知らない方が良かった事情
リヒトが兄に呼ばれて、移動したため、オレは大神官と二人で残された。
いや、隣室で高田が寝息を立てているので、正しい意味では二人だけというわけではない気もするが。
「何故、こんな生理現象があるのでしょうか」
オレは独り言のような問いかけをする。
大神官から明確な返答を期待したわけではないが、考えてみれば不思議な話だと思ったのだ。
何故、適齢期を迎えた男だけに起こるものなのだろうか?
「『発情期』は人類に神が与えた試練だとされています」
オレの漏らした言葉に対して、如何にも神官らしい答えが返ってきた。
「表向きは」
「は?」
どこか不穏な言葉が続いて思わず身構える。
「この世界において、『発情期』と呼ばれる現象が、いつごろ発現されたか。正確には分かっていません。ただ……、人口が減少した時代……、歴史上で『創設期』と称される時期に滅びへ向かう前の人類たちが種族としての本能に目覚めたと言われています」
「『創設期』……ですか?」
オレは、兄貴と違って世界の歴史にそこまで興味はないが、全然、勉強をしていないわけでもない。
最低限の知識は叩きこまれている。
大神官が言ったのは、確か……、大雑把な区分けとなるが、「創設期」とは、俗に言う「忘れられた時代」のすぐ後ぐらいだったはずだ。
人間たちが人口を大きく減らし、「救いの神子」と呼ばれる聖女たちが生まれたのが、確か、その時代だったと思う。
「はい。神が滅びへと向かう人類を見捨てることができず、救済のために遣わした神子たち。その方々によって、人類が救われたとされる時代ですね」
あれ?
でも、神が遣わした神子たちが人類を救うなら、種族の本能に目覚めると言うのは少し違和感がある。
彼女たちによって、この世界の人口が増大し、今の世に近付いたと思っていたのだけど……?
「しかし、救済の直前にその時代の権力者たちが、下した判断によって、無理矢理造られた症状……。それが『発情期』の元になったとされる説も一部にはあるのです」
「は?」
その時代の権力者たちが……だと?
神でもないヤツらが、そんなことをできるものなのか?
「これはその一説にすぎません。当時、人類存亡の危機に気付いていたのは、その時代の権力者しかいなかったそうです。自身が管理する働き手……、それが減ることによる損失を考えた時、権力者たちはあることを思いつき、古の秘術を遣うことを決意しました」
大神官の口から語れるのは神話に近い時代の歴史。
今となっては確認する方法もなく誰かによって創られた可能性もある物語。
だが、それをただの空想と笑うには……、語り部が悪かった。
「そして、時の権力者は考えました。働き手が増えないのなら、増える方向へ誘導すれば良い……と」
大神官は無表情のまま、その先を口にする。
「権力者たちの秘術により、適齢期の人間たちの脳を刺激し、本能を歪めた上、半強制的に性衝動を誘発させ、不特定多数による生殖行為を行わせることにしたのです」
「な!?」
大神官の言葉はいろんな意味で衝撃的だった。
それって……。
「当時は今のように大陸間移動の術などありません。だから、他大陸の人間たちの血が混ざることもなかったでしょう。そのことは、権力者たちにとっても都合が良かったのです。その秘術は、同じ大陸神の加護を持つ者たちにこそ、多大な効果を発揮したそうですから」
確かに、大陸間移動なんて簡単にできるものではない。
今のように「転移門」や「聖運門」と呼ばれるものができたのは……、セントポーリアの聖女の時代……今から六千年ほど昔の話だ。
大陸神の加護は、6大陸で生まれたら必ず授かるとされているものだ。
今では生まれつきの属性とも呼ばれている。
オレや兄貴、高田が風属性、水尾さんや真央さんが火属性の魔気を無意識に纏っているのもその加護によるものだと考えられている。
「直後の『救いの神子』たちの台頭により、それが本当に実践されたのか、そして、その効果がどこまであったかは分かりません。何より、それは実行されず、計画だけで終わったと言う有識者もいます。人の道に外れた行いですからね」
