風の王
『どうだ? シオリ嬢との生活は……』
水晶の向こうから聞きなれた声がする。
ここの所、毎晩のように連絡をとってくるが、彼なりに、気にかかるものがあるのだろう。
「悪くない」
だから、俺は正直な感想を述べた。
『ほう。それならば、手放したくないんじゃないか?』
こちらの事情を知っている情報国家の国王は、いつものように軽い口調で簡単に言ってくれる。
チトセの娘とされる少女が、この城に来てから既に数日経っていた。
そろそろ、約束の時だということは自分にも分かっている。
「いや……、ますますあの娘をこの国に……、俺の傍に置いてはいけないと思うようになった」
彼女が、自分に次ぐ風属性の魔力の持ち主であることは疑いの余地もなかった。
それほどの存在が、安全な城で護られることもなく、他国にも行き来しているのは、確かに危険が伴うことだと思う。
だが、彼女にとっては、この城こそ、危険な場所だった。
魔力が強いと言うだけで、簡単に彼女を傍に置くことなどできない。
事情もあって、短期間だけという制限があるため、今のところは母親であるチトセにも許され、城内でも隠し通すことができているが、これが長期となれば、こうはいかなかっただろう。
チトセによく似た黒髪、黒い瞳。
そして表情がよく変わる小柄な少女。
様々な魔法具を使って自身の体内魔気を抑えているため、確かにその魔力は強く見えない。
だが、その小さな身体から僅かに滲み出ている魔力は、自分にとっては馴染みのあるものによく似ていて、近くにいるだけで居心地の良さを覚える。
これで、隠せているつもりなのだから、チトセはやはり魔力に対する感覚はそこまで鋭くないのだろう。
娘の方は、気付いているが指摘されても笑って否定するとは思うけれど。
だが、自分や情報国家の国王はともかく、他の人間はそこまで甘くない。
そして、城に仕えている者の中には、当然ながら、常人よりも感覚が鋭い者もいる。
以前のチトセのようにこの部屋の一部に張ってある結界内に隠して、寝起きをしてもらってはいるが、あの娘は母親であるチトセとは違って、魔力と言う目印がある。
複雑ではあるが、自分の魔力の質によく似てしまっているのだ。
そのために、王の娘と確信できなくても、王族の血を引いていることは分かってしまうだろう。
『それは……、相当だな』
それは何についての「相当」という評価なのかは分からない。
ただ、あの娘に対しての悪い評価ではないことは確かだった。
「ああ、彼女は『相当』なものだ」
思わず返す口調も弾んでしまうぐらいに。
あの娘は間違いなく、遠くない未来に王である自分よりも魔法力も高く、それに伴い魔力も強くなる。
さらに魔法の才もあるようだが、残念ながら、彼女自身が意識的にその才を封じ込めているような気がした。
だが、今はそれで良い。
中途半端な力は誰にとっても毒にしかならない。
その身に「聖痕」が現れる頃には、もう少し人間的にも成熟し、心も今よりずっと落ち着くことだろう。
彼女はまだ17歳。
焦ることはないのだ。
『……それほどならば、彼女は「蓋」の役目も果たせたことだろう』
「ああ、十分すぎるぐらいだ。これで、暫くはこの国も安定する」
どの国にも王族の役目は様々なものがある。
だが、どの国にも共通する務めがいくつかあるのだ。
その中の一つに、国内の「大気魔気」を暴走させないようにすること……というものが存在する。
情報国家の国王が言う「蓋」とは、国内に漂う「大気魔気」を人間たちが放出する「体内魔気」で抑え込むことを指していた。
勿論、「大気魔気」を完全に抑え込むことは、人間の身でできるはずはない。
だが、不安定な大気を巡る魔力を落ち着かせるぐらいはできるのだ。
そのために、それぞれ各国の城など主だった拠点となる建物は、その「大気魔気」の発生しやすい場所、もしくは、濃密な場所に建てられている。
