それ以外は必要ない
―――― 世界に歪みが生まれている
情報国家の国王のその言葉は、妙に耳に残った。
そして、同時に何故か迷いの森での出来事を思い出す。
高田が、一時的に昔の記憶を思い出した時、その近くにいた紅い髪の男の腕から……。
「九十九くん?」
千歳さんの言葉で、オレの思考が現実に引き戻される。
「疲れた?」
「大丈夫です、千歳さま」
オレは笑って答える。
「これぐらいで疲れていては、高田の護衛などできませんから」
そう続けると、千歳さんは……。
「貴方たち兄弟に苦労をかけてごめんなさいね」
そう申し訳なさそうに言ってくれた。
「ところで、ハルグブン。お前自身はどうするつもりだ? 少なくとも、シオリ嬢はダルエスラーム坊より濃い『聖痕』が浮かび上がりそうだが?」
「どうする……とは?」
その質問の意図が分からないはずがないが、セントポーリア国王陛下は、情報国家の国王に不思議そうな顔を向ける。
「王位継承権の話だな」
その情報国家の国王の遠慮のない言葉に、オレを見ていた千歳さんの身体が僅かに揺れた。
「周囲よりダルエスラームに『王の資質無し』と判断されない限りは、このままだ」
だが、セントポーリア国王陛下は何事もないかのように答える。
「それ、既に……手遅れじゃないか?」
情報国家の国王は顔を顰めた。
それは、暗にセントポーリアの王子は「王の資質無し」と言っている気がするのはオレの気のせいか?
「いや、それ以前の話で……。そもそも、セントポーリアでは、王族の血が薄いことは問題にならないのか? 純血主義だろう?」
確かにそうだった。
だから、ヤツらは高田を追いかける。
「継承の儀をすれば、『聖痕』は輝くようになるよ。魔力についてはどうにもならないけどね。それに……、以前、たった一人しかいない直系王族がいなくなった後も、国としては存続している。だから、何も問題はない」
「何千年昔の話を持ち出す気だ?」
「何千年昔の話であっても、『前例』がある以上、慣例重視の我が国は、無視できないんだよ、グリス王。そんなことは貴方もご存じだろう?」
セントポーリア国王陛下はグラスを揺らしながら、不敵に笑った。
氷が入った藍色の液体も、それに合わせてゆらゆらと揺れる。
「チトセにも再三、言っていることだ。あの娘には背負わせない」
「それならば……、あの手配書を止めさせろ。シオリ嬢が気の毒だ」
情報国家の国王は、あの手配書を気にしてくれているようだ。
少し、意外に思える。
どうして、出会って少ししか経っていない少女のために、この方がそこまで心を砕くのだろうか?
「あんな手配書で、あの娘が見つかると?」
「……見つからないな。特徴が黒い瞳、黒い髪。体内魔気は極めて弱い。そんな市民はいくらでもいるし、魔名ではない名前ぐらい、どうにでも誤魔化せる」
「ダルエスラームも、トリアも、あの娘の魔名は知らないからね。無論、伝える気などないけれど」
嫌な話題になってきた。
できればこのまま、知らないふりをしていたいが、この情報国家の国王がそれを許すとは思えない。
「ツクモは、シオリ嬢の魔名を知っているか?」
やはり、こちらに話を振られた。
「母親である千歳さまからも、我が国の国王陛下からも、彼女の魔名については、一度も伺ったことはありません」
オレは正直に答える。
これについては本当のことだった。
ミヤドリードからも聞いたことはない。
兄貴も、知っているかどうか……。
「お前たち、護衛にも言ってないのか?」
情報国家の国王は、まるで助けを呼ぶかのようにセントポーリア国王陛下と千歳さんに確認するが……。
「俺からは、彼らには伝えてない」
「私は、栞は『栞』としか認めていないから、魔名については特に気にしなかったわね」
援護はなかった。
「……お前ら」
どこか呆れたような情報国家の国王。
「ツクモ……、お前はそれで良いのか?」
「シオリ様の魔名を知らないことで、自分に不都合はないので、全く問題はありません」
オレの中で、いつでも、どこに行っても、彼女は「高田栞」だ。
だから、それ以外の名前なんか必要ない。
「魔名を必要とした古代魔法の契約だってあるんだぞ?」
何故か、情報国家の国王はオレに食い下がる。
「一般人には古代魔法書自体、無縁ですよ?」
