酒の席の話を
「兄貴は、『聖痕』や通信珠の話はどこまで知っていた?」
胸の激しい動悸を誤魔化すかのように、オレは確認する。
「『聖痕』、『王家の紋章』とまで言われるようなものを庶民の俺が知るはずもないだろう。本来は、秘匿すべき話だ。今回のことも、栞ちゃんの護衛という立場になければ聞かせていただけるはずもない」
確かに、庶民にこそ伝えられない話でもある。
聖痕を目印に、良からぬことを考える輩がいないとは言い切れないのだから。
「通信珠については、魔力を込めた人間の意識に繋がると聞いただけだ」
「誰に? 店員か?」
「いや、トルクスタンだ」
意外な人間の名が兄貴の口から出てきた。
いや、ある意味、意外ではないのか。
彼は機械国家カルセオラリアの第二王子だ。
一般的に知られていない事実を知っていたとしてもおかしくはない。
「しかし、そのために、微弱な魔力が絶えずその通信珠の周囲に発生し続けることまではヤツも知らないことなのかもしれん。それも、恋人以上の相手がいると錯覚されるほどとなると……」
兄貴がそう言いかけて……。
「確かに、胸元から本人以外の、それも他人の気配が僅かでもはっきりと残っていたら、大半の男は退くだろうな。普通の接触でそんな場所に魔力が残り続けることはあまりないから」
「悪い。意味が分からん」
「分かれば、発情期の心配などしなくて済むのだ。魔力を込めて所有権の主張である印付けに似た行為、お前にも分かりやすい言葉で言えば、意思を持って口付ける以外では、そんな場所に残り続けることは考えにくい」
だから、情報国家の王から、彼女には既に、鎖と似たものが繋がっている……と言われたのだと続けられた。
だが、オレはそれどころではない。
胸元に口付けとか、そういう風に言うのは本当に勘弁して欲しかった。
ますます動悸が激しくなる。
そんなオレの様子を無視して、兄貴は淡々と続ける。
「情報国家の王は『鎖で繋げ』と言ったが、他人のモノだと分かっていても、それでも手を出す阿呆はいる。だから、それだけで安心だとは言えんな。通信珠での『疑似印付け』は、保険みたいなものだと思っておけ」
「分かってるよ。一つ、『護り』が増えただけで、それで全て護れるとは思っていない」
そこまで楽観的にはなれない。
オレたちがいくら手を尽くして、頭を悩ませても、あの女の行動は、それらを全て無にしてしまうことも多々あるのだ。
「兄貴は、何か気付いたことは?」
オレたちの会話を黙ってずっと聞き続けた兄貴。
いろいろと突っ込みたい質問もあったことだろう。
「そうだな。いろいろあるが、お前が報告書を纏めた後で、もう少し情報の整理をしたいところだ」
そうぼんやりと言いながら……。
「酒の席の話をどこまで信頼するか……、だが」
ぽつりと付け加えた。
「そのことだけど……」
「ん?」
「情報国家の国王は一度だけ、嘘を吐いた」
「なんだと?」
オレの言葉に兄貴が眉を顰める。
「オレが気付いた限りだけどな。あれは……、王位継承権の話の時だったと思う」
できるだけ、ゆっくりと思い出す。
立場上、あまりオレは国王たちを凝視はできない。
だが、聞き逃せなかった言葉。
それに対して、顔を上げた瞬間だった。
情報国家の国王にオレだけしか気づかないような微かな変化があったのだ。
あの時――――。
『ミヤドリードか?』
そんなセントポーリア国王陛下の問いかけに対して。
『さあな』
情報国家の国王はそう答えた。
ただそれだけの話。
だが、それでも変化があったことは間違いない。
「つまり、ミヤドリードは、情報国家の王に情報を流していたということだな」
情報国家の人間ならば、それ自体はおかしなことでもないが……と兄貴は続ける。
「ミヤは、密偵だったってことか?」
「そうかもな」
セントポーリアとイースターカクタスは争っているわけではないのだけど、他国の中枢に関わるような話を、自国の王に伝えていた。
それだけでも、十分、「間者」、「間諜」と呼ばれるような行為に近いだろう。
「ただミヤドリードの立場がどうであっても、オレたちの師であることに変わりはない。そもそも、セントポーリア国王陛下も、ミヤドリードの素性を知った上で、城に入れていたのだから、多少の情報漏洩は覚悟の上だろう」
それが、まさか、自分の夫婦事情が絡んだことまで報告されていたとは思わなかっただろうなとは思う。
その辺りは少し気の毒だ。
だが、問題はそこではない。
「兄貴は、その、あの、セントポーリアの王子が、王の血を引いていない可能性があることを知っていたのか?」
「……知っていた」
オレの問いかけに対して、兄貴は少し迷いながらも返答する。
「それなら……、何故!?」
そのことを同じ護衛であるオレに伝えていないのか?