だが、それは言い換えれば、濃度が高く、その量も多いため、その「大気魔気」が暴走しやすい場所ということでもある。
王族を含めて、魔力が強い者が多ければ、その身に纏う「体内魔気」の存在だけで、ある程度、国内の「大気魔気」は落ち着く。
だが、その数が少なければ、国内にいる魔力が強い者たちが魔法を使うなど、意識的に「大気魔気」を利用したり、自身の魔力を放出して、周囲の「大気魔気」を落ち着かせなければならない。
そのために、これまでは自分一人で、城の地下にある契約の間で、定期的に魔力を放出させていた。
城の兵たちが訓練に使うような魔法は基礎魔法が多く、その放出も微々たるもので、ないよりもマシ……というような気持ち程度の効果しか得られない。
それでも、能力主義に切り替えてからは、皆が認められようと、魔法を使い、鍛錬も行うようになったために、幾分、マシになったのである。
先代の頃はほぼ、王族の魔力のみで、「大気魔気」の暴走を抑えていたのだから。
そして、現在のセントポーリアは王族が少なく、他の王族は、魔力の放出は「疲労を伴うためにしたくない」などの理由から、必要以上に魔法を使うことはない。
自分を護る「体内魔気」の放出程度しかしていないのだ。
確かに「大気魔気」の暴走をさせないという役目を知らないためではあるが、知らせたところで、協力する者はいないことだろう。
『他の人間でもできるのに、何故、わざわざ自分だけが疲れることをしなければならないのか?』
少し前に、この国の王子が放った言葉が、その全てを表しているだろう。
それも仕方がないことでもある。
「大気魔気」の暴走の恐ろしさは、過去に書物で記された程度で、いざ、起こってみないと実感を得られるものではないのだ。
現代において、その実感ができるのは、恐らく、かの魔法国家が中心国として君臨していたフレイミアム大陸ぐらいだろう。
フレイミアム大陸は、魔法国家の痕跡が根こそぎ無くなってしまってから、大陸内の「大気魔気」のバランスが崩れたために、少しずつ、荒れてきていると聞いている。
中心国でもあった魔法国家アリッサムが消滅後、その「大気魔気」の元となるものまで消え去っていたのだが、それは逆に同じ大陸内にある国との「大気魔気」の流れも大きく乱れたことを意味していた。
しかし、そんな事態を、その大陸に住まう「大気魔気」の動きに敏感なはずの王族たちですら気付くまでに数年を要していたのだ。
だから、ゆっくりと「滅び」に向かっていることなど、「大気魔気」の存在に鈍感な人間たちに理解できるはずもない。
だが、気付いている以上、見捨てるという選択肢は自分になかった。
だから、ただ一人でも抗う道を選ぶ。
暇を見つけては、ここで「ストレス解消」と銘打って、魔法を使っていたのだ。
だから、自分で言うのも自慢みたいで嫌なのだが、ここ数代の王の中では最も、魔力が強くなったらしい。
ただ……、それも先代の言葉であり、全てを鵜呑みにする気はない。
実際、自分の半分も生きていないような少女に、魔力に関して圧されている部分もあるのだから。
だから、今回の彼女たちからの申し出は、自分にとっても助けになることだったので、万全の態勢をとった上で、受け入れることとなった。
自分は遠慮なく魔法を使える上に、それを防ぐ少女もかなりの魔力を持っている。
短期間という縛りはあるものの、互いに放出される「体内魔気」は相当の濃度で、かなりの量となるだろう。
しかも、同じ風属性で、同じ血が流れていれば、感応症の働きもあって、魔力は少し上がりやすくなる。
『もう一度確認するが、今後も彼女を傍に置く気は?』
「ない」
何度も念を押される言葉。
だから、反射のように言葉を返す。
「貴方にも、シェフィルレート王子にも、勿論、ダルエスラームにも、あの娘は渡せない」
そんな当然の結論を。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




