知らないままではいられない感情
部屋に沈黙が落ちる。
オレは何も言葉が出なかった。
大神官は、しきりに「昔の話」と「確かではない」と言っていたが、オレにはとてもそうは思えない。
もし、これらの話が事実なら、歴史はとんでもない事実を隠していることになるのだ。
「九十九さん? 大丈夫ですか?」
「え? あ、ああ、すみません。大丈夫です」
心配そうに覗き込まれ、思わずそう返答をしたが……、こんな話を聞いた後、動揺しないはずもない。
今のオレの状況は……、人間の勝手な思考と、捻じ曲げられた本能と、多くの犠牲によって造られたモノだったなんて、考えたこともなかったのだ。
「それにしても、何故……、オレにそんな話を?」
これは結構重要機密ではないのか?
本来は「聖女の卵」でもある高田に……、いや、内容的に無理か。
そして、彼女に伝えたところで、どうすることもできない。
全ては、昔の話。
既に起きてしまったことは、時を越えない限りは改変することなどできないのだ。
「神官たちの中では、『発情期』というものは神の御手が関わっていることは通説となっています」
まあ、何でも「神から与えられた試練」ってことにすれば、神官としては、乗り越えるしかなくなるからな。
自分をわざわざ追い込むなんて、ある意味、変態だと思う。
目の前の「大神官」を含めて。
「このまま、九十九さんが栞さんの傍にいることを望む以上、残念ながら、神との関りを避けることは出来ないでしょう。『聖女の卵』だけではなく、あの方の身に流れる血と、その魂のために」
高田に流れる血……。
それは、セントポーリアの王族という意味でもあり、伝説とまで謳われる聖女の血族でもあるということだ。
そして、その魂にも……、良く分からん神が執着しているらしい。
そのためか、どこに行っても……、彼女の周囲に何かしらの「神」の存在が見え隠れしている気はする。
そんなこと……高田自身は何も望んでいないのに。
「九十九さんは……、栞さんが『聖女』となることを望んではいないようですね」
ふと大神官は微かに笑いながら、そんなことを口にした。
「いいえ、そんなわけではありません」
高田が「聖女」として認められる……。
それ自体は、面倒なことになるとは思うけれど、彼女がそれを望むなら、寧ろ、全力で援護する自信はある。
誰も彼女に手を出せない……、王族すら蹴散らせるなる存在になれるのなら……、そちらの方が良いぐらいだろう。
「ただ……普段の彼女を見ていると……、自分が抱いている『聖女』という存在と結びつかないだけです」
オレの気が乗らないように見えるのは、何も難しい話ではない。
普段、自分の近くで呑気な顔をしている少女がいきなり「聖女」と言われても、ピンとこないだけだ。
これが……、「シオリ」なら分かる。
彼女は……、幼いながらも「自分の立場」をしっかりと意識していたから。
特別なものを欲しがらず、ただ母親を護るためだけに懸命だった。
だけど、今のあの少女は「高田栞」だ。
周りの苦労も考えずにマイペースに突き進んでいる。
あの少女が……、「聖女」だとはどうしても思えない。
「それならば、九十九さんが抱く『聖女』の像というものを伺ってもよろしいでしょうか?」
大神官は何故かそんなことを聞いてきた。
その姿に何故か若宮が重なったのは気のせいか?
「聖女……ですか?」
かつて魔界を救ったと言われる聖女。
娯楽の少ない魔界でも、子供向けの本にすら描かれる存在。
不意に金髪の、見たこともない少女が思い出された気がした。
昔、読んだ聖女は確か……、そんな髪の毛の色だったからかもしれない。
だけど、自分の中にある「聖女」と言うのは、少し違う。
世界を救おうとして救うような人間ではない。
それは、もっと身近な……。
「自分のことより他者を優先してしまう人間……でしょうか」
誰かの想いを無視できない。
そして、それが危険だと分かっていても、窮地に飛び込んでしまう自己犠牲の塊。
ただ、それを当人は犠牲だと考えない。
当然のように、自然に行ってしまう。
そして、何度止めても、無理することを止めない。
自分がやらなきゃ誰がやるのかと言わんばかりに。
「本当は怖いくせに、それでも、その身を挺して人を護ろうとするような……」
震えながらも、自分より強大な敵に立ち向かう。
どんなに傷つけられても、誰かを庇おうと立ち上がる。
傍から見れば、本当に馬鹿でしかない行動。
それでも……、胸を張って堂々と無茶をやる。
そんな……って、あれ?
オレ、今、誰のことを考えていたんだ?