確かに、それが本当なら鬼畜の所業と言わざるをえない。
いくら、人間を増やすためとは言え、人間界で言う家畜のような扱いを自分たちの先祖に当たる者たちが行われたとか……。
誰も信じたくはないだろう。
「ですが……、『救いの神子』たちが救済する前、女性はさらにその数を減らしたと伝えられています。そのため、結果として、今の人間たちのほとんどは、『救いの神子』たちの血をひくことになった……と」
「どう言う……ことですか?」
「女性たちは、その行いを人類繁栄のためと納得できなかったためと言われています」
「それは……」
確かに、いきなり不特定多数の人間たちと子供を作れと命令されても……、男はともかく、女の方は負担が大きすぎるだろう。
子を産むのだって、結局、女だからな。
「特に、その秘術は、女性に効果が薄かったことも悲劇の一つだったことでしょう」
「女性には……、効果が薄い?」
「女性は男性に比べ、魔力が強い方が多く、同時に魔法への抵抗も高いことが理由だったとされています。そのために、どうしても行為を行うのは一方的で乱暴な行いとなってしまったと一部では伝えられています」
「なんですか……、それ……」
女性には効きにくく、男性には効果的な秘術。
そして、それによって引き起こされる本能的な行動。
そこに悲劇しか考えられないのは想像に難くない。
「これらは、俗説の一つです。ですが、当時、女児を産んだ母親が発狂した記録も残っているので、そこまで見当違いでもないかもしれませんね」
「それが本当なら……、酷い話ですね」
本当に単なる俗説だというのなら……、大神官という立場にいる人間が口にするとは思えないが、今のオレにはそう返すしかなかった。
「はい。本当に酷い話です」
そう言う大神官は表情が読みにくい顔をしていたが、なんとなく怒っているのだろうなと思った。
「その秘術のために……、『発情期』がある……、と?」
「いいえ。そうは言っておりません。現実の『発情期』は未婚の男性限定のものであり、記録にあるように、不特定多数の人間に対して現れてしまうものではありませんから」
その言葉に少しだけ救いがある気がした。
「ただ気が遠くなるほど遠い昔のことなので、多くの血も混ざり、少しずつ変化していった可能性はあるかもしれません」
その可能性も否定はできない。
だが、その時代の権力者ってやつがどれだけの魔力を持っていても、今とは違う魔法の仕組みだったとしても、世代を超えて永続的に効果が出続けるような魔法の行使が可能だったとは思えなかった。
それが本当なら、時を超えるほどの膨大な魔力の強さってことになる。
「その秘術はそれぞれの大陸神から権力者へ委ねられたものと聞いています。そして、その権力者たちが望み、大陸神との直接契約により、大気魔気を通して今も尚、影響を与え続けているという説もあります」
「……は?」
大陸神……、から?
神は気まぐれに人間たちにちょっかいを出す。
そして……、神たちにとって時間の流れなどほとんどないに等しい。
つまり、その時代から今もずっと続く契約があってもおかしくないのだ。
「だ、大神官様……、その権力者とは一体……」
神との直接契約を結べるほどの存在だ。
そんな規格外のヤツらはどこにでも転がっていないだろう。
さらには、長く強い効果が出続ける秘術。
オレはそれに覚えがある気がした。
「大陸神との契約魔法……、古代より続く国のみに与えられた権利。それは、『強制隷属契約魔法』と呼ばれるそうです。古文書の記録にあるだけで、本当に各国に伝わっているかは確かめる方法もないですが……」
それと似たものをオレはよく知っている。
主人の傍にいるために昔、オレたち兄弟に施された「絶対命令服従魔法」と呼ばれる王家の秘術。
それは……。
「いずれにしても、こんな形でしか成り立たない種族など、滅んでしまっても良いと私は思いますけどね」
そう言いながら、「大神官」は、どこか危うい表情で微笑んだのだった。
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