舞い散る桜のように
夜、ワカから電話があった。
出かける約束をしていたというわけでもなく、卒業したので学校で出された宿題の確認も必要ない。
それ以外の用件で、彼女が我が家に電話してくるのは割と珍しい気がする。
『今日は悪かったね』
わたしが電話に出ると、ワカはそんなことを口にした。
「何が?」
『私が不機嫌だったのが分からないほど、高田とは短い付き合いだとは思ってないけど』
どうやら、彼女はそのことを気にしていたらしい。
わたしとしては、ワカが不機嫌なことはそんなに珍しくもないのでそこまで気にはしていなかった。
「いや、わたしも待たせちゃったし」
あまり長い時間ではなかったはずだけれど、彼女を待たせたことには変わりはない。
しかもその理由が、彼女持ちとは言っても、同じ中学校でモテモテだった男子生徒に呼び出されたことが始まりだった。
さらに、その後、別の美形な男子高校生とともに待ち合わせ場所に現れるとか、普通の女子なら怒り狂ってもおかしくない気がする。
『それが理由じゃない。それに、そんなに待ってないから、それについては、何の問題もないの。笹さんのお兄さんには申し訳ない態度だったかもしれないけどね』
「雄也先輩は気にしてなかったみたいだけど」
あの時の雄也先輩は特に何も言っていなかった。
『大人は気付かせないものなの。普通は初対面も同然な相手からあからさまなマイナスオーラ大爆発なら、どんな人でも心穏やかな心中ではいられないと言うものよ』
確かにそれはそうかもしれないけれど、雄也先輩にとってはその前に起きたことと比べれば、些細なことだと思ったのだと思う。
わたしが魔界人に絡まれ、さらにはその周囲の人たちから忠告のようなものをされている。
わたしにとっても、傍にいた雄也先輩にとっても、そちらの方が大きな問題で、その後のワカの反応なんて可愛いものだったことだろう。
尤も、そんなこと……、ワカには言えないのだけれど。
『まあ、高田には謝罪はしたからね。悪いけど、笹さんのお兄さんにも伝えてくれる?』
「分かった」
雄也先輩自身は気にしていなくても、ワカにとっては重要なことだったらしい。
それなら、ちゃんと伝えておかなければいけないことなのだろう。
『それで……、本題なんだけど……』
そこで、ワカの声が少し途切れ、やたら深い溜息の後、こう告げた。
『高田、笹さんも誘って、温泉旅行に行く気はない? 宿泊料タダ、サービス料込み。つまり、交通費のみの格安旅行』
「は?」
突然のワカからの申し出にわたしの目は点になった……と思う。
温泉旅行?
今の時期に?
わたしは旅行なんてしないから詳しくはないのだけど、もう春休みなのに予約無しでそんなに簡単に行けるような所ってあるのだろうか?
『卒業旅行なら高田の母君も許してくれるんじゃない?』
「それは……、聞いてみないと……」
今となっては、わたしの保護者は母だけではなかった。
他には、九十九や雄也先輩の許可も必要に……って。
「なんで、そこで九十九の名前が出てくるの?」
今、「笹さんも誘って」という言葉が入っていた気がする。
『いや、高田の彼氏だし?』
「いやいや、なんで温泉旅行に彼氏がいるのさ?」
『しかも泊りがけだから!』
「だから、何故?」
『私は温泉旅行には行きたいのよ。分かる?』
「それは理解した」
そうじゃなければこんな強引なお誘いはしないだろう。
でも、わたしだけならともかく、九十九も一緒にというのが分からない。
こちらとしては説得材料が増えるので助かるけど、付き合って間もない男女が泊りがけで温泉旅行に誘うってちょっと感覚として普通じゃないような気がするのだ。
いや、九十九なら大丈夫だと分かっているけど。
『「ヤツ」とは行きたくない。でも、宿泊料がタダなのは魅力的!』
「……はい?」
なんか、気になる単語が出てきた気がする。
『だから、高田を! そして、「ヤツ」のハーレム化阻止のために、男手が必要!』
「いや、その場合『男手』って言わないから」
『そんなわけで、高田の同伴に笹さんってわけ』
……無茶苦茶な話だ。
まあ、会話の流れや、ワカが今日、不機嫌モードになっていたことから考えると結論としては、かなり分かりやすいのだけど……。
「つまり、来島から誘われたわけだね?」
『その名を口にするな』
わたしは昼間会った時に何も言われなかったから、来島は単にワカだけを誘いたかっただけな気もする。
付き合ってもいないのに泊りがけの旅行に誘う辺り、やはり彼は油断ならないなあ、と思ってしまう。
それに、考え方によっては、わたしも九十九もお邪魔になっちゃうんじゃないのかな?
それでも、ワカとしては温泉に行きたいらしい。
それが、大っ嫌いな相手と一緒だとしても。
その辺の感覚もよく分からない。
わたしなら、名前も聞きたくないような相手からのお誘いは断りたい。
そこまでの相手はいないから、想像でしかないのだけど。
そう考えると……、ワカはそこまで来島のことが嫌いではないのではないだろうか?
「聞いてはみるけど、期待はしないでね。わたし、外泊の申請したこともないから」
基本的に友人宅であっても外泊は駄目だと母には言われている。
相手方に迷惑をかけるというのもあるけれど、それ以外にもいろいろと理由があるらしい。
『ついでに笹さんにもお伺いを立てといてね。私、連絡先知らないけど、高田なら知ってるでしょ?』
「はいはい、そっちについても期待しないでね」
『高田が駄目でも笹さんがおっけーなら問題ないけど、彼女を差し置くなんて流石に申し訳ないからね』
それはそれで、問題しかない発言のような気がする。
「どちらにしても期待しないでね」
『もう! さっきから「期待するな」ばっかり。ちょっとぐらい期待を持たせてよ。卒業旅行だよ? 高校合格祝いだよ? 理由なんていくらでも付けられるじゃない』
「……まあ、聞いてみる。それじゃあ……」
まだ何か言いたそうだったワカの言葉もそこそこに、わたしは指でフックを押して電話を切った。
彼女が話したいこと、用件自体は終わったみたいだから問題ないだろう。
まだ言い足りないことがあれば、もう一回、かけ直してくるだろうし。
「お別れ旅行としてなら、行かせてもらえるかな?」
わたしは受話器をそっと置きながら、そう呟いた。
もし、わたしがその温泉旅行に行くことができるのならば、どんな形で会っても、九十九は付いてくることになるだろう。
だから、ワカが「九十九と一緒に」と言ってくれたことは、ある意味わたしたちにとって都合が良い。
流石に、温泉旅行に姿を消して付いてこられるというのは大変、困るのだ。
い、いや、九十九がそんな人じゃないって信じているけれど、時々、彼が魔界人のせいか、わたしを護るというお仕事のために、変わった言動をすることがあるから。
ここで問題となるのは、その危険性だった。
誕生日のようなことや、卒業式のようなことが絶対にないとは言い切れない。
九十九が一緒なら大丈夫だとは思うけれど、それでも油断はできないのだ。
卒業式……。
結局、わたしには誰も護ることが出来なかった。
あの時、魔界人である九十九があの場に現れてくれなければ、多くの人を傷つけてしまったことだろう。
それが自分のせいではなくあの紅い髪の人のせいだと言われても、その場で立っていたのは自分だけだったのだ。
簡単に割り切れるようなら、こんなに悩まない。
だから、わたしはこの世界とお別れするって決めた。
わたしには誰も、何も護ることができないから、ここから離れることにしたのだ。
このままここにいて、大事な友人たちを危険から護りたいとかそんなかっこいいことなんて言うつもりはない。
そんなことができるはずもないし。
だから、知らないまま、気付かないままに、誰も傷つけることのないように、友人にも別れを言わないで魔界へ行こうと決めた。
そんなことぐらいしか、今のわたしにできることはないのだ。
そして、そのことで誰かに何かを言われたとしても、そこは仕方がない。
親しい人たちに対しても、別れの言葉もなしに去るなんて、ちょっと礼儀知らずといえる行動なのだ。
それでも、大事な友人たちに、わたしの事情に巻き込んだ上、傷つけ恨まれたり憎まれたりするよりはいくらかマシだと思う。
いつかどこかの夢で見た
舞い散る桜のように
潔く静かに去って行こうって。
わたしは、そう心に決めたのだった。
第4章はここで終わりです。
次話から第5章となります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