「他者に対して、献身的な人間と言うのは、確かに『聖なる女性』の名に相応しいかもしれませんね」
大神官が満足そうに微笑む。
この方もこんな風に笑うようになったが、ある意味、凶器だと思うのはオレだけか?
「……ですが、私が知る限り、そのような女性は身近に一人しかいない気がしますよ」
どことなく、悪戯心を含んだ顔。
―――― ああ、分かっています。
オレは途中から、「聖女」ではなく、一人の少女を思い浮かべていたのだから。
「近年、『神女』と呼ばれる神に仕えるべき女性も……、自らの願いを優先してしまうようになりました。なかなか自分より他者を優先できる人間は、そう多くはないため、仕方のないことではありますが……」
「だ、大神官猊下は?」
「私こそ、自分中心の人間ですよ。貴方方がそれを一番ご存じだと思いますが」
それは神職と呼ばれる立場の人が、それもその頂点に立つような人間が口にして良い言葉だとは思えない。
だけど……、確かにオレたちは知っているのだ。
この神に仕える最上位の方が、躊躇なくその座を捨てて、好きな人間を選んだことを。
「だから、栞さんのように、迷いなく、打算なく、誰かのために行動できるような方をとても羨ましく思えます」
「いや、あれはただの『阿呆』ですよ」
自己犠牲とかそんな殊勝な考えなど全く持っていないだろう。
単純に、自分の目の前で誰かが泣くのが嫌だから動く。誰かが自分のせいで傷つくのが許せないから動く。
本当に我が儘なだけだ。
「大神官猊下もご存じでしょう? あの女は周りがどれだけ心配しても、自分の思う通りにしか動かない。あれは、献身的ではなく、十分すぎるほど自己中心的ですよ」
「ほう? 自己中心的ですか」
「それ以外に、なんて言えば良いんだよ…………って」
聞きなれた口調とその声に反射的に反応した後に気付く。
気が付けば……、オレの背後に迫力ある笑顔の黒髪、黒い瞳の少女がいた。
その表情は、若宮に似ているな~、やっぱりこいつら類友なんだろうな~なんて思っている間に、オレは空気の塊によって吹っ飛ばされる。
おいおい、この城の結界、やっぱりザルだよな。
今のはどう考えても十分立派に害意だろ?
しかも、しっかり大神官は、オレ以外の周囲に別の結界を結んでいるとか……。
気付いていたなら、一言だけでも言って欲しかった。
オレはその場に倒れ伏す。
意識だけは妙にはっきりしているが、身体は動かない。
「九十九さんが後ろをとられるなんて珍しいですね」
「恭哉兄ちゃんが完全に引き付けてくれていたからだよ。ありがとう」
「いいえ。九十九さんが真面目な方だったからこそできたことですよ」
……どうやら、大神官はグルだったらしい。
若宮は「大根役者」とよく言ってたけれど、立派に芝居できてるぞ、この方。
若宮、騙されるなよ~。
「でも、思いがけず……、聞きたかったことが聞けたよ」
聞きたかったこと……?
こいつ、どこから聞いていたんだ?
恐らく「発情期」の話ではない。
その辺りを話している時は、オレは高田の気配に細心の注意を払っていたし、何より、大神官自身だって、彼女には聞かせたくない話だっただろう。
そうなると……、「聖女」の話か?
確かに……、大神官から「聖女」像を問われてからは、高田から意識が少し離れてしまっていた。
「聖女のイメージって一般的には献身的で自己犠牲の塊だよね。やはり、わたしとはかけ離れている」
やはり、そのことか。
「ですが……、それだけで『聖女』になるわけではないことを、貴女はもう知っているでしょう?」
「うん」
大神官の問いかけに彼女は素直に答える。
オレのイメージとは別に、彼女は既に答えを掴んでいるということか。
そして……、大神官の言葉から、彼女が持つ答えは、正解に近いのだろう。
「栞さん、貴女が抱く『聖女』の像とは?」
大神官は、オレと同じ問いかけを高田にもする。
「決まっているよ」
そう言って、高田が笑う気配がした。
「神さまに運命を弄ばれただけの、どこにでもいる女性だよ」
その答えを、誰よりもその状態にある少女が口にするのは……、皮肉でしかない。
だけど、同時に、彼女自身も認めているということに他ならない。
自分は「聖女」に近いと。
でも同時に、こうも思った。
彼女を……、「聖女」になどさせるものか……、と。
そんな諦めにも似たような言葉を平然と吐かせたくはない。
そんなの……、「高田栞」らしくないだろう?
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