知らない方が良い事情
「落ち着きましたか?」
目の前に白い湯気と独特の香りが立ち込める不思議な薬湯が差し出される。
色は濃い抹茶のようだが、味はそうではないことを、既にオレは知っていた。
その横では、褐色肌の少年が、興味深そうに見つめている。
「ありがとうございます」
素直に受け取り、そのまま一気に流し込む。
さっきも思ったが、すっげ~、苦い。
そして、かなり熱い。
熱いが……、逆に頭が冷えて妙に心が落ち着いてくる。
こんな薬湯をオレは知らない。
味は、「紫網草」を煮過ぎて粉末化したものをお湯に入れ、「春鳴豆」を煮て液状化したものを混ぜたヤツに似ていたが、色も香りも何より、効果が違う。
少なくとも、オレが知っている範囲でこの飲み物に該当するモノはなかった。
「神が与えてくださったと言われる飲み物です。苦味は強いですが、その効果は保証しますよ」
神官独自の飲み物らしい。
本来なら、神官ではないオレに与えるようなものではないのだろう。
「そのように貴重なモノをありがとうございます」
オレは目の前の恩人に頭を下げる。
「ほとんどの神官は一口目で吐き出すのですが、二杯目を迷うことなく口にする方は珍しいです」
今、何気に凄いことを言われた気がするが……、この薬湯で助かったのだから、何も言うまい。
大神官の私室にて、オレは我慢の限界に近い状態にあった。
高田を抱き締めた状態で、意識が朦朧とし始めた時、リヒトと共に現れた大神官によって、こうして救われたのだ。
「栞さんの無防備さには本当に困ったものですね」
大神官はチラリと隣室に目をやる。
その台詞は、大神官としてではなく、一人の青年として発せられた言葉なのだろう。
なんとなくそんな気がした。
『シオリは、ツクモを信頼しすぎているから仕方ない』
オレのすぐ横にいるリヒトも深い溜息を吐いた。
『それに、その辺りに関してはツクモも悪い。お前は我慢のし過ぎだ。そこまで変調を見せておきながら、どうして無理をする?』
ジロリとオレを睨む姿に兄貴の気配を感じる。
ああ、これ……。
兄貴まで伝わる流れだな。
『当然だ。暫く説教を食らえ』
そして、心の声にまで突っ込まれた。
「その『薬湯』は、暫くの間、興奮を抑える作用があります。効果期間は人によって異なりますが、二杯も飲めるのなら暫くは大丈夫でしょう」
『通常の神官はどれくらい効果があるのでしょうか?』
敬語のリヒトにどこか違和感がある。
トルクスタン王子には敬語を使ってはいた気がするが、身内にはほとんどタメ口だからだ。
「一口も飲めない神官が多いので、あまり参考になりませんが……、私は一杯で二日間ほどは落ち着きます」
『二日で症状が表れるということですか?』
まだ心の整理がついていないオレが、何かを口にしようとするよりも先に、リヒトが確認する。
「期間を抜けるまでは繰り返されます。但し、無理矢理、落ち着かせるものですから、通常の期間よりは長くなるようですね。私も緊急時以外は服用しません。『禊』の方が早く終わりますから」
さらりと重要なことを伝えてくれる大神官。
経験者の言葉は重い。
大神官の「禊」って確か、一週間だったか。
個人的には薬を飲み続ける方が楽だと思う。
『さらに重ねて不躾なこととは思いますが、服用しながらだとどれくらいの期間になるかはご存じでしょうか?』
オレの呑気な考えを否定するように、リヒトはさらに質問を重ねる。
「一度、試してみたところ、服用後に落ち着いたのは二ヶ月くらいでしたね」
「長っ!!」
思わず、そう言っていた。
「はい。いつもなら数日で済むところを、それだけの期間、繰り返されました。確か……、17歳ぐらいの時期に試したと記憶しています。さらに、その分、次の周期も早くなってしまったため、私も流石に『禊』を選ぶようになりました」
「……『禊』の方が短期間……なのですね」
オレは溜息を吐くしかなかった。
大神官でも一週間耐える期間。
『厄介だな、「発情期」というものは……』
リヒトは事も無げにそう言う。
彼は長耳族だ。
だから、人間のようにそんな期間はないだろう。
「精霊族には精霊族の決まりごとがあるので、人間に限ったことではありませんよ」
「!?」
オレは思わずリヒトを見るが、リヒトは首を振りながら答えた。
『大神官は俺の種族も見抜いておられた。神や精霊を視る瞳をお持ちの方だ。誤魔化しなどできん』
「リヒトさんは、森の神の加護を受けておられます。ただ……同時にそれ以外の神のご加護もあるようなので……、少し、普通の長耳族とは違うようですね」
素直に言おう。
この方は本当に怖い!!
