何も知らなければ……
「やあ、シオリ嬢」
大聖堂の地下にて、わたしはキラキラと眩しい満面の笑みを浮かべている殿方から今日も声を掛けられた。
「やはり、お暇なのでしょうか? イースターカクタス国王陛下」
「国には帰っているから、問題はないぞ」
会合も終わり、カルセオラリア国王陛下、ローダンセ国王陛下、クリサンセマム国王は帰国した。
意外にもセントポーリア国王陛下はまだ残るらしい。
母の話では、帰っても仕事しかしないから、側近の方たちと話し合って、会合が早く終わっても、その後、暫く国を空けるように日程調整をしていたらしい。
お仕事大好きな王さま。
国民にとっては悪いことではないだろう。
倒れなければ。
そして、このイースターカクタス国王陛下は、転移門を使わず、大聖堂の聖運門で出入りして、暇を見つけてはこの国へ来ているらしい。
よく恭哉兄ちゃんが許可したなと思えば……、先々代の大神官さま、つまり恭哉兄ちゃんのお養父さんが、「聖運門」使用許可証なるものを渡していたらしい。
使用許可は代替わりをしても、余程のことがない限り取り消しはないそうだ。
ちゃんと許可をとっている辺り、思ったより正攻法を使う人なんだなとある意味、感心してしまう。
そんなわけで、三日連続でこの地下の大聖堂で逢瀬のような状態になっている。
いや、自室として使用している場所を教えるわけにもいかないので、ここで待ち構えているだけなのだが。
流石に部屋に訪問はあらゆる意味で避けたかった。
わたしに平穏と安眠をください。
そんなわけで、水尾先輩と真央先輩はあまり身動きができない。
この国王陛下なら、無理強いはしないと思うが、魔法国家の王族保護の名のもとに、彼女たちを囲う可能性は否定できない。
リヒトは……、単純に室内で放出されるわたしの魔気に耐えられるかが心配だと言うこともあるし、雄也先輩の世話役もある。
だから……、まあ、いつものように九十九と二人っきりだ。
いや、彼と二人になってもやることは一つ。
わたしが魔法に近い何かをぶつけるだけだったのだが。
「どうした? シオリ嬢」
情報国家の国王陛下が、わたしの顔を覗き込む。
うぬぅ、顔の良い殿方は、どうして顔を近づけようとするのか。
ある程度、自信があるからだろうね。
「イースターカクタス国王陛下の端正なお顔に見惚れていました」
「なるほど。それならば仕方ないな」
動揺した様子もなく、笑顔で応える王さま。
まあ、言われ慣れているとは思った。
「国へ来るか? いつでも見ることができるようになるぞ」
「御冗談を。国へお戻りになられたら、忙しくて、わたしのことなど忘れてしまうでしょう?」
普通は、国王が貴族でもない人間をここまで構うことなどできない。
こうして気軽に話すことができるのもここが他国だからだ。
そして、この大聖堂内はもともと出入りできる人間は限られているし、人払いもそう難しくない。
何より、他国の国王に対して、提言できるのは、大神官ぐらいなのだ。
この国王陛下は喜んで、利用するだろう。
「シオリ嬢は可愛いことを言ってくれるなぁ」
……先ほどのわたしの台詞のどこに可愛らしさがあったかは分からない。
どちらかと言うと、皮肉が混じった生意気な発言だったと思うけど?
「あの青年は大丈夫だったか? 体調不良とは知らず、悪いことをした」
「……あの後、容体が悪化して本当に大変でした。わたし、あの人があそこまで汗を流すのは初めて見た気がします」
まあ、血がもっと流れている状態なら見たことはあるけど。
情報国家の国王陛下が、雄也先輩が休んでいた部屋に来た後、雄也先輩の症状は極端に悪くなり、大神官が彼に対して雄也先輩への接見禁止令を出した。
この大聖堂内では大神官が最高の権限を持っている。
それは自国の王でも他国の王でも侵すことができない盟約だそうな。
つまり……、雄也先輩が完治して、彼が許可を出すまでは、この大聖堂内で近づくこともできなくなったわけだ。
そして……、雄也先輩は情報国家の王を分かりやすく苦手としている。
だから、許可はおりないだろう。
「そうか……。本当に申し訳なかったな、ツクモ」
「私……、ですか?」
「お前の兄だろう? 俺は直接、謝罪をできないから……、文を渡してくれるか?」
そう言って、九十九に黄色い封書を差し出した。
「分かっているとは思うが、中身は見るなよ」
「これは兄宛のものでしょう? 見ないですよ。ただ、兄も見ないかもしれませんが、それでも構わなければ渡します」
九十九は困ったように笑った。
「見るだろ、あの男は。見た後で、どうするかは知らんが」
確かに、何が書かれているかも分からない物を雄也先輩が確認せずに捨てるとは思えない。
それが苦手な人間であっても……、いや、苦手な人間が相手だからこそ、隅々まで確認する気がする。
「承りました」
両手で丁寧に受け取り、左膝を床につけ、右膝を立てて腰を浮かせたまま礼をする。
「……九十九は、セントポーリア出身の割に教育されているな」
「どういうことでしょうか?」
九十九は純粋な疑問を返す。
「セントポーリアは自国の礼儀を曲げない人間が多いんだよ。他国に合わせない。だが、今の礼はセントポーリアではなく、イースターカクタスのものだ。お前はちゃんと相手によって切り替えられるのだな。良いことだ」
「兄と……師の教育です」
「師……、ミヤドリードか」
「……はい」
「あいつ、煩かっただろ?」
「はい?」
ミヤドリードさんに対してかなり気安い言葉だったためか、九十九は目を丸くした。
一国の王が、他国にいる人間をそこまで知っているなんて思わない。
だけど、そこにはちゃんと理由がある。
何故なら、九十九の師であり、母の友人でもあったミヤドリードさんは……。
「妹が、随分、世話になったみたいだな、ツクモ」
「はい!?」
目上の人に対して、九十九がここまで感情を外に出す姿を見せるのって、最近ではかなり珍しい。
水尾先輩やワカ相手にはよくしている気がするけど、彼女たちは例外だ。
「『ミヤドリード=ザニカ=バンブバーレイ』……いや、『ミヤドリード=ザニカ=イースターカクタス』は、間違いなく、俺の妹だよ、ツクモ」
わたしは……、そのことをセントポーリア城下から出る日に母からある物たちと共に伝えられた。
一つは、九十九にも見せた黄色い古い布。
そして、もう一つは……、ミヤドリードさん愛用のチョーカーだった。
その二つは同じ箱に収められ、今も、わたし用の道具袋の中に眠っている。
「つまり……、ミヤは……、情報国家の間諜だったということでしょうか?」
だが、九十九はやっぱり知らなかった。
雄也先輩はどうだろう?
彼はもしかしたら、知っていたのかもしれない。
「いや、あいつは情報国家の人間として入り込んだわけではないぞ」
九十九の言葉をあっさりと否定する。
「あいつは別に調べたいことがあって、ハルグブンの乳母と養子縁組をしたらしい。その目的については……、最期まで教えてくれなかったがな」
「つまり、我がセントポーリアはイースターカクタスの王妹殿下をお預かりしながらも……」
おうまい?
「殿下」が付いたってことは……「王の妹」ってことかな?
「ミヤドリードがセントポーリアに行った時、王子の妹と知っていたのは、当時の王と王妃、そして、ハルグブンだけだった。あまり深く気にするな。言わなかったアイツが悪い。だから、国の代表でもないお前が心を痛める必要など何もないのだ」
意外にも、情報国家の国王陛下は他者を気遣える人らしい。
いや、これって、九十九のことを特別気に入っているってことかな?
「今のセントポーリア国王陛下は知っていたのですか? その……、ミヤドリード様のことを……」
「ああ、ヤツは呑気そうに見えてかなり聡いからな。情報国家の王女であってもまだ経験が浅かったミヤドリードが誤魔化しきれなかったらしい。まあ、3歳ぐらいで追及を躱すような対話術を持たれても俺たちも困るが……」
3歳……。
その状況で追及したセントポーリア国王陛下、いや、当時はまだ王子殿下……は、いくつぐらいだったのだろう?
「証拠になるかは分からないが、これは……、ミヤドリードからだな」
そう言いながら、イースターカクタス国王陛下は、古い紙を数枚、召喚し、一枚だけ九十九の前に出した。
九十九は、震える手でそれを受け取り、中身を確認する。
そして……、一言。
「ミヤの……字だ」
そう呟いて、顔を伏せてしまったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




