知らなければいけない状況
「薬湯の香りがする」
兄に報告書を持っていた時、最初に言われた言葉だった。
「リヒトから聞いていないか? 大神官から薬湯を頂いたんだよ」
「ああ、『発情期』を押さえる薬か。流石、神官だな。そんなものがあるとは……」
「完全に抑えるわけではないらしいぞ。詳しくは、この報告書に書いてある」
そう言いながら、オレは兄貴の目の前に紙を差し出す。
兄貴はまだ自分で手を差し出すことも自由にはできない。
苦痛に耐えれば動かせるようだが、魔力の暴走を避けるためにあまり無理はしない方が良いらしい。
「変わった配合だな。それに、この薬草……『七酒草』は真逆の効果が出るものだと認識していたが……」
紙を一枚ずつ目の前に就き付けながら、兄貴は呟く。
「『七酒草』は、調合に使っても料理に入れても、興奮剤になりやすいからな。オレもそう思ってたけど……、本当に使われているらしい」
強い酒を7杯飲んだような状態になりやすいから一般的に「七酒草」と呼ばれている。
その味は調合過程によって大きく変わっていく。
生のままでは苦く、一週間乾燥させた後に酸味が表れ、一月水につけると苦味が復活する。
同時に人間界で言う「桂皮」に似た香りを伴い、興奮剤として使用しやすくなる。
具体的には……、媚薬だな。
トルクスタン王子が言うには、男女ともにその気になりやすくなるそうだ。
カルセオラリア城で「シルデナフィルクエン酸塩」の話が出た後、高田がいない場所でこっそりと聞いたが、それとは効果が違うらしい。
その真偽は知らん。
まだ調合して試したこともないから。
「魔界の薬は奥深いな」
兄貴が溜息を吐く。
確かに興奮剤にしかならないと聞いていたものが、その相性や調合の仕方一つでその逆に、興奮を鎮める効果が出るなんて、無謀な勇気がある人間以外、試してみようとは思わないだろう。
だが、古来より、毒や薬というものは、そんな「大馬鹿者」たちによって支えられているのだからなんとも言えない気分にはなる。
「神官たちはまだ隠し持っていそうだな。世に出ていないものをできるだけ、引き出して記録しておけ」
「言われなくてもそうするつもりだ」
大神官は秘匿するものではないとあっさり教えてくれた。
実は、温度調整や光などを含め、繊細な調合が必要らしいが、オレにとっては、料理よりも簡単な手順だったので、拍子抜けしてしまったぐらいだ。
近くで見ていた高田は「それを簡単だと言えるのは九十九ぐらいだよ」と言っていたけど。
「しかし、完全に抑えるわけではなく、時間稼ぎでしかないのか」
「しかも、結局のところ、それでも油断はできないらしい」
「……『ゆめ』を城下に呼ぶか?」
兄貴は溜息を吐きながらそう言った。
「残念ながら、この国では派遣の『ゆめ』はいないそうだ。神官たちの風紀の乱れに繋がるからな。このグランフィルト大陸の『ゆめの郷』は、地図で言うと左端の下の方にあるレギナスという村が実は……」
「方角で言え。小学生か、お前は」
「細けえよ」
そして、問題はそこじゃねえ!
「グランフィルト大陸の南西にあるレギナスという村が、この大陸の『ゆめの郷』らしい」
「大神官からの情報か?」
「そうだよ。あの方は基本的に聞かれたことは嘘を吐かずに教えてくださるからな」
多少の含みもあるだろうが、嘘は言わないし、分かりやすい誤魔化しもしない。
まあ、高田に対しては少し言葉に詰まるところもあるが、その点は仕方がないだろう。
あの女がおかしいのだ。
「ようやく、行く気になったか?」
「……この期に及んでジタバタする気はねえ。兄貴が動けるようになったら……行く」
問題は兄貴がいつ、動けるようになるか……、だ。
「だが、グランフィルト大陸内は止めておけ。神官を含めて、そこに集う男どもが他の大陸に比べて多すぎる。彼女の身の安全を考えるなら、できれば……スカルウォーク大陸だな。トルクスタンに確認しておこう」
「は!? なんで、あいつが……?」
兄貴の言葉にオレが動揺してしまうのも無理はないだろう。
オレは、一人で行くつもりだったのに。
「『ゆめの郷』に貴族……、発情期になりかけた従者とその飼い主が来ること自体は珍しくない。それ専用の施設もあるはずだ。まあ、当然、彼女は外出禁止とはさせていただくが」
「いやいやいやいや? いろいろ、おかしくねえか?」
流石にこれは反論させてもらう。
「俺が動けるようになったからと言って、すぐに以前のような働きができると思うか? 落ちた筋肉も、鈍った反応もすぐには回復できん。だが、お前に猶予はない。そうでなければ、誰が好き好んでこんな結論を出すか」
兄貴は苦々し気に吐き捨てる。
「いや、そこは水尾さんが……」
「彼女が今後も一緒に行動するかはまだ、未知だ。もともとの目的である身内は見つかっているのだからな。何より、トルクスタンたちカルセオラリアの庇護に入る可能性が高い」
「……そうだったな」
もともと高田ともそんな約束だった。
わざわざ水尾さんを、こちらの都合に巻き込むわけにはいかない。
「彼女には……、俺から伝えておく」
「ちょっと待て。……この場合の『彼女』は『誰』を差して、何を伝える気だ?」
兄貴の言葉にオレは確認する。
「お前が発情期に入りかけていることを、栞ちゃんに。当然だろう?」
「いや、それはオレからちゃんと伝える」
「ここまで伝えてないのにか? 今のお前には無理だ。今更、隠すものなどないはずなのに、まだ何を護っているのかは知らんが……、ああ、お前は後生大事に童貞を護っているんだったか」
「……うるせえ。余計なことを抜かすな」
流石に兄からこの現状を彼女に伝えられるのはいろいろと問題だろう。
オレはいくつだ? という話になる。
確かに彼女に対して話すことに抵抗があるのは事実だし、それは認めるしかない。
だからと言って、伝えないわけにはいかないのだ。
彼女のためにも。
それに……、話すことで彼女がオレのことを危険だと気付いてくれるなら、それは悪くないことなのだろう。
「魔気が乱れているぞ」
兄貴の言葉で自分の状態に気付いた。
確かに自分の中にある体内魔気が、気持ちが悪いぐらいにぐらぐらと熱を持っている。
「未熟者」
「分かってるよ」
そんなことはオレが一番分かっているんだ。
「そんなことだから、あの情報国家の国王なんぞに簡単に嵌められるのだ」
「いや、アレは仕方なくねえか?」
「お前に危機感が足りてないと言っているのだ。彼女が囚われた時点で、もう少し焦れ」
状況を読んだリヒトから聞いたのだろう。
「明らかに挑発されてたのにか? あれでムキになってみろ。相手の思うがままだ」
「阿呆。そんなお前の性格も読まれた上での挑発行為だ。あの国王は、彼女の出自を知っているのだろう? それならば、下手に手を出すとどうなるのかも知っているはずだ」
「……下手に手を出すと……?」
「セントポーリア国王陛下と……、何より、チトセ様が動く。あの二人を同時に敵に回すほどの無謀な行いは、イースターカクタス国王にはできまい」
その言葉に、何故かオレは冷や汗が出た。
「まあ、それだけ『発情期』というものは冷静な判断力を奪うのだろう。俺も今の状態で、あの国王の相手などはしたくない」
「……万全な状態なら?」
「それでも……、あの国王の相手は避けたいところだ。見ただろ? 身体に変調をきたすほどだった。それほど相性が悪すぎるのだ」
兄貴は胸を押さえながら、溜息を吐いた。
「そうか? あれは、珍しく兄貴が揶揄われていただけだろ?」
「……なんだと?」
「イヤな王様だよな。本当に的確な嫌がらせが上手かった。そんな方が兄貴とオレが同じ対応するわけねえよ」
この点に関しては、精神的な問題だと思う。
それに……、日頃、オレに対して言う皮肉やオレにやる嫌がらせに比べれば、まだ笑顔で死の淵に追い込まれないだけかなりマシだったことだろう。
「あれで、精神がやられるなら、兄貴はオレに対しての客観的に見直して、その言動を改めてくれ。あれ以上に酷いぞ」
オレがそう言うと……、兄貴は一瞬、面食らったような顔を見せ……。
「なるほど……。情報国家の国王は性格がかなり良い性格をしているようだな」
そう黒い笑みを浮かべたのだった。
そう言った部分を、可愛い弟は改めて欲しいと言っているのです、お兄様。
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