戦いの場
―――― 今から、オレは戦場に行く。
そんな気分だった。
頼れる者はいないし、いつもと違って、護るべき人間は離れた場所にいる。
正直、勘弁してほしい。
オレは兄貴と違って、弁が立つわけでもなく、リヒトのような特殊能力もなく、水尾さんほど高い身分もなく、高田ほど不思議な発想もない本当に普通の凡人なのだ。
それが、何の因果で、中心国の国王という雲の上の身分にあるような人間から、それも2人から尋問される立場になるのだろうか?
手の中には小さな珠。
それと……、胸に一枚の紙を忍ばせて……、オレは再び、大聖堂の地下の扉を開けた。
「遅かったな、ツクモ。こちらは、既に始めてるぞ」
そう声を掛けてきたのは、情報国家の国王だった。
その手にはブランデーグラス。
そして、その中には、薄い琥珀色の液体が揺れている。
「お待たせいたしました」
オレは一礼をする。
「あ~、相変わらず固いな。酒の前では皆、変わらん。多少の無礼は多めに見るぞ」
やはり、その手にしているのは酒らしい。
近くにある瓶は、見たことないものだが……、多分、高級なものだろう。
既に、一本、空いているのは気のせいではないようだ。
「人間、誰もが貴方ほど気楽ではないのだ、グリス王」
そう言うセントポーリア国王陛下もロックグラスを片手に、淡いオレンジ色の液体に氷を浮かべていた。
「まあ、親世代を前に緊張するなっていう方が無理よね」
……なんで、この場所に貴女がいるのでしょう? 千歳さん。
そして、そのピルスナーは通常より大きめサイズの気がしますが、特注品ですか?
そのサイズなら、わざわざそんな足をつけたグラスではなく、素直にジョッキにした方が良いと思います。
「あらあら? 私がいて驚かせちゃったかしら?」
「いや、お前のグラスサイズに突っ込みたいのだと思うぞ。どこで、作ったんだ? それ」
「え? これは、大神官様がくださったのだけど? 『お酒を嗜まれると伺いまして』と。面白い大きさよね」
クスクスと笑いながら千歳さんは言った。
「アイツか!?」
それを聞いた情報国家の王がそう叫びたくなったのも無理はない。
オレも同感だった。
あの大神官様って、基本は凄く真面目な方なんだけど、時々、かなりぶっ飛んだことするよな。
まあ、そうじゃなければ、あの若宮の相手は務まらないだろうけど。
「九十九くん、一人じゃ、この人たちの相手は難しいでしょう? だから、セントポーリア国王陛下が気を利かせて、私を呼んでくれたの。元々、私が蒔いた種でもあるからね」
「種を蒔いたのは、お前じゃなくてハルグ……」
情報国家の王が何かを言いかけたが、それを言い終わることはなかった。
千歳様が、無詠唱で情報国家の国王に何かをぶちかましたからだ。
それは、あまりにも動作が早すぎて、全く視えなかった。
今のが、何の魔法であるかもオレには分からなかったのだ。
「お前、いきなり魔法をぶっ放す癖をそろそろ直せよ」
だが、情報国家の国王はそれに動じもせずに言った。
「私の生まれた国では『無くて七癖』と言う言葉があってね。どんな人間でも、多少の癖はあるものよ」
「多少と多々は似て非なるものだ」
さらに不思議と続く会話。
さらにそれを見て止めもしないセントポーリア国王陛下。
どちらかと言えば微笑ましく見守っているような気もする。
―――― オレにはない余裕だよな。
自分の好きな女が、他の男と話している姿なんかあまり見たいものではない。それも自分の目の前で。
会話の内容が問題なのではない。
ただ二人が向き合って話をしているという事実だけでも嫌なものなのだ。
不意に……、何かを思い出しかけて首を振る。
そんなことを今、思い出しても仕方はないのに。
「さて、チトセとイチャつくのもこれぐらいにするか。神剣を携えた魔王を降臨させるのは俺でも分が悪い」
「私は貴方とイチャついた覚えなど一切ないのだけど?」
千歳さんは手を頬に当て、微笑みながら返す。
だが、その背後に「セントポーリア国王陛下の前で適当なこと言うなよ」と副音声が聞こえた気がするのは気のせいか?
「千歳さまは、どこまで事情を聞かれましたか?」
先にオレはコレを確認しておく必要がある。
「栞がうっかり、セントポーリア国王陛下の愛剣を抜いちゃったってことぐらいかしら?」
「愛剣を抜いたって、なかなか卑猥な表現だな」
「そう言った卑猥な言葉は、貴方の頭の中だけに留めてくれない? ここには純な青少年もいるのだから」
オレが純かどうかは置いておいて、情報国家の国王の品のない言葉にも、千歳さんはさらりと笑顔で躱す。
高田の母親だけど、こんな所は似ていない。
いや、待て?
高田は意味も分からず、きょとんとしたまま、オレに直球でその言葉の意味を確認しかねない。
彼女がこの場にいなくて良かったと心底思った。
だが、千歳さんは神剣「ドラオウス」の機能まで知らないと言うことだろうか?
それなら、下手なことは言えないが……。
「まさか、その剣の鞘に、専用の鍵が付いていたなんて誰も知らないわよね~」
……知っていたようだ。
「つまり、チトセは知っていたのか?」
「自国の宝剣について知らないのは、仮にも国王陛下の秘書という立場にある人間としては恥じゃない?」
「それならば、シオリ嬢に伝えておけば良かったのに……」
「言う必要はないと思っていたのよ。仮にも国宝。滅多なことでは取り出すことすらしないはずの存在を、ほいほいっと渡すなんて思わないじゃない?」
チロリと千歳さんはセントポーリア国王陛下の方を見る。
「あ~、つまりツクモのせいか」
とんでもないことを言いだしたのは情報国家の王だった。
「九十九くんの?」
千歳さんがオレを見る。
「古代魔法でも使っちゃった?」
頬に手を当てて、とんでもないことを口にする高田の母君。
「…………やはり、お前が黒幕か」
「あらやだ。失礼ね。一般人が古代魔法書なんて持っていると思う?」
それでも、そう言っているその方自身が、稀代の古代魔法の使い手である以上、あまり説得力はない。
「黒幕は情報国家の王族に決まっているでしょう? 私は頂いた『書』と『知識』を、娘やそのお友達に提供しただけよ?」
何でもないことのようにけろりと言う黒髪の女性の言葉に、情報国家の国王は一瞬、目を見張って頭を押さえた。
「人類の叡智をこうもあっさり他人にくれてやるとは……。しかも、その当時、こいつら幾つだよ?」
自分たちでも知らないうちに、オレや兄貴、高田は古代魔法を見に付けさせられていたらしい。
でも、それがどれかは分からない。
通信珠で話を聞いているはずの兄貴も……、知らないかもしれない。
「栞は2歳ぐらいだったわね。文字や魔法に興味を示し始めた頃だったかしら。九十九くんや雄也くんは、出会った歳にはミヤドリードが教え込んでいたけど……、いけないことだった?」
そう言う問題ではないが、こんなところは高田に似ている。
この世界に馴染みが薄いためか、彼女たちは、ある意味、知識も情報も出し惜しみはしないのだ。
「いや、お前が得た知識を誰に渡そうが問題はない。ただ……、勿体ねえ」
「俺は教えてもらっていないのだが?」
どこか不満そうなセントポーリア国王陛下。
「セントポーリア国王陛下に対して、私やミヤドリードが教える立場になかったもの。それに、ご自分でも、国に伝わっている魔法書があるでしょう?」
「古代魔法書を簡単に解読できると思うか? ああ、ミヤドリードならできたかもしれんな」
「ええ、ミヤならできたわ。彼女は神語まで読める子だったから」
あのミヤを「子」扱い。
オレたちは、一生、この人にも勝てる気はしない。
「そうか……。ミヤドリードはいつの間にか神語まで読めるようになっていたのか」
情報国家の国王はどこかしんみりとした声で言った。
「なっていたわ。私に各大陸言語を教えてくれたのもミヤだったから」
「……ダーミタージュ大陸言語なんて、どこで覚えたんだろうな、アイツ……」
そう言う情報国家の国王は、何故か、知っている誰かの顔に重なって見えたのだった。
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