『俺のことはどうでも良い。問題はツクモだ』
「……分かってるよ」
この薬湯で落ち着くのはほんの数日。
いや、個人差があるということだから、実際はもっと短くなる可能性もある。
「情報国家の国王陛下がいなければ、オレだって『禊』を選ぶさ」
『………………「ゆめ」ではなく?』
妙な間の後に、リヒトは一般的な解決方法を提示する。
……と言うか、いつの間に、そんな知識まで身に着けたんだ? この男……。
『この国では珍しくもない話だ。「ゆめ」の真似事をする「神女」もいるようだからな。身体を動かせないユーヤがその対応に苦慮している』
そう言えば、そんなことを兄貴が言っていた気がする。
『まあ、俺が空気を読めないフリして入室するだけで退散してくれるけどな。腕力や魔法、法力で排除しようとしないだけマシだ』
まあ、いきなり第三者が入ってくるような状況で、動けない兄貴に迫り続けるような剛の者はいないだろう。
「……リヒトさん。後で、その方々について詳しく教えていただけますか?」
そして、大神官の迫力ある笑みが怖い。
『承知しました。ああ、神官もいましたが、そちらについても?』
「当然です。そちらこそ、しっかりと報告をお願いします」
……って、神官もかよ!?
兄貴、本当に災難だな。
『男が男に迫ることなど別に珍しくもないだろう? あの「迷いの森」でもいたぞ』
「そんな情報はいらん!」
想像したくもねえよ!!
『ついでに、シオリに迫ろうとしている神官も排除してもらうか。健気にユーヤの元へ通う姿を見て、気に入られてしまったようだからな』
大神官の前じゃなければ叫んでいた。
やっぱりこの国、ヘンタイしかいねえ!! と。
『禁欲的な生活を送っている神官が、あの年齢になっても穢れの無い魔気を纏っている少女を見て、欲情するなと言うのが無理だろう? 発情期予備軍が犇めいてるのだ』
「犇めいてるのかよ」
『目の前にもいるけどな。一番、危険な男が』
「うぐっ!!」
しっかり釘を刺された。
「栞さんにご協力を願うつもりはないのでしょうか?」
「だ、大神官猊下……。一体、何を……?」
真顔で尋ねられ、オレは流石に困った。
高田に協力を願うと言うのは……つまり、そう言うことだ。
『それはユーヤも俺も許さん』
「……なるほど」
『何より、ツクモ自身が許さないからこうなっているんだ』
「よく分かりました」
混乱した当事者の思考を無視して、何故か、話だけが進んでいく。
「九十九さんは、栞さんのことがとても、大切なのですね」
「大切ですよ」
それだけは即答できる。
そこに恋愛感情は伴っていなくて、家族愛のようだと分かっていても、そこにある気持ちだけは間違いないのだ。
「御心は分かりました。それでは、情報国家の国王陛下が国へ戻られるまでは、毎晩、この『薬湯』を服用しましょう。その後は……、『禊』と言うことで、よろしいですか?」
「何から何まで申し訳ありません」
オレは素直に頭を下げる。
「お気になさらないでください。栞さんを大切に思っているのは、貴方たちだけではありませんから」
そう言って微笑む大神官を見て……、オレはなんとなく複雑な気持ちを抱いたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました




