酒盛りの後で
「なかなか取り留めのない話になったようだな」
兄貴は厭味ったらしく深い溜息を吐く。
だけど、アレはオレだけのせいではない。
寧ろ、あの場のオレは巻き込まれただけの人間だった。
「酒が入った席だったからな」
しかも、セントポーリア国王陛下は途中で潰れてしまった。
オレは立場上、あまり飲まなかったけれど、三人して次々と強い酒を飲んでいたのでそこは仕方がないだろう。
いや、情報国家の国王もかなり強かったけれど、千歳さんが飲んだ量は明らかにおかしいと思う。
一体、いくつ空になった酒瓶が床に並んだことか。
あの血が高田にも流れていると思うと、少しだけゾッとしたのはオレだけの心にそっとしまっておこう。
「ああ、これ……」
オレは、小麦色の液体が入った角瓶を取り出す。
「なんだ?」
突然、酒瓶が登場したことにより、兄貴が明らかに怪訝な顔になった。
「兄貴に。情報国家の国王から」
「いらん」
「賄賂だと」
「猶更、いらん」
兄貴は顔を歪めながらも拒絶する。
そんなものを贈られたことが不快だと言うよりも、身体が痛みで軋んでいるのだろう。
いつ、治るのだろうな? この状況。
そして、これを兄貴が受け取らないことは分かっていた。
情報国家の国王嫌いは相当なものである。
だが、この世界で生きていて、情報国家に好意的な人間はそう多くもない。
水尾さんもあまり好きではないようだった。
オレとしては……、何度か話したせいか、嫌いではないのだけどな。
会うたび、面倒だとは思うけど。
「じゃあ、こっちの酒は?」
オレは、別の透明な液体が入った小瓶を取り出す。
「今度はなんだ?」
さらに眉を顰め、眉間に縦皺を刻む兄貴。
「千歳さんから兄貴への『袖の下』らしい」
「……ありがたく頂戴する」
分かりやすく表情が緩んだ。
それは、酒のせいか、贈り主のせいか分からないが、我が兄貴ながら、現金だと思う。
因みにその中身はアルコール度数40パーセントを越える蒸留酒らしい。
「ところで、兄貴は知っていたのか?」
オレは、わざと主題をぼかして確認する。
「どの話についてだ? あそこまで話題が行ったり来たりしていたのだ。知っていることも知らないこともあったとしか言えん」
なるほど……。
全てが兄貴の手の内にあったわけではないようだ。
そのことだけでもホッとする。
少し前に大聖堂の地下で行われた中心国の王たちによる極秘会談……、という建前の酒盛りに、オレはほぼ強制的に参加させられた。
確かにその内容については、オレや兄貴は高田の護衛として、知っておくべきこと、覚悟しておくべきことを数多く伝えられたのだと思う。
だが、それは酒の席での話。
話題は常にあちこちに飛び、どこまで信じて良いのかは疑問に残る部分はあった。
それに……、最終的には、セントポーリア国王陛下だけではなく、情報国家の国王も突っ伏したことによってお開きとなったわけで、酔っ払いたちの戯言だったと言ってしまえば、それまでである。
しかし、オレは、この短い人生の中で何度、王様を背負うことになるのだろうか?
それでも、2人が先に潰れてくれたおかげで、千歳さんにちょっとした頼み事もできたわけだけど。
「まずは、セントポーリア国王陛下が持つ神剣『ドラオウス』についてだな。鞘の仕掛けについて、兄貴は知っていたのか?」
先に報告した時は、時間もなくそこまでの確認はしなかった。
「知っていた」
隠すこともなくあっさりと口にする。
「それを、高田に伝えなかったのは?」
「千歳さまと同じ理由だな。まさか、陛下が、栞ちゃんの前でそれを持ち出す事態があるとは思わなかった。さらに……、それを彼女が手にすることがあるなんて……、誰が予測できると思うか? 俺は未来を読める占術師ではないのだぞ?」
言われてみれば、あれはほとんど事故に近かった。
そして、それを引き起こした一因でもあるオレが言うなと言う話である。
「俺が知る限り、陛下がアレを持ち出したのはただ一度だ。誇れ」
兄貴にしては意外なことを言う。
「その時は、鞘から抜き出したと聞いている。俺もその刀身を拝んだことはないが、目撃した人間たちは口を揃えて、『視えなかった』と言っていたな」
オレは手元であの神剣「ドラオウス」を召喚され、一気に薙ぎ払われた時のことを思い出す。
あの時のセントポーリア国王陛下の剣筋を視ることができたかと問われたら……、視えなくはなかったと答えるだろう。
ただ……、回避することはできなかっただけだ。
光より早く反応し、動くことなど、心構えなどの前準備もなくできることではない。
さらにその後に、高田に助けられるなんて……、護衛としても、男としても格好悪すぎたのだが。
「それを見ることができて、羨ましい。しかも、彼女が引き抜く姿……、とはな」
兄貴はポツリと呟いた。
「そうか? それを使って救われたことがある方が、オレは羨ましいが」
オレが神剣を知っていたのはそれが理由だ。
幼い頃、兄貴はそれによってセントポーリア国王陛下から命を救われたことがある。
今より、かなり口が軽かった兄貴は、興奮してオレに報告してくれたのだ。
だが、当時のオレは、その神剣を振るった国王陛下の話よりも……。
「『翼が生えた大蛇』の体内について、詳しくなりたいか?」
兄貴がそんな神獣に近い存在に呑みこまれ、死にかけたことの方がショックは大きかったのだが。
しかも、その後、その大蛇は始め、兄貴を狙ったものではなかったことも、偶然知ることになるが、それは余談だな。
「謹んで、ご辞退させてくれ」
オレは素直にそう言った。
どんな変態だ?
「古代魔法については?」
「ああ、それも知っていた。だが、それについては気付いていないお前がおかしい。魔法の根源となるものが違うのに、何故、気付かなかった?」
「古代魔法は貴重で稀少で奇妙だと誰かさんが言っていたからな。魔界にいた頃に教えられた魔法のほとんどが古代魔法だったなんて誰が思うかよ」
そこはオレのせいじゃない、と言いたい。
「その後、現代魔法を知った男は何故、気付かない?」
「うっ!!」
確かにそうなのだけど。
そして、人間界で使うのは現代魔法より古代魔法の方が分かりやすく使い勝手も良かったのだけど!
「確かに教えていなかった師に問題がないとは言わん。俺も、教えられていた頃は知らなかったからな。だが、自分で学ぶようになって気付かないのは愚の骨頂だろう」
自分で学ぶようになったのはごく最近のことだ。
人間界にいた頃は、兄貴が教えていたわけなので、この場合、「教えていなかった師」は兄貴も含むのではないかと言いたかったが、下手なことを口にすれば倍に返ってくることを知っているので、それ以上については黙ることにした。
「それに、俺は、お前が契約した古代魔法については一部を除いてほとんど知らん。その数も、種類も。知らないものに責任を問うな」
確かに、オレも兄貴の契約した魔法について、全てを知るわけでもない。
ほとんどが、ミヤドリードの立ち合いによるものだった。
互いに契約できた魔法を知らないのだから、あまり深く突っ込んでも仕方ないだろう。
実際、兄貴がオレの知らない魔法を使っているのは何度か見ているのだ。
それが現代魔法か、古代魔法かまでは分からないのだけど。
「文句はミヤに言え」
「そんなことをしたら、後が怖えよ」
彼女なら、夢枕に立つぐらいはしそうだ。
―――― だけど、それでも良いから……。
そう思った時、全身が心臓になったかのように激しく震えた。
その事実に思わず、ゾッとする。
「どうした?」
明らかに様子が変化したのか、兄貴がオレに確認する。
「なんでもない」
そう言うのが、今のオレには精いっぱいだった。
もう少しだけ、せめて、しっかりと伝えるまでは、落ち着いてくれと願いながら。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




