護衛兄弟のことだな。幼馴染ということを差し引いても、王命と言う首輪があるとしても、理性がよくもつものだと感心する」
その結果が、今回の事態だとも言えるのだが……。
シオリ嬢の護衛である少年の一人が、「発情期」の症状が表れたらしい。
普通ならば、「誰かに迷惑を掛ける前にとっとと適当な女を抱いてこい」と言えば済むのだが、その少年はそんな言葉を簡単に呑めるような人間ではなかった。
俺が良く知る人間にもそんなタイプのヤツがいたから、激しく拒絶されることは分かっている。
あの男と同じように、「好きでもない女を抱けるか! 」と言うことだろう。
そんな潔癖な思考を持つ微妙な年代の少年に対して、強引にそれを推奨すれば、奥手を通り越して女嫌いの領域に達することまで知っているのだ。
だが、「発情期」は青少年の心の整理がつくまで待ってはくれない。
そして、「発情期」は、その者が好意を持つ人間に対して、より強く反応することはよく知られていることだ。
異性、近くの異性、好みの異性、好意を持つ異性、好きな異性、愛しい異性の順に激しい反応を見せる。
誰だって、どうせ抱くなら、どうでもいい女と、自分好みの良い女なら、後者を選びたいということだろう。
あの少年はそれを恐れた。
恋愛感情ではなくても、あの少年は、シオリ嬢を特別視していることは、誰の目にもよく分かっている。
恐らくは、当人自身もその自覚はあるのだろう。
だから、結論は、彼女を離れた場所に置き、その期間を耐え抜くこと。
……正直、神官でもないのに阿呆なことをすると思う。
護衛対象、仕えるべき主人であっても、手を出すなと命令されていないのだから、多少強引でも、彼女を口説けば良い話なのだ。
それが嫌なら、好みの「ゆめ」でも買って、なんとかすれば良いだけの話。
「ゆめ」の中には、理想の異性に姿を変えた上、どんな希望でも叶えてくれる者もいる。
勿論、一夜の夢はそれなりに高く付くものだが、特殊な性癖を望み尽くしても、王族に仕えるほどの人間が手を出せないほどの金額にはならないはずだ。
……だが、それを容易に選べないのが童貞と呼ばれる夢見る男たちなのだろう。
それでも……、一度、「発情期」を発症すれば、その考えが変わる男も多い。
それだけその時期は激しくも甘美な猛毒らしい。
どの辺りが、甘美なのかは言葉だけでは理解できないが、一度くらいは後学のために体験しておくべきだったとも思う。
ある意味、惜しいことをしたが、王族の人間が他者に「発情期」という無様な姿を披露したくもなかった。
『彼を信じよう』
水晶の向こうから、生真面目な男はどこかありきたりな言葉を残すのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