それなら、事情がかなり変わってくる。
セントポーリア国王陛下の血を引くのは、高田、ただ一人となるのだから。それが何らかの形で周囲が知ることになれば、今までのようにはいられない。
セントポーリアは純血主義だ。
それならば、セントポーリア国王陛下の意思がどうであっても、周囲の思惑によって、セントポーリアの王子が今の地位から引き摺り降ろされ、高田が祭り上げられる可能性は高いのだ。
少なくとも、その血の濃さから王位継承権第一位が入れ替わることは避けられない。
「お前が知ったところで、何ができる?」
「は?」
「今までとやることは何一つ、変わらない。俺たち兄弟は彼女を守るだけだ。セントポーリアの王子殿下が、セントポーリア国王陛下より譲位されるまでな」
「……は?」
兄貴は何を言っているのか?
「セントポーリア国王陛下は、このまま、ダルエスラーム王子殿下に国を譲る。その後のことは、ダルエスラーム王子殿下に任せるだけだ」
「それで良いのか?」
「陛下はそれで良いと思っている。あの方もそう言っていただろう?」
「確かに言っていたけど、『資質』の話もしていたぞ」
少なくとも、あの王子が国王になる資質があるとは思えないのだ。
情報国家の国王も似たようなことを言っていた。
他国の王族からもそう評価されるほど頼りない人間だということになる。
「譲位後に他国の人間に対して無様を晒せば、『国王ではないから』と許されていたことが、今までのように許されない。そんなことはクリサンセマムの国王陛下で分かるだろう?」
中心国の会合での駆け引きを思い出す。
確かにあれは……酷かった。
「今まで母息ともども甘えていたツケは、しっかりと払ってもらうだけの話だ。譲位後の責までセントポーリア国王陛下が負う必要はない」
「父親の責は?」
「そもそも、父親ですらないからな。自分の血を引かぬ人間を息子として傍に置くだけでも寛大な措置だと思うぞ」
それは確かにそうかもしれないけど……。
「そんな形で放り出された国はどうなる?」
「見るに耐えない状態になれば、ダルエスラーム王子殿下とその生母に処罰を与えたのち、新たな人間を立てるさ。国には王だけではなく、他の王族もまだいる。努力もしない王がそのまま居座れるほど甘い座ではない。過去にも処罰を受け、国を追われた王もいる」
「だが、それは一時的に国が荒れることになるんじゃねえのか?」
「既に、セントポーリア国王陛下は手を打っている。ああ、その前にダルエスラーム王子殿下が王位を剥奪されれば、そんな策も使う必要もない話となるのだがな」
確かに王の資質が高くない人間が後を継ぐ可能性があると分かっていて、何も手を打たないはずもないか。
「そのためにはダルエスラーム王子殿下には最短で国を継いでほしいものだ」
「なんでだ?」
「それならば、栞ちゃんが巻き込まれなくて済む。俺はセントポーリアという国にそこまで愛着もない」
「それは……、確かに……」
確かに生まれた国ではある。
育った国でもある。
親と師が眠る国でもある。
だが、好きかと問われたら、そこまでの関心すら持っていない。
「確かに、高田さえ巻き込まなければ、どうでも良いな」
それでも……、彼女が真実を知ってしまったら、動揺はするだろう。
彼女は呆れるほどお人好しなのだから。
だから、オレたち兄弟は隠す。
彼女を犠牲にしないために……。
「ところで……、体調はどうだ?」
「最悪だな」
話題を変えようとしたオレの問いかけに、兄貴は涼しい顔で答える。
「どうも拳と背中の痛みが抜けん。思い込みとは面倒なものだな」
本当に痛みがある人間とは思えないほど、淡々と言うが、額の汗と魔気の乱れは誤魔化しきれていない。
「眠れているか?」
「ここに運ばれた時よりはマシだな。だが、暗くなれば、この痛みは増す」
元々、睡眠時間は長くとらない人間だが、それでも全く眠れていないのは堪えるらしい。
「お前の方も、あまり良くはないようだな」
どうやら、オレの状態も読まれているらしい。
「ああ、だから、明日から暫く離れる」
「そうか」
兄貴はそれだけで理解してくれた。
そして、オレたちは、高田が目覚めるまでの時間、今後のことについて話を続けたのだった。
この話で45章は終わりです。
次話から第46章「祭りの後始末」となります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