古代魔法書は、簡単に市場に出回る物でもないし、運良く何かの間違いで手に入れた所で、解読もできない。
契約方法も特殊なものが多いと聞いているので、結局のところ、魔名を使う機会などないと思う。
不意に、魔法国家の王女殿下たちの姿が頭をよぎった。
彼女たちの知識の中に、オレたちが知らないものが隠れている可能性は否定できない。
だが……、今は必要ないことだ。
高田がまだ、思うように魔法を使えないのだから。
「勿体ない」
「そう言われましても……」
当事者ならともかく、オレがどうにかできるような話でもない。
それに……。
「今の栞が知らないことを、勝手に、九十九くんに教えることはできないわ」
千歳さんがそう言い切った。
「そうだな。だから、グリス王もこの件に関しては何も言わないで欲しい」
セントポーリア国王陛下も同意する。
「チッ。お堅い奴らめ」
情報国家の国王が舌打ちをするが……、それを見たセントポーリア国王陛下が薄く笑う。
「彼らも知らない方が幸せなこともあるのだ」
……そうですよね。
本当に知らない方が幸せだと思う。
魔名は……、時として、とんでもないものを隠しているのだから。
「ここまでいろいろと話を聞かせた後で、言う台詞かよ」
情報国家の国王はそう言いながら、もう何杯目かも分からない酒をあおる。
「あら、栞が神剣『ドラオウス』を抜いてしまった時点で、護衛の二人にはある程度、話しておかなければいけないでしょう? 継承権の話も、『聖痕』についても、それ以外についても、今まで以上に考えてもらわないといけないわ。勿論、栞自身も考えることだけどね」
千歳さんはそう言う。
確かに、今まで知らなかったことばかりだ。
オレも頭を切り替える必要はあった。
「継承権が変わらないのなら、シオリ嬢の婚姻は自由ってことか?」
情報国家の国王は、酒の席で爆弾を投げ込む。
「自由などない」
だが、セントポーリア国王陛下はきっぱりと言い切る。
「あら?」
「お前……、まさか、また……」
「俺が認めぬ限り、誰にもあの娘はやらん! ダルエスラームにも、シェフィルレート王子にも、ユーヤにも、そこにいるツクモにも!」
いやいや?
王子たちはともかく、そこにオレたち兄弟を持ってこないでください。
「シオリ嬢には、カルセオラリアの第二王子であるトルクスタン坊が求婚したらしいぞ」
お待ちください、情報国家の王。
どこで、その情報を得たのでしょうか?
そして、やはり「坊」がつくのですね。
「やはり、旅に出さない方が……」
セントポーリア国王陛下は俯き、何やら言い始める。
「あらあら? セントポーリア国王陛下は少しばかり、飲み過ぎているようね」
千歳さんが笑いながら自分の頬に手を当てている。
「みたいだな。言動が幼くなってきたとは思っていたのだが……」
確かにオレが見る限り、カパカパと強めの酒ばかり飲んでいらっしゃった。
王族が酒に強くても、限度はある。
「因みに母親であるチトセの意見は?」
「栞の結婚? まだ早いわよ~」
人間界の感覚で言えば、それは普通だと思う。
「早くない。先ほど言っただろ? カルセオラリアのトルクスタン王子より求婚の申し出があったと。つまり、おかしくはない年代だ。それに……あの娘は王族にとって魅力がありすぎる。早く鎖を繋いでおけ」
「そうは言われてもね~。あの娘をなんとかできそうなのは、九十九くんか、雄也くんぐらいしか心当たりもないわ」
なんてことを言うんですか!? 千歳さん。
この場に高田がいなくて本当に良かったと思う。
心底思う。
本当にそう思う。
「……良かったな、ツクモ」
「良くはないですよ」
揶揄うような情報国家の国王の言葉に、オレは正直、げんなりした。
「ほう、ツクモはシオリ嬢のことを嫌いか?」
「嫌いではないですよ。立場上、そんな対象として見ていないだけです」
「……コイツも真面目だったな」
ほっとけ。
だが、情報国家の国王は放ってはくれないようだ。
オレに対して、真面目な顔でこう言った。
「じゃあ、形だけで良い。シオリ嬢に鎖を繋いでおけ。他国のバカが良からぬことを考える前に」
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